懺悔 | バステト

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もっと光を

どうも自分は人に嫌われるというのが得意というか天性の才能あるいは運命のようであり、本日も自分が草花に水遣りをしていると近所の旦那が扉を開けて出て表に停められた自転車に鍵を挿入、鍵の開いた自転車に跨り男は旦那はこちらに向かって走ってきたという一連の動きを体の左側面で感じながら知らぬ振りをし、ホースで水を撒く自分の背後を通り過ぎる前に「コイツ、挨拶せん気やな」と悟ったので背後を通り過ぎる瞬間、首をクリっと曲げ「ども」と声には出さず会釈をすると男は旦那は本当に仕方なくという感じを前面のオーラとして纏いつつ蔑んだような情けないものあるいは汚物を見るような目でこちらを一瞥して通り過ぎた。

自分は俺はこの旦那あるいは家族になんの危害を加えたこともないしこの男の嫁にも回覧板を渡すくらいの交流でしかないし全くもってこの夫婦あるいは家族についてなんも知らん。

なんの迷惑も掛けていないというのに、あの男の旦那の傲然で憮然な態度というのは一体全体なんだというのだろうか。

他の隣人もそうであってウチが雨漏りの工事をしている際に屋根の土が辺りに散乱したので申し訳ないけれどもそちらに土が落ちたので掃かせてもらってもよいかと尋ねると、またゴミを見るような視線で仕方ないような感じで承諾、阿呆を扱うようにタメ口でさも当たり前のように振舞うのであった。

どうしてなのだろう?

自分は俺は小生は誰に迷惑を掛けることなく静かに暮らしているのであるが、どうしてこのように人に嫌悪されるのであろうか。

自分は自暴自棄になり昼間から酒を呑んだり、サボテンを素手で掴んでみたり、ブルーレット置くだけを補充したり、サッシの間に挟まって動けずにいる蝉を救出したりした。

気にしすぎなのであろうか? これは妄想なのであって現実ではないのだろうか?

どうせピザの宅配とか韓国ドラマとかのことしか考えないような奴等であるしこちらから蔑んだ目で見てやれば良いのだろうか。

その男あるいは旦那もよく考えよ。

俺は自分は両親もなく嫁も子もいない孤独極まりない男であるということはある意味で「怖いものがない」ということなのであるから、喧嘩を売るのは勝手であるが後先を考えて行動あるいは発言して欲しい。

これは脅しではなく「当たり前」のことである。

平和ボケもそこそこにしないと痛い目に遭うであろうことはこれからの日本にも云える真実であって「熟考」して頂きたいものだ。

私は俺は怒っている。

この現状に。

この現世に。

焼き尽くされればよいのである。

「その時」が来てから気付いても遅いことは明白なる事実であって神は許さないであろう。

さようなら、さようなら隣人よ。

悔い改めよ、空が青いうちに。

悔い改めよ、邪鬼が暴れだす前に。

往来に撒かれた水が毒となる前に。

空に舞う蘭の花弁が地に落ち灼熱に焼かれる前に。

悔い改めるのだ。

また自分も俺も同様に。