どんと くらい妹は泣いてばかり。パパからもう何度も非道いメールや電話を受けているから。子供たちの前では泣けないからトイレで泣いた。オレの前でも泣いた。全部オレ達の性にして怒りに任せて妹はイジメられている。
maybe tomorrowそりゃあオレだって‥あの頃に帰りたい。今まで苦労の連続だったけれど。せめてお金の事で悩まなくなった頃に。あの頃は我が家はもう貧乏で悩まなくなったんだ‥って思ってた。お母さん‥。早く安心させてあげたい。「だけど明日はきっと良い事あると信じてたいの‥Maybe Tomorrow…」
パパは先日、姪っ子がオレの作業着が洗濯して干してあったのを見てこう言った。「あっ‥パパのと一緒だぁ。でもパパのはこんなに汚れてないよ!パパは仕事でイスに座りたい時に座れて、コーヒー飲みたい時に飲めて、電話したい時に電話出来るんだってさ!」
チャーハンと洋風レストラン先日、急に子供の頃住んでいたアパートで食べた近所の店屋物のチャーハンを思い出し食べたくなった。母が疲れていたりして日曜日の昼など良くとって食べた事を思い出す。それと自分も妹もまだ小学生ころ月に一度、母のパートの給料日に三人で自転車に乗って行った洋風レストランの生姜焼きが楽しみだった。子供の頃も裕福ではなかったが、そういった楽しみがまだあったのだな‥と思い出す。今はささやかな小さな幸せも無い。
悪意親切なフリして悪意に満ちた数々の行い。ホントまいりました。もう疲れました。でもそのおかげで今のままじゃいけない‥と。この最悪の環境から抜け出さないと‥改めて思いました。何かが間違ってるんです。掛け違えたボタンのままじゃいくら進んでも間違えたままですね‥やっぱ。ある意味解らせてくれて感謝しますよ。
家路毎日、夜勤明けでアパートに帰る道すがら。真っ青な空がとっても高く、遠くに山が見える。自転車を漕いでいると風が目に染みて涙が出てくる。お母さんは泣きながら言った。「東京に帰りたい」って。お父さんだって本当は俺達のあの家に帰りたかっただろ?病院のベッドのうえでしょっちゅう「早く家に帰りたい」って言ってたもんね。今の俺達に帰る場所なんてある のかな‥。俺とお母さんと二人の居場所なんて見つかるのかな‥。俺がちゃんと再就職出来ていたら…。お父さんが病気にならなければ…。俺が会社を辞めなければ…。お父さんが借金なんかしていなければ…。俺が結婚していれば…。家なんか買わなければ…。あの時、お母さんが離婚していれば…。れば…れば……れば。毎朝、泣いて帰る。人に見られたって構わない。
お母さんの幸せ今頃になってやっとお袋も事の重大さ、事態の異常さに気付いたみたいだ。あれ程こちらに来れば「それこそお終いだ」と忠告しておいたのに。あの時は親父が病気で倒れ、家計の先行きも不透明で不安から逃れたい思いで一杯だったのだろうが。「苦しんでいる時に娘を頼って何がいけないの?」って言ってたけど、今オレが受けている仕打ちを目の当たりにして又自分たちは間違いを犯した事に気付いたんだね。親父が死んで毎日これからの事を考えていてようやっとわかったのだろう。しかし今更「やっぱり東京に帰りたい」だなんて…。出来ればオレだってそうしたい。今日は訳あって元の家に荷物を取りに来た。夜勤明けで殆ど睡眠をとらずに電車で片道二時間。やはり遠い‥遠すぎる。毎日ベルトコンベアから流れてくる品物を十二時間、立ちっぱなしで処理す る単純作業。勿論ロクな事考えない。それでいて作業スピードを求められニッパーを一日中握る手はマメだらけになり仕事終わりには拳も握れない。休日出勤も強要され賃金も最低。クタクタな毎日。ある程度予想はしていたが想像以上のブラック度。人生を失敗した人間のこれが末路か。東京の叔父に「帰って来て近くに住めば」と言われたらしいが‥また人に言われるまま、後先考えずにあっちへフラフラこっちへフラフラするつもりかい?お袋の老後を考えると、妹夫婦か叔父の近くに住むのが良いのだろう。孫たちの存在が笑顔の元になる日も来るのだろうし。オレ一人ではお袋を幸せにしてあげるのは難しいかもしれない。