ここで少し昔話を。
もちろん反面教師にして頂きたい話です。
私が11才の時に実家の建て替えがありました。
祖父母と同居をしておりましたが、父が施主になる家です。
ハウスメーカーはパナホームでした。
当時の家は、まだフローリングが一般的ではなく、
リビングも居室もカーペット貼りが主流(剥がせないやつ)で、
ダイニングは華やかな柄のクッションフロアでした。
インテリアの打ち合わせで子供部屋の床を決める時です。
私の記憶ではカーペットの色は3種類。
グリーン、ブラウン、体育館の床色
おそらくその3色が標準だったのだと思います。
2階の廊下が体育館の床色(茶色よりのベージュ)になり、
父は子供部屋のカーペットも同様に体育館の床色にしようとしました。
その時、いたいけな少女だった私は見知らぬ小父さん(営業さん)を前に大人しくしていましたが、勇気出して声を上げました。
「わたし、ピンクがいい」
絶対、体育館の床色なんて嫌!
だって初めての自分だけの部屋です。
「花とゆめ」や「マーガレット」を読んで培った想像力は、少女にバラ色の部屋を
夢見させたのです。
なのに、なんで体育館の床色を敷き詰めなければならないのか!
少女のピンクを求める声に、
営業の坂田さん(仮)は音速の速さで、別の見本帳を取り出し、
「女の子だもんね、ピンクがいいよね」
私の声を拾ってくれたのです。
おそらくその見本帳はオプションであったと思います。
今ならわかる住宅ローンが頭の中で渦巻いていた父が決して手を出す事はなかったであろう見本帳には、色鮮やかなカーペットの見本があり、私の目はキラッキラに輝いたと推測されます。
11才の少女にとって「住宅ローン」など国語の教科書でも見た事はありません。
知らない世界なのです。
何種類かあったピンク系の中からローズピンクを選び、そっと父の顔をうかがえば、
「それがいいの?別にこれ(体育館の床色)でもいいじゃないか」
などとのたまわっており、私の幼い怒りに火をつけました。
お父さんのバカ!
何も解ってない!!
恐らく父の中では、私はまだ幼稚園児くらいのイメージで、
よもや自分からインテリアの主張をしてくるとは思っていなかったのでしょう。
しかし、女子の11才は、既に一人前のレディです。
いい感じの棒を振り回している同じ年の男子とは、別のステージにいるのです。
オプション(と思われる)カーペットを選んだ私に、坂田さん(仮)は
壁紙のカタログを出してきました。
「せっかくのピンクだから、壁紙も素敵なのにしましょう」
金額アップの瞬間を逃さない、素晴らしい営業力です。
施主の意向は軽やかに無視され、少女からの信頼を勝ち得ました。
そこには「ベルサイユのばら」の世界を現実にしたような素敵な花柄や、
「赤毛のアン」のような素朴は小花柄などがあり、それまで白い壁と砂壁しか知らなかった少女は、一瞬にして世界が開けたのです。
この時、それまで黙っていた母も身を乗り出してきたので、内なる少女が騒ぎ出したのでしょう。
母と共に吟味して、YUWAにあるような縦ストライプの小花柄の壁紙を選びました。
こんな感じです。
これは手持ちのYUWAの布です。
カーテンはピンクのゴブラン織りです。
11才の少女の部屋にしては、マダム趣味が過ぎたような気がしますが、
私は夢のような素敵な部屋にしてもらえて嬉しくて有頂天でした。
坂田さん(仮)あなたのおかげです。
どうもありがとう。
御恩は一生忘れません。
何が言いたいかと言いますと、
娘の部屋のカーペットを何も考えず「廊下と同じ色でいいだろう」的な適当さで
あろうことか体育館の床色にしようとした父は、40年経っても未だその所業を忘れてもらえず、娘に根に持たれている、という事です。
いいですか。娘を持つお父様方。
娘さんの部屋のインテリアは勝手に決めてはなりませんよ。
どうせ解らないだろう、なんて思ってはいけません。
ちゃんと選ばせてあげてください。
でないと一生「あの時、お父さんは私の好きにさせてくれなかった」と言われます。
私はこのエピソードを父の葬儀の時に披露する予定です。
いいですか?
死んでも尚、こすられるのです。
こうならない為にも、娘さんの希望に向き合ってあげてくださいね。
女の子の成長は速いものですよ。
両親の介助の為に地元に戻ってきました。
なんだかんだ言って、私はお父さんっ子です。
父が大好きなのです。