単なる時代風景を描いた読み物だと思って読んでもらいたい。

今日、23年前に日本で起きたとある事件の節目を迎えました。

地下鉄サリン事件。

当時のボクは、日比谷線の入谷を利用する地域に住んでおり、テレビでその事件を知った時は驚きを隠せませんでした。
といっても、一歩間違えれば自分も巻き込まれていたかも?なんて危機感はいまいち実感なく、
そもそも当日は専門学校の春休みを利用して実家に帰っていたので、驚いたといっても、結局はテレビの向こうの世界の気がした、というのも正直なところです。

数日後に東京に帰ってくると、気のせいか?
都会がちょっと異様な雰囲気だった印象だったのを覚えています。
各駅が厳戒態勢、ロッカーやゴミ箱がことごとく封鎖され、飲み水すら注意、みたいな状況。

まさかの、この時代に?この東京で?
って感じでした。


現代日本に生まれ育ったボクが肌でその印象を抱いたのは後に2011年に起きた東日本大震災とこれの二度だけです。

当時、ボクは自動車教習所に通っていて、毎日池袋からの送迎バスに乗って教習所に向かうのだけどバスの中で流れるニュース番組に釘付けになり、当時はインターネットも普及してなかったので新聞なんかもたくさん買いました。

ああ、その異様な雰囲気のエピソードの一つとして、
もう一度大きな事件が起きると世間で予想された日がある。
その日ボクはいつもの通り教習所のバスに乗るために池袋に降りたらデパートというデパートがおやすみになっていて、えええ!?とそれこそ事件そのもの影響を一番実感した日かも知れない。

以上、ボクが語れる当時なんてそんな程度で、
その他は皆さんが今でも知れる情報とさほど変わらないイチ都民の傍観に過ぎません。

でも、

23年経ち、今振り返ると、

当時のボクはどんな感覚でそれに対してエキサイティングしていたのだろうか?
事の重大さをどれだけ理解してたのだろうか?

と考えたりする。

長野の田舎から上京して2年経ち、ちょっと都会に小馴れてきて、社会というモノを意識する準備段階に入るお年頃。
でも青年と呼ぶにはまだちょっと早い、生意気盛りにボクにはきっとその事件にリアルティを持ててなかった気する。

同年は一月に阪神淡路大震災もあり、
日本はどうなるのか?って時。

きっとボクは自分の事しか想像できないアホでダメなガキだったなぁ、と思う。

じゃあ23年経った今なら何かできるのか?
と問われたら、また息が詰まってしまうけど、

いや、今の方が当時よりその事件にリアルティを想像できるからこそ、息が詰まるのかも知れない。

被害者の苦しみ、被害者家族の悲しみ、
人間の弱さ、ココロの闇、
マスコミの怖さ、集団と個人それぞれが持ってしまうチカラの恐ろしさ、その他、もっともっと。

それらを想うだけで、当時ワケのわからないエキサイティングをしてた自分を殴りたくなってくる。

でも、それが

オトナになる

って事なのかも知れない。
大切な事だと思う。

いま、その事件の何が正しくて?何が悪しきか?なんて一括りでクチにしようとは思わないけど、

あの時代、あの時、たしかにボクは存在してた。

そういう体験と記憶の中で

ヒトが悲しまないでいられる社会や暮らしのヒントを見つけていけたらよいなと思います。

どんな事もいまはピンとこなくても、若い解釈でも構わない。
でも忘れない事と、振り返り、成長した自分の感覚と照らし合わせるのも大事だなと思います。



では、まったく関係ない画像を添えて
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Miney