24日はクラブチッタ川崎でセッションバンド『Bio-造形するバイオ』でした。

これを行うにいたる経緯に関しては以前の記事にて。


まずはツイッターにも載せてないショットを記念サービス


寺子屋の10周年を御祝いするという大義と所縁があるにせよ
なぜかなんだか過去の作品を表現するっつーのは
バンド、特にヴィジュアル系ではデリケートな案件、
ぶっちゃけて言えばオリジナルメンバーではないだとか
当時のサウンドとの比較とか、
なにかしらの是非はあるにせよ、

魂を削ってこの世に創り出した音楽を
妥協の無いアーティスト達が表現する事に憚る事はなく。

今回『Bio-造形するバイオ』という作品を時を経て表現する事、
そこには当時は関わっていなかった人間(慎一郎くんやふうじくん、メイクスタッフなど)などが出来る部分の再現力と作品に対する彼らなりの解釈力、そして当時から関わっていたボクらの進化が惜しみなく注ぎ込まれ、
当時から伝えたかった“作品に内在するメッセージ”を色濃く映す事ができたと思います。

楽屋では当時を知る人、NoGoDのメンバーやケミカルピクチャーズのRuiや、もちろん寺澤氏がその懐かしさを喜んでくれて。
しかしまあ、ボクってば当時から老け顔だったので今回の違和感のなさったらない。

今とても仲良いけど当時を知らず初めて見る出演者には驚かれ、
意外にもセクアンのメンバーからなんかは新鮮だったらしくバンド名から食いつきがすごかった。
逆に福ちゃん。なんかはBTVでこんな感じの雰囲気の免疫があるので「おや?いつもの」ってな感じで微笑ましかった。

ルックスを含めても、今もまだ色褪せない、いや褪せさせない意志がボクらには溢れていました。

ライブは


想像以上にしっくりとくるもので
ボクらの中にこの楽曲の精神がまだまだ根付いている事を実感しました。

『Brand-new Bird』の決意を、
『所詮、蟲』の葛藤を、
『ウェンズデー-怪物は死ぬ事にした-』の絶望を、
『人の域へ-It's Integral-』の優しさを、
『テューズデー-怪物は幸福に満ちた-』の包容を、

慎一郎くんとふうじくんは見事なまでに表現してくれて、
なによりオーディエンスのみんなが1曲1曲を噛み締めているのがわかった。

演奏やサウンドも間違いなく進化していたし、
みんなが時間を止めてこなかったからこそ味わえる作品の真意がそこにはあったと思います。
まさにそれはBrand-new Bird = 新しい羽ばたきにさえ思えました。


『テューズデー-怪物は幸福に満ちた-』の歌詞の中にこんな一文があります。


「例えば明日ワタシが消えてしまったとしてもアナタは
絶望なんかしたりしないで歩んでいくの ねえ、誓える?」


また、ボクが当時『テューズデー-怪物は幸福に満ちた-』の歌詞のそばに添えたこんな散文があります。


「愛し続ける事は難しいけど、愛し直す事は何度でもできる。
そうやってボクらはいつだって敢然と“幸福”に向かうんだ。」


これは、今回のイベントの主催者である寺子屋の10年という月日の中にも
もちろんボクらの10年の中にも
今現在一生懸命生きている九州の地震の被災者の方々にさえ、
そしてみんなの日常にだって通じる

過去の絶望は必ず未来への幸福に繋がる、というメッセージであり

その証の片鱗をこの日のわずか30分弱の中でも実感する事ができたのではないだろうか?

ボクらが登場した時のキミ達の歓声と、
最後の曲で沢山の人が受けた感銘、
それに似た感情が
未来にもっと大きな形で感じられる日が来ます。

どうか、これからもボクらが残した作品を愛し続けてください。
ときには自分の意に反した失望や絶望、失意や幻滅めいた事が起きるかもしれないけど
足を止めるのはその翌日くらいにしてください。
そこからは必ず自分の足で歩み始めてください。

今回は素敵な再会と、初めて観た方には素敵な出会いをありがとう。

そして機会を与えてくれた寺子屋にありがとう。
さらなる発展を期待し、感謝を伝えます。






またいつか、さらなる幸福の中で。

ミネ