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光あるうちに光の中を歩め

生きることって?
突然の引きこもり人の独り言です。。。

ここ3~4年、老眼が進んだ(笑)こともあって大好きだった読書も激減していたのですが!

このところ何故かご縁あって読ませて戴いた2冊。

 

1冊は水俣病を題材にした大作「苦海浄土」で有名な石牟礼道子さんの「花の億土」、

もう1冊は交通事故でまぶたしか動かせなくなって会話補助器を使ってご主人と魂の会話をなさってドラマ化もされた松尾巻子さんのことが描かれている「巻子の言霊」。

奇しくも、水俣病の患者さんたちも、巻子さんも、自分たちに何の落ち度もないのに

突然身体の自由を奪われ過酷な状態にいらっしゃるのに
さらに、その過酷さを慮るよりも 効率的な生産性と数値が最優先の社会の対応、

つまりチッソや行政や保険会社の対応や水俣の周りの人の無知による無理解、

病院の対応など、二次的にも苦しい状況に追い込まれた方々のお話でした。

でも2冊とも その過酷な状況を潜らなくては普通はなかなか到達しえない奇跡の魂の記録であり、

沢山の改善すべき社会的問題点はあるけれども、今の私にとってはそれ以上に

人ってここまでなれるのか、という静かな感動と人の意識の繋がりの深さを感じさせられた本でした。

特に水俣病患者の方の
「もう人を恨んだり責めたりするのは辛いからチッソを許す、そして許すかわりに水俣病を全部私たちが背負うていきます」
と仰っていたところを読んだ時、理屈でなく自分が許されて救われた、と感じたのでした。

チベット密教でダライ・ラマ14世もなさっていることで有名な「トンレン」という本当に深くやるにはとても辛い難しい行がありますが、こういうことかー!!!とその瞬間頭をよぎりました。

それは、人の苦しみを黒い塊にして自分の胸に吸い込み綺麗に浄化して吐き出す、というもので、自分自身や愛する人から始まって最後は敵まで浄化するというもの。

あるチベットのリンポチェの称号をもつ高僧の方のお話では、本気で取り組んだら 見知らぬ他人の嘔吐した吐瀉物を口で吸い込む(汚ない話ですみません)より辛い行だそうで

 私にはとても出来ないけれど、くだんの水俣病の方はまさにそれをして下さったのだ、と思いました。

 

「もっと自分を満たして愛せ!」
とはどういうことなんだろう?

それから暫くして突然 本当の自分は最初からマインド(自我、エゴ)の全てを受け入れて愛して認めて許しているってことをまだマインドが納得しきっていなくて、彼女?がもっとちゃんとそのことを全て思い出して自分自身を魂に明け渡すときがきている、ということを伝えられているのかもしれない!と思い至りました。(笑)

魂とマインドが一つになって生まれ直すこと!

ゲームのレベル1のラスボス登場!!!

なぁんと自分のマインド(自我、エゴ)さんでした。

マインドは実は育ってくる過程で 悪いことしたり失敗したり迷惑かけたりしてはいけないって家庭を始めとする社会の調教の洗礼を受けてきて そんな優秀?じゃないから当然出来なくて、親からは怒られるし自分は認められない、愛されていないと拗ねまくってきました(笑)

本当は眞理子のマインド(自我、エゴ)自身が最も見たくなかったスルーしたかった自分自身、それはどんなに拗ねてもネガティブになっても我が儘を言っても悪いことをしても、そのままを許されて愛され認められたがっている甘えん坊な自分(笑)

それが親や社会に受け入れて貰えなくて、そのままの自分では、誰からも愛されないし認められないと勘違いして怖くて、お前は駄目なやつだ、!と自分で自分を責めてきていました!(笑)

愛されることを外(社会)に望んで 親や身近な人たち、一番愛して欲しいと思っていた人に

自分のプラスもマイナスも含めて存在を全て認めてほしかった小さな自分。

本当の自分に気づいてからは 最終的に外にそれを求めるのではないんだな、と気づいて随分以前とは変わったのだけれど、マインド(自我、エゴ)はま~だその存在を愛されて認められて許されていることをなかなか受け入れられなくて 自分が責められたり消されていなくなる、のではないかとどこかで怖がっているところがあった、いうことを断崖絶壁あと一歩後ろに下がったら落ちる、というところでようやく気づきました。

実はマインド(自我、エゴ)は最近は沸き上がってくる感情に素直になって拗ねたり(笑)しながらも ひっそりと裏で!?そんなことしたらダメやん!って自分をどこかで責めていたんです!


マジ面倒なややこしいやっちゃ!(大笑)

でも起こっている物事の流れやそれに対して沸き上がってくる感情にいい悪いはなくて、起こったことに対してマインドが何をしてもどう感じても 魂はそれを最初から受け止めていて ああ今はそう思ったのねー、って静かにただ、見守っているだけ!
マイナス(と思われている)感情をマインドが持つのは肉体にいる限り当たり前だから!
それでも本当の自分はマインドを愛して認めて許しているから

そのことに本当に気付けたらマインドは安心してマイナス(と思い込んでいるもの)に直面してきちんと感じることが出来てその感情はギフトとなって ハートの奥で瞬間完結出来るに違いない♪

このラスボスの攻略法?は、とにかくマインドがマインド自身を否定しないで 不安になることがあっても(i_i)\(^_^)よしよし、して、本当の自分が心の底からハグして受け入れていることを思い出すしかない!?(笑)

ただ、どうやらマインドの社会的洗脳?を解く(溶かす?)のは思ったより大変で、意識出来ない、気がつかないところで自分自身を受け入れられないでいるらしい。(笑)

まぁ だから、ラスボスをやっているのよね(*^3^)/~☆

 

最初は身体が動けなくなってから来るメッセージ、来るメッセージ、

「もっと自分を満たして愛せ!」

ってことばかりが続きました!

そんなに自分を否定しているつもりはないのに、、、

むしろ意識して気をつけてストーリーの流れを冷静に見ながらマインド(この場合は自我、エゴを指しています!)を受け入れてきたつもりだけど、、、 

一体何やねん?って!(*≧∀≦*)

人によって考え方が違うでしょうが、今の私にとってこの世で生きることは 魂が地球にやってきてマインドと身体と人生ストーリーを貰ってその役柄を演じているような、またはRPGゲームをやっているような感覚なのです。

ただ以前は身体とマインド(自我、エゴ)が自分自身で思考と感情も自分だと勘違いしていました。

でもあるとき突然、自分は一生懸命生きていたつもりだったしそこに嘘はないけれど、それはただマインド(自我、エゴ)がストーリーの表面の内容に翻弄されてアタフタしていただけで、本当にやりたかったことにはカスってもいなかった、と気付いて愕然としたのです。

あんなにショックだったことはなかった!(笑)

マインド(自我、エゴ)は本当の自分ではない!?

本当の自分がやりたかったのはストーリーの内容に振り回されることではなくて、ストーリーの中にいて起こる流れを静かに見つめながら 瞬間瞬間その中でどう在りたいのか?を知る、ということに尽きるのだと!

それからはあくまで等身大で出来るだけ、ですが なるべく人生の表面のストーリーに振り回されないように、ストーリーの流れを少し離れたところから眺めながらマインド(自我、エゴ)が流れのなかで起こることに対して考えたり、感じたりすることを静かに眺めて決して良いも悪いもジャッジしないで ただそうなんだ、と淡々と受け止めているもう一人の自分を意識出来るように、そしてマインド(自我、エゴ)が感じたことを認めてそれを味わったら即身成仏させられるように、と心を砕いてきたつもりでした。

ちなみに幸せ!とかプラスと思われている感情もそれが良いものと捉えるのはジャッジしていることだと思います。嬉しいも楽しいも幸福感も単にその瞬間、味わって手放せばいいだけのこと♪

そうやっていると、感情そのものに良いも悪いもなくて、喜怒哀楽の全てを感じられるそのこと自体がギフトなのだと感謝に包まれるのです。

だからとっても不思議だったのです!


「もっと自分を満たして愛せ!」
とはどういうことなんだろう?

つづく