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光あるうちに光の中を歩め

生きることって?
突然の引きこもり人の独り言です。。。


身体が未知を意識するようになると考えることや感じることまで未知との遭遇(笑)で、

なかなかサバイバルでともするとデンジャラスでもあるような

スペシャルな日々を過ごしておりました(笑)

本当は身体がそれなりに動いていたときだって全ての瞬間が未知との遭遇、

だったに違いないのに ちゃんと意識出来なかったから

もう少し楽に意識が出来るような世界に放り込まれたのかもしれません。

その中を旅しているうちに、


「つまり、全ては意識なんじゃん!たとえ一生この身体が社会的速度?に

合わせられるように動けなくても、あるいは杖も持てずに

車いすや寝たきりの状態になったとしても
意識がちゃんと自分自身であることには何の支障もないかもしれない


と理屈でなく思い至りました。

 


そして何より私はこの世界で本来の自分自身でありたい、と思って

生まれてきたことを思い出したのです(笑)←ちょっと不気味ループに入るかもだけれど!(笑)

実は幼いころあった感覚をどこかで封印している、と何故か折に触れ感じる人生でした。


それは突然のように ピアノを弾いてるとき、あるいは本を読んでいるときなどに

やってくる不思議な思いでその時は訳もわからず「変なの!」ってスルーしていた思い!!!


その封印は必ず解けるけれど今じゃない!焦らず待て!
との声がきこえてくる!?←ますます不気味ループ?(笑)

やっとやっと人生も最後の段になって 封印が解けるチャンスがやってきたのかもー!?(笑)

誰でもが持っていたに違いない懐かしい感覚


思い出して、取り戻して、と何か祈りのような思いが突き上げてくる!

それは 文字通り全身が震えるほど、こんなに真剣に祈ったことは

かつてなかったと思うほどの強い思い!


SNSにこの曲をシェアした彼女が何ゆえにどういうつもりで

「刺さる」という言葉を使ったのかはわかりません。



でもそれは、見事に今の私に刺さった、としか言い様のない感覚でした(笑)

病や障害など どんな身体の状況であっても意識を保てるのならば、
人生において本来の自分であることは出来るに違いないと思います



そのことを肌身に突き刺さるように意識せざるを得ない状況にあるから

「全身全霊僕でありたい」

という言葉が刺さったのかもしれません(* ´ ▽ ` *)

 

以前、お孫ちゃんたちと見ていた とある教育番組のエンディングがhi-posiのこの曲で、

子供向けの番組に凄い曲使うなぁ♪と思っていました♪

https://www.youtube.com/watch?v=1ebLmNHIWWE

つい最近、友だちがSNSでこの曲をシェアしていて凄く久しぶりに聴いたのです

彼女はこれが「刺さる」人がいるような気がするって載せていました。

 


今の状況とタイミングがハマったのか、私に刺さった(笑)



梅雨に続いて この夏の豪雨と猛暑とマインドのメンタル低下?により、

朝の散歩にも行けず、住んでいるマンション内の廊下などは歩くようにしていたのだけれど、

すっかり筋肉と体力が低下してしまい、ますます身動きが取れなくなってしまいました。



元々、状況や日によって時間の流れの速さ?が変わるように感じられるのは

万人が経験していることですが、、、

それまで5分で歩いていた距離を1時間かかってしまうとなると、一時が万事で

生活の全てがそのペースにならざるを得ない!(笑)

同じ場所にいながら、今までの時間軸とは全く違う時間軸の世界を旅しているような感覚で、

「障害を持つ」というのはあくまでも一般的と思われている生産性のある社会的な時間軸に合わせられる人々から見て単にそれと全く違う時間軸にいる人々に対して

「何らかの理由により 自分たちの流れの速さと極端に違っていて合わせられない」ことを

そう呼んでいるに過ぎないのかも?(勿論それだけではないにしても!)なんて

つくづく感じる今日この頃です(笑)



当然、今までスピードが速いのでつい見過ごしたり、わかっていてもスルーしてきたことに

じっくり向き合える、というか直面せざるを得なくて、、、



毎日,毎瞬が経験したことのない全く未知の連続!!!



歩く、座る、立つ、身体の体勢を変える、物を掴む、という超基本的な動作から始まって

身体や洗濯物やお皿を手を使って洗う、床を拭く、包丁で野菜を切る、、、など

当たり前のようにやってきたことが全て当たり前のように出来ない!


勿論、字を書く、パソコンのキーボードを打つ、言葉を話す、などの複雑な動きは

もっと思うように動かなくて、

いやいや人間てのは何と複雑な動きをいとも簡単にやってのけているのか、と感心するばかり!!!(笑)



で、今までの神経回路でプッツンしたところがいくつかあるらしくて 

そこは今までとは違う回路を作るしかない、と思うのだけれど、

どうも既にある決まったやり方やとっかかりは通用しないらしい!(笑)


頭でわかっていてもついつい長年親しんできた身体操作や治療方法を探してしまって

ことごとく討ち死にするばかり(爆笑)



マンションの廊下を2本の杖をついてカタツムリか亀よりトロくふらつきながら

ヨタヨタと徘徊する自分の姿を

何故かいつの間にか空中の視点から眺めていたりして


「なぁんて不器用なんだろう(*´艸`*)」


と笑いがこみ上げてくる。



考えたら、いい歳した初老?のおばはんが杖つきながら

ニマニマ笑いつつヨタヨタとくたびれた古いマンションの廊下を

行ったり来たりしている絵面なんて、不気味以外の何物でもないやん、

って我ながら可笑しくなって思わず声を出して笑ってしまい、

あっ、ヤバい、周りに人いないよな!ってあたりを見回す光景なんざ、

タモリの奇妙な物語にでも出てきそうなシーンだと

さらに可笑しくなります。←ますます不気味(爆笑)



とっても不便なことは確かだけれど意外にこの生活も楽しいやん、

なんてふと思ったりして、

あー引きこもり生活も長引くと頭も可笑しくなって、

もう何でもアリだなぁ(笑)と

もう一つ病院で新しい科に通わなくてはならない(笑)ことになったら

面倒くさい(病院疲れるので苦手!(笑))から

不気味ループ?にハマり過ぎないよう言動には気を付けようと

これでも一応思ってはおります。(*≧∀≦*)

 

つづく

 

よく言われるけれど 思っていたより人の意識って繋がっていて 目には見えないけれど、それぞれがお互いに影響しあっているのだなぁ、と感じました。

そして内にある意識が外の世界に現れて形作っている!
だから、外の世界で起きている出来事は争いや憎しみ合いでも平和や思いやりでも みんな一人一人の内なる意識にあるものなんだ、とつくづく感じたのでした。

ある意味理屈ではなく 実はチッソも水俣病も全ての人の内なる意識に両方あるのかもしれません。

つまり 人としてなくしてはならない部分を蹂躙して壊した側と何の罪もないのに理不尽に壊されてしまった側の両方!

戦争の勝者と敗者!
搾取する側と搾取される側!
交通事故の加害者と被害者!

自分の中にある真逆のもの。
実はそれらが色んな形を変えて外側の世界に現れているだけかもしれません。


そして人はその人生ストーリーのなかで何らかの形となって現れてくる自分の中にあるその二極化の真逆に両方同じだけ向き合って受け止める必要があるのだと思います。

それが出来たときに 表面上触れ合っているように見えて実は魂と魂で出逢えていない夫婦、親子も含めたあらゆる人間関係において 魂が触れ合って本当に出逢えるのかもしれない。

水俣病の方がチッソを許して下さったおかげで 私の中にあるチッソは 毒を海に流してそれが未だに自然を破壊して人を殺したり苦しめつづけている、という罪から逃げることなく安心して !?直面することが出来てその事実を受け止められたのです。


そうしたら相反する真逆のものが、私の中で出逢って消えました!

 

もともとなかったものだった、と思い出した、、、

そのあとには感謝の気持ちだけが残りました。


それはまるで花あかりのようでした♪



闇の反対の明るい光ではなく、提灯のようにあたりをぼぉっと照らしているお花のあかり!
石牟礼さんはそれを来世と表現なさいましたが! 


勿論チッソの毒と水俣病が三次元の物質的世界で無くなるわけではなくて、

チッソの罪は消えないしきっちり償っていかなくてはならないものだけれど!

でもチッソが効率的生産性最優先?の数字ばかり追う今の非人間的な社会システムとしてではなく、毒を流してなんの罪もない人々を殺したり苦しめたということに対して関係者の一人一人が人間としてちゃんと直面出来たならば その後の対応の仕方は絶対に変わると思います。



物質は全て 物質が生まれる以前の世界から生まれる。

だからあらゆるものは 物質の世界と物質が生まれる以前の世界の両方を同時に静かに見ている意識に繋がっている。

その意識が一番見たいのはこの花あかりかもしれない。

そしてその花あかりはたとえ病気や障害などで身体が動かなくても 社会的には何の生産性を持たなくても、肉体があるかぎりその意識のなかで作ることが出来て 意識で繋がっているあらゆるものに伝えて
還元して貢献することが出来るのだろうと思いました。



石牟礼さんが

「未来はあるかどうかはわからないけれど、希望ならばある。
文明の解体と創成期がいま生まれつつある瞬間ではないか。」


と遺言して亡くなったのが何とも救いです!


一縷の望みというか、希望というか、、、

一人一人が自分の中にある全てのものから目を反らさずに直面してその奥にある魂に出逢うこと。

お互いに余計なものは削ぎ落とした魂と魂が触れ合うことによってのみ生まれる「花あかり」

その「花あかり」があるかぎり希望があるのだ、と何故か胸にストンと落ちたのでした。



暑さの中、身動きの取れぬ引きこもりのたわごと、でしたm(_ _)m