ーとんとん機音日記ー -7ページ目

ーとんとん機音日記ー

山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記


 上掲のコラムは、昨年末にリリースされたロイター発信のものであるが、・・・Mohamad Bazzi氏の分析によるコラムを読む前に、わたしたち日本人にとって情報の薄い中東と云う地域について基礎知識を持っておくべきであろう。

サウジアラビアの未来-2030 年をみすえて-・・・保坂 修司


 先日パリで起きた危険の背景の一端がここにある。
イスラム原理主義とヨーロッパ(EU諸国)との対立というようなアングルで、パリの事件が映し出されていたが、それは多様なエレメントの一部分に過ぎないし、もし、いわゆるイスラム原理主義過激派と呼ばれる組織が一体となって連動して、対ヨーロッパ(EU諸国)にテロの嵐を見舞おうとしていたのならば、あの程度では到底すまなかったであろう。
 突発的な、あの規模の事件でも、パリは戦慄し、ヨーロッパは騒然となった。
それどころか、先進国と呼ばれる国のすべてが、自国で起きる可能性を検討した時に蒼白となったはずである。
 勿論、その蒼白になった国の中に日本も含まれている。

 中東の複雑さは、わたしたち日本人には、判りづらい。
まず、宗教対立と云う問題が、わたしたちには実感として理解できない。
「日本の、そういうところがいいのだ。」という意見もあるが、逆に日本の中で宗教は、“宗教ビジネス”としての存在感しかなくなってきているのだろう。
 そういう現代日本の精神風土の中で生きる身で、「相容れない宗教同士の対立」という現実や、同じ宗教の中でも「相容れない派同士の対立」と云うところは想像がつかない。

 日本は、隣国のカルト宗教や、他国からカルト認定されているような宗教でも、いわしの頭も信心・・・で、何を信じようが個人の信仰の自由なのだけれど、カルトを流布する自由を認めて、公の宗教法人格を与えるような社会は、このような厳格な宗教の枠がある国からすれば「狂人たちの国のように映るだろう。」・・・と、極端に言えば、それくらいの認識のギャップがあるということを理解せずに、イメージとして伝えられるイスラムをむやみに批判しても仕方がない。






●イスラエル⇔パレスチナ

●サウジの石油価格の下落戦略 ⇔ 米シェールオイル生産者

●シリアの内戦・・・
サウジとカタールがシリアの反体制派に武器を提供 ⇔ アサド政権を支えるロシアとイラン

●アラブ世界の伝統的な中核国であるエジプト、サウジアラビア、
 その他湾岸諸国はイランの影響力拡大に神経を尖らせてきた。
    ↓↑
●イラク政府に対する影響力の拡大
 イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラとイスラム原理主義組織ハマスに対する支援、
 シリアとの同盟関係

●中東情勢➠ ◎イラン対サウジの本格的代理戦争へと発展し、中東地域全体に広がっている。
      ↓↓↓
●ロシア+イラン⇔サウジ+アメリカ+EU

・・・この複雑な相関関係に加えて、
アルカイダ系テロ組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」が拠点を置くイエメンでは中国が電力やエネルギー、通信、インフラ建設などの分野で協力を結ぶという関係が構築されている。

イエメン、中国と関係強化 外相「発電所建設などで覚書」2013/12/10

原油価格急落の背景にはアメリカのシェールオイル増産があった!

 冒頭に示したMohamad Bazzi氏の分析による『コラム:サウジが仕掛ける「石油戦争」、制御不能リスクも』では、・・・
シリアとイラクで代理戦争を繰り広げることにより、サウジはロシアおよびイランとの石油戦争を引き起こすリスクを冒している。短期的にはサウジが勝利を収めるかもしれない。しかし宗派間の争い同様、サウジの行為はだれにも制御できない大火に発展する恐れを秘めている。
・・・と、警告を発していた。

 わたしは、皆さんと同じように、中東情勢に詳しいというわけではないし、この入り組んだ内情と、多くの難民問題など、それだけを見ても、眩暈がするほど、どことどこが、どうなって、何が原因で対立しているのかさえ、十分に把握できずに戸惑っているが、・・・

 あのパリの事件で、世界中の目がパリ、そしてヨーロッパに集まっていた時に、ひっそりと次のようなニュースが流れていたという事を、皆さんはご存知だろうか。?


中国、着々と「他国が支配を覆せない環境作り
 こういう様子を見ていると、世界は今、エネルギー獲得と資源獲得の熾烈な競争の中にいる。
 あの衝撃的であったパリの事件も、そういう断片の一端であろう。
当たり前の事だけど、どの国も、第一義的には自国の安全と安定と優位性の問題が大事である。
そういうものを獲得する戦略の中に、国際協調と云うものがあるのだから、多くの国では国民が、理想や理念と現実の乖離と云う部分は十分理解していることであろうと想う。

 昨年末の『戦争』の記事の中でも書いたことだけれど、理念である憲法九条の問題は、理念であるそれが、現実的に起こり得る、日本が紛争に巻き込まれる事態やパリの事件のような都市を舞台とした同時テロに即応できるような周辺法の整備が整っていない事が重大な事態を招きかねないし、そのような非常時には個人の人権や権利に対してある程度の制限が設けられるのが普通であるから、そういうところに懸念があるのならば、事前に十分に、そこを調整しておかなければならない。そうでないと、混乱した状態の中で白紙委任するというようなことになって、その方が問題が多い。

最後に、寒波で危機的な状況にあるシリア難民の人々の状態を紹介しておくが、今、寒さと飢えが。彼らを襲っている。

 彼らの状況を考えるには、日本で起きた・11の時に、どこがどれだけ被害を受けて、どこにどれだけの人が避難しているのかについて、政府が全く把握できず、寒い中で暖もとれず、食べ物も着るものもない状態で数日過ごした人々の事から、想像するといいと思う。

 有事対応が整っていないから、自然災害の場合も被災規模が大きく、広域に跨る時などでも、迅速に動き出せなかった。
表面的な主張にミスリードされて、有事の時に手痛い被害を被るのは、わたしたち自身なのだから、そういうことが有り得るという前提に立って、考えることが必要でしょうね。

 できることならば、
わたしはシリア難民の人々のような状態に陥りたくないです。
だって、紛争に巻き込まれるということは、こういうことなのだから・・・

パリの事件の真相が煙のように消えてしまった様に、
わたしたちが磐石と信じるものも、同じような幻なのかもしれないですね。


WFP(World Food Programme)
WFP(World Food Programme)の公式英文サイトですが、ここから、あなたが直接Syria Crisisの緊急食糧援助に協力できます。
● Syria Crisis: Families urgently need food assistance

Syria Crisis


●集団的自衛権
 国際連合憲章第51条に規定された国家の国際法上の権利である。
●国際法上の集団的自衛権の定義
 「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」に対して、
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」

●加盟国には、武力攻撃が発生した場合、安保理が必要な措置をとるまでの機関、「個別的又は集団的自衛」の固有の権利を行使することが認められている。

∴●予め想定した敵国から攻撃があった場合には集団的自衛権を行使して共同でその攻撃に対処する行為。


 自民党安倍政権に於いて、「集団的自衛権」の法制制度上の位置付けについて、その「行使」について数々の問題点が挙げられている。

「憲法九条を守れ」という論点の側は、この「集団的自衛権の行使」に反対なのだろうが、今日のように、韓国の竹島占拠を含め両国間の問題を韓国側が創出しているような事態や、中国の海洋支配の拡大行動など、両者と国境を接する日本に於いて、「有事」は、遠い国の紛争ではなく、起きても不思議でない現実の可能性となったという点で、従来のように観念的に平和や紛争について論じていた時点とは、大きく日本の立場が変化していると考えなくてはならないと思う。

 例えば「集団的自衛権の行使」を認めるということは、日本が戦争への道を突き進むということだと述べる人も居るが、・・・果たしてそうだろうか。?
 このような論点を述べる人々は、それ以前に、緊張関係を作り出している中国や韓国の行為に対して、糾弾すべきであろう。
なぜ、そうしないのかという事が疑問ではあるし、もし、日本が不測の事態で有事に対処しなければならなくなった時に、「その時、初めて、憲法解釈の問題から始まって、とこまでの措置が憲法で認められているのかを、緊急に国会を開いて議論せよ」と云う事なのだろうか。

 わたしたちにとって、「現実的な平和」とは、先ず第一に紛争に巻き込まれないことであり、第二には、仮に不幸にして、有事の事態に陥っても、拡大せずに早期に事態を収拾できることである。

 そのように現実面を考えれば、「憲法九条」は、国民の理念的なものであり、これによって現実的に紛争に巻き込まれないということではない。
「憲法九条」があるから日本は平和なのだ。・・・と云う理屈は、辛らつに言えば「蘇民将来子孫家門」と書いて掲げれば、疱瘡などの疫病神が避けてくれるといっているような迷信的なところはないだろうか。

 それに、「憲法九条を護持する。」という立場の人に、是非考えてもらいたいのは、3・11の原発災害の時に、民主党政権の菅直人は、首相の立場で「事故を起した東電福島第一原発のスタッフに対して、退避は認めないと言及をしている。」と云う点だ。

 千葉県市原市コスモ石油コンビナート火災や、JX日鉱日石エネルギー株式会社仙台製油所火災など、民間企業の沿岸部にある化学及び石油コンビナートも炎上爆発するなど甚大な被害を被った。順当に考えればそれによって化学物質の汚染も引き起こされていたはずである。
これらの、生産施設の社員は、炎上爆発する中で、鎮火するまで退避は許されなかったのか。

 化学・石油コンビナートの民間人の社員は、危険な状態に至れば退避していたのならば、原発で働く人々も同じように退避してはいけないのだろうか。?
  
東日本大震災-石油コンビナート災害に対する活動・・・総務省消防庁

原子力緊急事態宣言

原子力災害対策特別措置法(平成十一年十二月十七日法律第百五十六号)
第一章 総則
第八条  原子力事業者は、その原子力事業所ごとに、原子力防災組織を設置しなければならない。
2  原子力防災組織は、前条第一項の原子力事業者防災業務計画に従い、同項に規定する原子力災害の発生又は拡大を防止するために必要な業務を行う。
3  原子力事業者は、その原子力防災組織に、原子力規制委員会規則で定めるところにより、前項に規定する業務に従事する原子力防災要員を置かなければならない。


原子力災害対策特別措置法 第三章 原子力緊急事態宣言の発出及び原子力災害対策本部の設置等・・・を御精読いただきたい。

 3・11災害当時の、民主党政権の管直人は、首相の立場で宣言したのは、原子力災害対策特別措置法に基づく「原子力緊急事態宣言」である。
けれど、原子力事業者と政府機関は、その社会的責任や信頼関係に於いて、原子力災害(原子力災害が生ずる蓋然性を含む。)の拡大の防止を図るための措置として、原子力事業者防災業務計画の定めるところにより、緊急事態応急対策を実施しなければならないとされているが、・・・。

 ここで重大な点として注目しなければならないと思うのは、原子力緊急事態宣言に於いて、国家緊急事態宣言で議論されているような、いわゆる首相が民間人に対する人権の制限を加えることができるかどうかにかかるような、「民間企業社員である吉田所長以下東電スタップに加えた移動(退避)の制限や役務従事命令にようなものを、非常事態時に個人の自分の命や安全を優先する権利を超えて、出せるのかどうかと云う点である。」
 少なくとも、3・11災害当時の、民主党政権の菅直人は、首相の立場で原子力災害対策特別措置法上で明記されていないこのような領域にまで、拡大解釈して踏み越えて、「福島第一原発の東電スタッフの退避を認めない。」と言及している。

しかし、「憲法九条」があるから日本は平和なのだ。・・・と云う理屈を述べる人権派の人々にとって、こういう点はどのように考えるのかということが疑問である。
首相の立場で民主党の菅直人が行った、明確な法的根拠に欠ける「人権制限と云う人権侵害」を取り上げて問題にしようとはしない。
事実上、憲法違反の国家緊急権の行使の領域にまで踏み込んでいると捉えないのは何故なのだろう。?

民主党なら、『国家緊急権の行使』はOKで、
自民党なら、『国家緊急権の行使』に基づいた、『集団的自衛権』の確立は戦争に結びつくのか。?
どういう理屈なのだろう。?

民主党の菅直人と云う人は、薬害エイズ問題の時など、弱者の味方、人権や福祉の見識者というイメージ作りを積極的に行ってきた人であるが、このような重大な一線を簡単に踏み越える。
それにもまして、この度の場合に限れば「吉田所長以下の東電スタッフには退避の意思がなかった。」にもかかわらず、「退避しようとしたのを重大な事態なので、自分が押しとどめた。」と言い張るのだから、馬鹿に付ける薬はない。
 
政府事故調査委員会ヒアリング記録- 内閣官房

前述でも述べたように、平和を掲げて活動する人々が、なぜ、中国の領海侵犯や略奪的な違法操業や、尖閣諸島周辺での挑発行為に強く抗議しないのか。?
韓国の竹島の武力占拠に抗議しないのか。?
また、北朝鮮の拉致問題に犯罪的な人権侵害であると抗議しないのか。?
これらの国々の平和を危うくする行為に、抗議しないのか。?

人権や福祉の見識者というイメージ作りにやっきになっていた、民主党の菅直人が、簡単に民間人の人権に制限を加えて、「重大な被爆リスクを強要した」ように、平常時に語る理念や理想は、緊急時には簡単に揺らぐ。

 民主党政権は、原子力緊急事態宣言を宣言したものの、原子力災害対策特別措置法の 第五章 原子力災害事後対策に示された、政府として率先して対応すべき以下の内容を、然るべく実施できなかった。
 当時の事を、今となって考えれば、民主党政権が、吉田所長以下の東電スタッフや東電をを執拗に批判したのも、自分たちの無能をそのことで塗り隠す意図からだったのだろう。

(緊急事態応急対策及びその実施責任)
第二十六条  緊急事態応急対策は、次の事項について行うものとする。
一  原子力緊急事態宣言その他原子力災害に関する情報の伝達及び避難の勧告又は指示に関する事項
二  放射線量の測定その他原子力災害に関する情報の収集に関する事項
三  被災者の救難、救助その他保護に関する事項
六  緊急輸送の確保に関する事項
七  食糧、医薬品その他の物資の確保、居住者等の被ばく放射線量の測定、放射性物質による汚染の除去その他の応急措置の実施に関する事項

 3・11の時も、そうであったが、震災の復興や、原発災害の幾つもの問題について、・・・結局は、反原発運動と推進派の綱引きになった。
そのような、現実的な救済や対応から逸脱したような対立の動きによって、特に、原発災害については、「十分わからないことを、わからないとした上でのリスクコントロールが、当時の民主党政権の方針によって初期に行われなかったことが、今となっては禍根を残す。」

福島 子ども4人、2回目検査で「甲状腺がんの疑い」 

思い返してみるといい、草の根選挙で、政権交代まで行えた。
民主主義的な政権ができた。・・・といって、民主党政権を賞賛した人たち。
そして、この時に民主党に一票を投じた人たち。

加えて、「憲法九条」があるから日本は平和なのだ。・・・と信じる人たち。
また、安倍政権が掲げる集団的自衛権の容認は、日本を戦争に導くと信じる人たち。

 どのような政権になっても非常時の事を現実的な問題として考えて詰めておかずに、もし、其の時に至ったら、その政権の解釈に委ねるという愚を再び犯す事は危ういと、民主党菅政権のときに懲りたのではないだろうか。


 ほんとうに、日本を平和な国であるように保ちたいのならば、現実的に紛争に巻き込まれる有事を想定して、あらゆる手段で「平和の確立」を考えるべきではないだろうか。?
 その意味では、有事に対応できる国の体制を整えるということも、ひとつの選択肢であろうし、沖縄知事選挙の時に、喜納昌吉氏が言及していた、東及び南アジアの海域を中心とした地域の紛争リスクに対応できる、国連の部門機関を創出して沖縄、或いは日本のどこかに誘致して設置するという事もひとつの選択肢であろう。他にもいろいろあるだろうが、やはり、現実的には、これら色んな事を複合的な平和維持機能として考えてゆかなければならないと思う。

それとも、紛争の可能性を考えられない皆さんは、「平和憲法護持・憲法九条急々如律令・戦争退散加持」とでも書いた御札を貼って呪いで紛争に巻き込まれないように祈って避けますか。?



栃木県では、8億円借り入れ問題で渡辺喜美氏に東京地検特捜部が事情聴取という事なのらしいけれど、群馬県では、小渕優子・前経済産業相の関係先が、パソコンのハードディスクをドリルで破壊して不正な金銭収支のデータ隠蔽して逃げ切りか。?
是も非もなく利益誘導で候補者と地域が一体となった「群馬の選挙」のすごさには驚くばかり。


 政治団体「小渕優子後援会」の女性部部長が企画したと言うことですが『参加者から集めた会費が合わせて740万円だった一方、劇場に対する支払いは3300万円を超えていた。』ということだから、単純に考えると『ー2560万円』分は、どこから手立てしていたのかと言うことになります。
そして、もっと単純に言うなら『これは票の買収に近いものじゃないですか。』

 普通ならね。保守の中でも批判が起こって対立候補がでてきても良いような、『あからさま過ぎる状態』ですからね。
地域の有権者の中で自浄機能が欠如してるとしか思えないような結果になりました。

衆議院議員選挙の小選挙区図群馬県選挙管理委員会
群馬第5区
高崎市(旧榛名町・倉渕村・箕郷町・群馬町の区域)・渋川市(旧渋川市・子持村・小野上村・伊香保町の区域)・富岡市・安中市・北群馬郡・甘楽郡・吾妻郡


 田舎と言うか、地方には“財源がない。”…だから、『国から如何にしてお金を毟り取ってくるのか。』というところで、住民個々の利害や思惑、各種の団体の思惑、選挙区内の市町村の思惑、地方政界の思惑が、一蓮托生の癒着というのか、芋蔓式の連鎖をしているという構造があるというところが、自民党小渕優子議員の地盤では顕著にでていて、ここまで絵に書いたように鮮やかだと注目に値すると思う。


小渕氏側が実質支援の伊能氏、群馬・中之条町長に初当選2014年12月1日朝日新聞

 こういう例から、『だから、田舎は閉鎖的。』とか、『だから、田舎は保守的。』とかいわれるのだけれど、・・・小渕氏側が…というよりも、地元が守りたかった、このような『一蓮托生の癒着というのか、芋蔓式の連鎖をしている利権構造』は、閉鎖的な地域性の産物ではあるけれど、ナショナリズム的な保守性とは、また別個のものである。

 地方財源と自治の視点から、下に示した総務省自治財政局作成の「平成26年度 不交付団体の状況」と言う文書を見てみると、道府県では東京都のみ、そして市町村では合計54団体という状況である。
 つまり、これら以外の全国の多くの道府県と市町村は、『地方交付税は、本来地方の税収入とすべきであるが、団体間の財源の不均衡を調整し、すべての地方団体が一定の水準を維持しうるよう財源を保障する見地から…』という理由で、主軸の財源を国に握られて“平等”にこの天下りのお金を交付されているのである。

 でも、視点を変えれば、『縛りのない独自の財源があってこその自治でしょう。』という見解もある。
 また、裏を返せば『“平等”に降りてくる天下りのお金』である限り、政策的成果によって、住民にとって他所より有利な生活基盤の条件を備えることによって人口を増やそうとか、成果を競うとか、結果を重要視するとかいう論点は棚上げされて、『行政と各種地域団体と住民が、一蓮托生の癒着の関係をつくり、芋蔓式の連鎖をしている利権構造で、仲良く分配しあっているのである。』だから、揶揄される、赤旗紙の『一定の成果があった。』という表現のような、実質的な成果に関係なく、『みんなで、協力して努力した証拠写真』のような成果が手当てできていれば、意義のある税金の使い方の一例としてカウントされてしまうのだから、いくらお金があっても足りないことになる。

 そういうところに比して、独自の財源があるこれらの不交付団体は、やりようによっては少しましな未来が描けているのかもしれない。
 例えば、電力関連の財源だけれども、群馬県の上野村などは、それで自治的な独立を保っている。また、そういう意味では裕福な自治体同士の合併なら、合併した自治体でも少しはましな未来が描けるのかもしれない。

「昭和 40年 6月から平成 17年 6月までの 10期40年を務めた黒澤丈夫上野村長は合併には反対の立場であり、その理由として、基礎自治体における住民の協力や団結心が低下すること、人口規模の大きい都市との合併では人口の少ない地域は選出できる代議員が少なくなり自治権を失うことなどを挙げていた。上野村長の在任期間の長さに加え、全国町村会会長も 2期 4年務めるなど有力な政治家であった黒澤村長の村長のリーダーシップが、上野村が合併を検討しなかったことに大きく影響していると考えられるが、議会もこれに同意し、また住民からも合併を求める声が大きく上がることはなかったようである。」…市町村の財政運営(3) 市町村合併と過疎問題より


 それらの処を、財務総合政策研究所研究部 研究員 岡部真也氏の「市町村の財政運営(1)~(3)」を参考にさせていただいて考えてみると、ある意味で目から鱗の日本の未来が見えてくる。

 結局、今日謂われる「自治体の消滅」ということが想定される背景には、自治体財政の問題も無縁ではない、それに、もっと端的に謂うとですね。「いわゆる過疎地や過疎地化してゆく地域には、働ける場所は、自治体か、自治体関連の事業か、農協か、保育所や学校か、福祉関連の事業か…」という所しかないということになっていて……。
 農協さん以外は、悪い冗談じゃないのですけれど、『行政という産業』が地域で一番雇用生み、あとは福祉介護関連か、行政が主導して助成金でつくった『地域づくり団体』などの小額の役付き手当てを持ち回りで別け合うというような感じですからね。
 このような世紀末な状態にまで至ったら、自治労の巣窟になっていて、人件費で予算を食いつぶすだけの自治体は必要かという話しになってくることも一理あることです。
 燃費は悪いし、どうやらタンクに穴が開いていて、社会資本を充実させるための大切な資金が訳のわからないところへ使われて消えてゆく、おまけに、スピードが出ないから、何をさせても出来が悪いし遅い。…こういうことになってきていたら、そういう地域から脱出することを考えたほうがいいかもしれません。

「自治体の消滅」が危惧されると云われた自治体で、対策会議がもたれたそうですが・・・そう簡単に、都市部から若い層が移住してくるでしょうか。?

 ほんとうに、『何とかしなけりゃ。』と思うのなら・・・
一過性の問題ではない『暮らしやすい環境』と、『就労雇用』と、『都市部以上の有利な条件』が持続できるような地域の基盤があるのなら・・・可能性もなくはないですが、そういう地域なら、都市部への人口流出も多くはなかったハズ。・・・だから、これは斬新なアイデアがないままで続けると堂々巡りになりますね。

 人類が滅亡した後の都市で、ロボットだけが働きつづけるというようなSF映画のように、高齢化した住民のほとんどが、介護施設やグループホームに入所してしまって、誰もいない市町村で行政だけが生きつづけるというような日が来るのでしょうか。?

 今回の衆議院選挙から伺えた・・・ひとコマ。
優秀で親切な職員が多い小さな世帯の自治体で、癒着や馴れ合い無しの、まともな自治行政と議会があるような自治体ならば、多少の現実には目を瞑って、移り住む人も出てくるかもしれませんね。



平成26年度 普通交付税の算定結果等-総務省自治財政局交付税課
平成26年度 不交付団体の状況

市町村の財政運営(1) 市町村税の「税収格差」- 財務省
市町村の財政運営(2) 増収時の支出と起債- 財務省
市町村の財政運営(3) 市町村合併と過疎問題- 財務省

八ッ場ダムニュース「固定資産税は26億円 上野村で発電所稼動」(上毛新聞)