- 蚕具洗い -
三月の末を少し余して、この作業を終えました。
洗っているのは蚕箔(さんぱく/Sanpaku)というもの。
蚕箔は、平らな竹籠のようなもので、この上で蚕を飼うものです。
伝統的な養蚕法では蚕箔には、地域差があって、大きさや形が違う。
また、用いられている竹材の種類や使い方から、植物利用の文化や、籠編みの美意識などが垣間見れて面白いところがある。
去年使った後に洗って仕舞っておいたものを、今年再び使う前に水洗いしながら、修理が必要なものなど・・・難点があるものと使うものとに分ける作業も、この蚕具洗いの時に、同時にやりますが、川の水は、まだまだ冷たく、なかなが、つらい作業。
けれど、例年と違って、この日は陽射しが暖かかったので、天日干しも捗りました。
- 生々流転 -
時代の流れの中で、“今”という時期は、変化の節目なのか、ニュースのなかにも「伝承」という言葉を目にすることが多くなった。
先日も“奥秩父・三峰の神代神楽保存会”が解散することを伝えたニュース流れていた。
それは、集落に伝わった神楽と云う芸能を、集落コミュニティーが衰退して若年の後継者も望めないので保存会を解散するというニュースだった。
「高齢化」が引き金になって「伝承」と云う問題に切実に直面したということなのだけれど・・・。
多分、昔なら、こういうものには、集落に生まれ育った子供たちが、当たり前のように馴染み、見て習い覚えたのだろう。
それが、学校と云う場の“郷土学習”というようなプログラムを通してということでしか、神楽舞に子供たちが接することをしなくなってきた。
そして、更に時間がたった今日、極端な高齢化で、集落に子供が居なくなったので、若年の後継者も望めないということが動かし難くなった。
だから、“奥秩父・三峰の神代神楽保存会の解散”のことは、保存会の人々の賢明な判断をされたのであろうと思う。これには感無量の切なさは残るけれど、集落と云う場で生活を営んだリアリティーを持たないところに形骸的なものが残ることも忍びないというような立場にたった英断であったのだろうと想像する。
だって、集落と云う場での生活と集落の文化は表裏一体で切り離せない。
だから、山間部の集落と云うものが衰退の一途を辿る今日、集落の文化も衰退し廃絶する事も止むを得まい、少なくとも、都会中心の政治・経済・文化に沿わせることを公共の利益として日本全体が歩んできたのだから、・・・残念だけど随って自明の結末である。
しかし、春が来て、いつものように季節は又廻るから、尚更のこと寂しくなりますね。



