このところ、作業の合間に、木製器械繰絲機の陶製部品の資料整理をやっています。
クリーニング・計測・分類・撮影・ラベリング・リスト作り・実測図の作成・・・仕事は尽きない。
火の気のない処で、水を使ったクリーニングは、この寒さのなかでやるのはつらい仕事・・・。
だいたい、冬場は“コタツから出れない症候群”という重い病を患う身には、先が思いやられるのだけれど、少しづつでも進めないと、後々の予定に支障が出るから、がんばってやってます。
本来は、こういう工業生産分野は、「隣は何をする人ぞ。」というくらい、近いけれど、あまり興味のないところ。
文字にすれば「近代生産技術の受容」の8文字か、「近代工業技術の受容」の9文字で、さらりとスルーしてしまうところなのですけれど、資料をじっくりと眺めていると、そんな僅か数文字の中には納まりきらない、なかなか面白い多くの示唆が含まれている。
資料は、いわゆる生絲の生産用具なのだけれど、絹を扱う位置にあるところだけでなく、こういう用具の製作者が、絹の生産技術を咀嚼して受容しなければ、道具ができてこない。
具体的には、木工指物や、鐵部品、真鍮、陶器、ガラスなど、直接的に絹に関係ない分野の製造の現場で、絹の生産技術の受容が行われないと絹ができないという関係は、それを頭の中で思い浮かべると、変わった昆虫の奇妙な動作を見つけた時のような、可笑しみが込み上げてくる。
だって、それは、ちょっと斜めから観察すると、正面から視たらどっしりと成り立っているように感じたものが、角度を変えて斜めから視たりすると、危うい接点で支えあっていたというような、とってもアンビリバボーなノンロジカリティーとでも呼ぶべき奇観だからであるのだけれど、・・・
今の世でも、あっという間に脆く崩れ去る様をまのあたりにしているのだから、なんだかね。
人とはなんだろうかと、ついつい思いに耽り、ふと気づくと作業の手が止まっている。