landslide disaster -森林崩壊・水源地の荒廃- | ーとんとん機音日記ー

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山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記

2014 三重県津市美杉町川上の台風11号の被害より

2014 三重県津市美杉町川上の台風11号の被害-001

 2014年8月9日 三重県に大雨特別警報が発令され、それを受けて三重県は県民の3分の1に当たる56万人超に避難指示を出した。



 台風11号のもたらした風雨は、三重県津市美杉町川上でも、結構すごいものでした。

 この地域の防災連絡を通達するシステムは、通達が数少ない拡声器から放送されて流れてくる。
 こういうときに、いつも思うのだけれども、このシステムには随分お金がかけられているのだろうけれど、「残念なことに、これが全く役に立たない。」
 設置したときの評価では、「災害時の緊急時に効果的に機能する。」と確認されたのだろうかと、疑問に思う。
 だって、コレ、山間部の谷間という場所のロケーションを全く考慮されていないから、山と山に放送が反射しあって、平穏な時でも「何を言っているのか聞き取れない。」それに、川の流れの音は結構な音圧をもつ、低音域の音だから、余計に聞き取りづらくなる。ましてや、風雨が吹き荒れる中では、家の外に出て注意深く聴いたとしても、その内容を把握することがとても困難なのです。


2014 三重県津市美杉町川上の台風11号の被害-002

 つまり、小さなことなのだけれども、地方自治体のトップが「地域の防災には心がけている」と選挙の時なんかに言うのだけれど、実際には、こんな単なる防災放送の設備のことだけでも、「災害時の緊急性を鑑みた適切な機能が担保されていない。」というところが実情なので、せっかく経費をかけて策定した災害時マニュアルの実効的な機能は疑わしいと推察してしまうのも人情であろう。

 幸いなことに、毎年、大雨が降ると危険で渡れなかった風情のあるあの橋は改修されて、河川の流れはスムーズになった。
それでも、今回の雨はすごい量で、川は溢れんばかりになっていた。

 すこし、音楽を聴くことが好きであったり、コンサートに出かけることが好きであったりしたら、常識的にわかることだが、山と山が壁面になって、ピンポンディレイがエフェクトされた状況で、MC訓練も受けていない滑舌の悪いアナウンスを音質の悪いホーンスピーカーから大音量で放送しても、「ちゃんと内容が聴きとれるハズがない。」と云う単純な事実すら、検証して適切なかたちに改められないということが、結局、なにかのときに大きなトラブルやリスクを引き起こすきっかけになっているということは、今まで起こった多くの大事故などで事後の検証が行われたときに浮上してくる「対応の不備」とか呼ばれるものなのだが・・・・・・。

 けれども、それは、避けようもない不測の事故だったのではなく。
単純に、担当者の能力の欠如や専門的な見地からの想像力の欠如や、特に許せないのは「単なる怠慢」であったりするという所なのでしょうね。



 三重県津市美杉町川上でも台風11号の豪雨によって山の斜面滑落の被害が起きている。

 でも幸いに、この場所は人家と離れた場所であるので、人身を巻き込んだ被害にはならなかったけれども、崩れた樹木や土砂が渓流を覆い、その下を水流が潜り抜けてくるというような状態で留まっている。
 そういう状態になっているのは、植林された杉の木が多く含まれているから、土砂を支える橋梁のようになっているのだろうと思う。


 上掲の岐阜新聞の記事でも指摘されている「戦時強制伐採、戦後の拡大造林。その場しのぎの林政の結果、木材自給率は約20%。森林は荒廃が進み、水源かん養や災害防止、地球温暖化を防ぐ二酸化炭素(CO2)吸収といった公益的機能も低下する一方だ。」と云うような構造は、林業だけでなく、養蚕の中にもあった。そして、農業の中にもある。
 このような“個人の人の営み”が、“もっと大きな構造を支えて安定させている。”というような現象に価値を見出すべきであるという指摘は尤もな事である。

 しかしながら、ここには産業構造の問題であっても、生態系のような、原因の連鎖と結果の連鎖が存在し、複雑系の連鎖と相関が関与している様相を示している。
 そして、そもそも、人が治山治水というようなアクションを起こさなければならなくなった起源は、いったいどのようなできごとからだったのだろうか。?

 近くは、江戸期初頭の乱伐や鉱山開発による毒水流出などが思い起こされる。

 「勢和鉄道速成に関する建議案」が帝国議会衆議院に提出された大正9年の新聞記事に、三重県の薪炭木材がほぼ切り尽くされた状態になったと報じるものがある。それに由れば、70000ヘクタールの面積の森林が乱伐によって、茨、笹、柴等に占領され、甚だしく荒廃に委した状態になっていると云う事を述べている。
 三重県の現在の森林面積は、373千haということだから、それに当てはめれば五分の一強の面積が禿山状態の山で占められているというような事だ。
 もしこの時に、勢和鉄道の敷設が実現していたら、桜井から松阪まで荒廃した山々を縫って近代化の象徴である汽車が走り抜けたという光景が写真に記録されたことであろう。


 紀伊半島山間部の森林の荒廃は、三重県の事例が示すように大正9年頃に起こってきた問題ではなくて、明治維新を起源とし大正年間の初頭頃に、どうやら枯渇が明白になってきてピークを迎えたようである。

 その事を如實に物語るものに、大正5年の大阪朝日新聞に和歌山県勧業課主任属 大島芳太郎の談として掲載された特集記事があるが、この記事の内容は、現代の生態系保全型森林管理の指針としても十分に通用する知見と視点を有していることに驚かされる。
 その内容は「林業の今昔」から説き起こして、「郷土の装飾(景観)と森林」,「山と水の関係」,「富力(木材資源)の開発と森林」,「魚と木」,「自治の開発と森林」,「公有林野整理」という項目で要点を簡潔に整理して論じている。
 大島芳太郎は、当時の山林の荒廃ぶりを、「然れども如何なる悪風の吹き廻しにや維新以来林政痛く弛廃し、濫伐暴採頻に行われ古来山の本場を以て鳴れる熊野地方の如きすら三千六百峰森林らしき森林其の跡を絶つに至り・・・」というように記していた。
 このことからしても、前述の三重県の森林資源の枯渇を報じた新聞記事の内容は、決して誇張されたものではなく、控えめに見た事実を報じたに過ぎないものだとさえ思う。


 そして、98年の時が過ぎ、大島芳太郎が論じたような問題は解消されて、健全な営林が行われ、林業は多様な木材資源を活用し潤っているだろうか。
 また、林業経営が健全に営まれ、その結果、森林の治水機能や郷土の景観の保全、多様な生物層の維持や、豊かな水産資源を生み出す機能や、耕地を安定して潤す機能などの様々な社会的な機能を担保すると同時に、森林資源の活用は豊かに発展して来れただろうか。


「 伝え聞く熊沢蕃山先生の治水論に山は国に在りて第一に高きものなり、乃ち君主の象なり、山の草木尽きて土砂の川谷に落つるは上たる人の富貴を失いて下に隆るが如し、山にして荒廃せんか軈て国家の衰亡を表徴す、君国を思うもの一日も山を忘れ、林業を粗略にすべからずと、之れ真に万古を照して朽ちざるの金言であると思う。」と彼の人、大島芳太郎は言う。

 林業経営が健全に営まれ、その結果、森林の治水機能や郷土の景観の保全、多様な生物層の維持や、豊かな水産資源を生み出す機能や、耕を安定して潤す機能などの様々な社会的な機能を担保すると同時に、森林資源の活用を豊かに発展させてゆくことについて、大島芳太郎は、「それはコモンセンス(社会良識とそれによる秩序維持)によって営まれる自治の問題だ」と指摘する。

 わたしは、我が国の環境思想史についてなんていう事は、調べたこともないけれど、つまり、環境保全や森林機能の維持を担う自治と、それをつくり上げるコモンセンスや社会メンバーのモラルについて言及している点で、大島芳太郎が論じた「愛林思想」は、極めて先駆的なものなのではないだろうか。
 一般に、こういう分野の前衛は、環境問題系左派や、ドイツ緑の党から影響を受けた左派思想にシンパシィを持つ人々だという漠然としたイメージがあるが、全くそれは間違っていて、短文の小論ではあるけれど、「ひとがどのような価値観を持ち、どのような営みを行うのか」によって、森林は大きな影響を受け、担保することを期待される様々な機能が失われてしまうことも起こり得るという分析にもとづいて、ひとの営みと森林の機能の関係を明確に打ち出した」、大島芳太郎の方が、簡潔に整理されていて社会思想としても先行する位置にある。
 逆に言えば、社会が未だにその論が指し示す調和の思想を、現実的なものとして租借できておらず、システマチックなものになっていないままで、各人・各団体が入り乱れて、約百年前の知見を超えることのない凡庸なプロパガンダを繰り返しているに過ぎない。


 「祖先から受け継いだ山林を守るのは自分たちの責務であり,経済的に採算が合わなくても,守り続け,自分の代でダメにするわけにはいかない」と考える世代が高齢化で引退し、「世代交代した次の世代はもう農林家というよりサラリーマンとなっている場合が多く,林業に対する思い入れが前世代とは大きく違っており,あまりお金にならず手間ばかりかかる山林を,担っていかなければならない負の遺産として捕らえるようになってきたのだろう。」と「森林組合員の林業経営意識と組合経営の課題と展望 ―組合員アンケートの結果を踏まえて―」の中に記されているが、高齢化した世代が馴染んでいた「祖先から受け継いだ山林を守るのは自分たちの責務であり,経済的に採算が合わなくても,守り続け,自分の代でダメにするわけにはいかない」と言うような価値観は大島芳太郎が説く「愛林思想」と呼応するように、「経済的な損得で判断するべきでない価値」が含まれているということに携わっている者の自負が感じ取れる。

 しかしながら、
深刻な問題は、森林の治水機能や郷土の景観の保全、多様な生物層の維持や、豊かな水産資源を生み出す機能や、耕地を安定して潤す機能などの様々な社会的な機能を、林業家の価値観や自負に頼って得ていた社会が、それが世代交代によって失われたことを悟ったときに、いったい何ができようかと云う処なのだろう。

 この点を考える上で、『近世後期国学における「産霊」の思想について』を著された桑原恵氏の『環境問題の視点から見た「日本人の自然観」』というレジュメがよく整理されていて面白い。


「江戸時代は、エコ社会の模範か?」という知の挑発から始まる、そのレジュメは、検討し検証することを促しながら、「己の欲望の赴くまま森林資源を貪り尽す、無規範な庶民の生産活動の姿を浮き彫りにする。」 ・・・そのようなファンキーな知の挑発の末に、現前させたかった事とは何だろうかと云うことを考える。

 つまり、それは「神話の終焉」であろう。
いくつかの思想史上の例を挙げて示されているが、その基調を成しているのが日本文化の場合では「ムスビの思想」であるということであるが、江戸期に入った辺りから、すでに「神之手の内に暮らす営みが破綻していたことを明らかにしている。」

 この時から、わたしたちは、好む好まざるを選ばず、応否の余地を与えられない状態で、「神に成り代わり、神の仕事の一部を担わなければならない羽目に陥った。」
 この窮状を乗り切るためには、前述のレジュメの中で二宮翁夜話から咀嚼して示しておられる部分を引用させていただくが、・・・「人間が天に逆らって存在できないのは、前提。→では、どうすればいいの?→水車の回るが如く努力すること(人道)が重要と説く。→人道とは。?→ 天の理に従い種を蒔き、→ 天の理に逆らい雑草を抜く。」と云うようなことが大きな示唆となるのであろう。

 大島芳太郎の論が、突然彗星の如く顕れたのではないし、勿論、紀州実学との関係も深いであろう。だから、大島芳太郎の論が先駆的なところは、二宮翁等の先行する人々が、個の器の度量や個の悟る深度にまかせて置いた処の要素を、“そこに帰属するメンバーの質を如実に反映する社会システムの問題”と云うような位置に引きずり出したところであろう。

 結局、今明らかになっているのは、「98年前の大島芳太郎が論じた時点から、問題は一向に進展せずに放置され続けてきた。」というところだが、しかし、もしかしたら、もっと以前の江戸期の時点からと理解した方がいいのかもしれない。
 前述のように、人の営みが神々の深慮の所産である“ムスビ”を突き破るように、拮抗点を超えて、その外へと踏み出したときに現前してきた“自らが破壊の鬼神そのものであった”という問題は、神話の中でもすでに扱われているモチーフではあるけれど、それは今時のスピリチャルな人々が言うような荒唐無稽なものでもなく、心の問題や癒しというような思考停止や行動停止のカルトでもない。
 そのような、もやりとした捉えどころがないものについて考えていても仕方がないし、そこから森林の価値をいうのは、ここから大阪に行くのに、中部国際空港からヨーロッパ便に乗って、地球を一周して関空から大阪に行くようなプロセスを採るようなものである。


 兎に角、わたしたちは、とても厄介な局面に立っている。今まで、小手先のすり替え論理で、その時々をやり過ごしてきたツケが、どうやら清算の時期に至っているようだ。
 養蚕と製絲の分野でも、市場の要求するところに応えて走り続けてきた結果、国内のシュアさえ無くし、端的に言えば、その生産が市場に全く影響力を発揮できない全崩壊の状態である。
それでも、世界有数の研究蓄積が遺されたことが、不幸中の幸いだと慰めることができようが、あまりにも悲しい末路である。
 もし、どこか、いづれかの時点で適正規模の持続にシフトできたなら、もう少し何とかなっていたようにも思うが、実際問題として、経済に従属して、技術や思想や文化があるような現代的な風潮の元では、それも難しいことであったであろうと思う。

 そのことと同様に、従来の経済優先の価値観やシステムに沿った中では、有効に機能するものをつくり上げるのは、とても難しい。

 広島の土石流災害でも、避難勧告の時期が遅れたとかいう問題が出ているが、地方行政の組織の中で防災の専門家が決定権のあるポジションを持っている例は無く、専門家がいても嘱託の立場であるから、踏み込んでも助言に留まらざるをえない。
 べつに、わたしは行政を庇う訳ではないが、その様な組織に責任を委ねて、「何かあったら、行政が何とかしてくれる。その指示にして従っていれば大丈夫だ。」と思うほうが、どうかしていると思う。
 職務に誠実な実務の担当者の存在と、組織の思惑や保身的な行動原理を別個のものとして冷静に見極めるべきだと思う。

 避難所開設、毛布や食料などの物資、人員の動因・・・これらすべて予算とにらめっこで、できるだけ経費は少なく問題も起こさず・・・と進んでゆく行政の災害対策の現場が多いことも知っておくべきであろう。
 しかし、それもしかっりやっていて、踏み込んだ決断ができる組織であるのなら、それは被災者にとっては大いに役に立つ。

 もしほうんとうに、行政を災害時に有効に使える組織にするならば、災害時計画の策定を住民側が主導しゆくくらいの牽引力を発揮できる自治が必要なのだと思う。

 いづれにしても、自治が正常に機能していないところに、有効な防災の機能をつくり上げることはできない。
 森林や水源地の荒廃は、即ち、その国や地域の自治の荒廃であると言ってもいいのではなかろうか。


 もうすこし、三重県でも最近できた森林税の事などに踏み込んでゆきたいところではあるが、またいつかそれについて書くことにして、この度は、最後に、大島芳太郎が記したところを示して、本稿を締め括ることにする。

然れども翻って其半面を観察すると吾々が眉を顰めて悲しまなければならない処の所謂始末に終えない自治体も亦少くないのである、郷党の交、隣保の情誼日に付きに衰え一村平和藹然たる美風は地を払うて殆ど其跡無きかを疑われ民心区々学校の位置を争い役場の位置を争い議員や吏員の選挙に鎬を削り一団常に事絶えずただ徒らに町村と云うの形骸ばかり存在し真に自治の魂を備えて居らない所謂不良町村なるものが相当に多いようである、之が原因は二三に止まらざるも要するに地方の住民依然割拠心を振り廻して勝手気儘なる行動をなすからであると思う、果して然りとせば此割拠心の蟠りを絶って其処に民心の融和一致を求むるの手段を回らすは甚だ大切なことではないか

landslide disaster -森林崩壊・水源地の荒廃