ベニシジミと化成肥料とペニシリン。 | ーとんとん機音日記ー

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山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記

ベニシジミ-001


 最近、いそがしくって、さまざまな作業や予定で手一杯の状態です。
それで、いろんな方から、いくつものメッセージやお問い合わせ、そしてコメントを賜っているのですが、お返事が遅れてしまっていています。

 誠に申し訳ございませんが、合間を見て、順次に、ご返信させていただきますので、もうしばらくお待ちくださいませ。



 さて、近頃、「もうすぐ、養蚕の季節がやってくる。」と言うようになりますと、外での仕事も増えてきます。
 たとえば桑畑の草ひき・・・、蔓延ると困るものだけ選んで排除したり、ススキなどの根が、侵入してくるのを取り除いたりします。
 別に、そういう栽培セオリーがある訳ではないのですが、実験しながら、コストをかけずに最小限の労力で維持してゆくには、どうしたらいいのかを畑を観ながら考えていると、畑に花あると、いろんな昆虫がやってくるので、ついつい、そちらの方に、気を取られてしまいます。

 このベニシジミなんかは、べつに珍しいというような蝶ではないけれど、それでもじっくりと見ていると光の加減で、なんとも言えないような魅入られる赤系の色彩を纏っていたりする。

ベニシジミ-002


 気温が上がり、植物が芽を出し成長し花が咲くごとに、うちの畑で時間をすごす昆虫たちの種類が増えてくる。

 なかには、いかにも、農作物の害虫っぽいものもいるし、実際に葉っぱに食べられた痕が残っている。

A

 農作物の害虫駆除や病気に、絶大な力を発揮したのが農薬だし、耕作層が薄い山間部のやせた土地に豊かな稔りをもたらしたのが化成肥料であることも事実である。

 けれども、それ以前の昔、農作物の害虫駆除や病気に対しては、どうやっていたのだろう。?
 そういう、ものに対しては、まったく無力で、神頼みだけが対処の方法だったのだろうか。?

 そんなことを考えていたら、タイムリーにとても興味深いニュースが飛び込んできた。



 「なるほどね。」

 植物には、植物の闘い方がある。
 そもそも、植物は、そんなに弱い存在ではなかったということだろう。

 同じようなことが、人間にも言えるし、養蚕なんかでも言えるのだろう。

 合理的には、すべてのリスクを排除できる方法を、人は知らないし、知り得ない。けれども、ある期間のうちや、ある限られた条件の中で、「すべてのリスクを排除できるのではないか。」と思えてしまう劇的な結果に出会ったりすると、人の思考は、とめどなくエスカレートしてゆくようだ。

抗生物質効かない耐性菌が世界で拡大、WHO「壊滅的被害も」/Reuters

 周知のごとく、抗生物質は自分の生存を脅かす病原微生物に対抗するために、微生物がつくり出す化学物質ですが…、想像をたくましくすれば、人間の抗生物質乱用によって、微生物世界の生態系秩序が壊れてしまい、それがやっと、「ひとの目に見える形で顕われてきた。」ということなのでしょう。

 世間知で「腹八分目」と云い、百あるもののうち百全部を欲しがるものではないと説く。
その世俗の知恵でも智るところを、弁えなかったのは識者なのだろうか。
それとも、度目度なく膨らむ大衆の欲か。
あるいは、大衆の欲を糧として目論むそろばん勘定か。

 とにもかくにも、抗生物質や合成抗菌剤の乱用によって、このようになってしまったことで、最大の不利益を受けるのは、医療インフラが充実していない国々や地域の人々で・・・。
かつ、高度医療が受けられない貧困層の人々である。
 そして、ペニシリンが発見された時代を1とすれば、人口増加や国境を越えたひとやものの往来がもたらす感染リスクをどれくらいに見積もればいいのだろうか。

 口蹄疫や鳥インフルエンザ感染の場合でも、感染経路さえ、あいまいで特定できていないのだから、重大な感染症の感染が拡大した時に、従来のように日本上陸を阻止しようとする防疫体制は事実上不可能だと考えたほうが合理的かもしれない。

 結局、ペニシリンが実用化されてから、今日「抗生物質効かない」ということに至るまでの期間、医療に限らず、社会のさまざまな分野の発展とか進歩というものの全体で、「見過ごされてきた大きな共通の誤りが、そのあたりに隠れているように想われてならない。」