collaboration -蠶桑織績-
JA三重中央農協 郷土資料館 + 山村生活ぎゃらりー
JA三重中央農協 郷土資料館 + 山村生活ぎゃらりー
たとえば、座繰器を使った繰糸(いとひき)や手機(手織機)で織ることは、
今の時代にからすれは、ものめずらしい事かもしれない。
「むかしは、こういう事をしていた」と、伝えるということも一興なのだけれど、
それだけじゃ、「ふ~ん。昔の人は大変だったね」というくらいのものが多くの人の感想だろう。
座繰芸人でもあるまいから、「こんなことができますよ」では、ただただ物珍しい事を観れて良かったねだけで終わってしまうでしょう。
だからね。
わたしは、なにを伝えたいのかと、そこを自問してゆけは、
いちばん大事なところは、“文化の種を蒔こうとする努力”なのだろうなと想うのです。
collaboration -蠶桑織績-に訪れる方々は、年齢層や興味の対象とするところが、それぞれ様々です。
たとえば、三重県内で養蚕が行われていた頃を知っていて昔を懐かしむ方。学校の授業で飼育したり、観察したことがあるという方。
郷土史的なところから養蚕や製糸の歴史的な展開に興味をもたれた方。
或いは、昆虫が好きなこども。飼育してみたいと思っているこども。
夏休みの自由研究のテーマに蚕の観察をしたいなと考えているこども。
また或いは、絹という素材に興味をもっている人。
“きもの”が好きな人や、和裁や手芸が好きな人。
そのように、いろんな表情を持っているのは、
すなわち、それが絹の文化の幅の広さだと思うのです。
だから、「collaboration -蠶桑織績-」では、ちいさなこどもの好奇心から、お年寄りの昔の記憶まで、できるだけ幅広い年齢層の人々の、いろんな興味に対応できるように考えました。
ひとくちに「絹の文化を伝える」といっても、さまざまなアプローチや、いろんな考え方がありましょうけれども、たとえば、わたしが知っている事やできる事を披露したところで、それは「文化を伝える」と云うことにはあたらないと思うのです。
わたしどもが、この度の『collaboration -蠶桑織績-』で、どうしても展示したいと考えたかったものが、ひとつありました。それは 津市立美杉小学校の山中春香ちゃんの記録した蚕の飼育観察日記です。
春香ちゃんは、夏休みの自由研究で、わたしどもが届けた種(蚕の卵)から孵化させて、飼育することに挑戦しました。
彼女の飼育観察日記には、こどもらしい視線で見つめた、疑問や驚きが素直に綴られています。
旧三重県と度会県が合併し、現在の三重県が誕生した、いまから138年前の明治の時代の養蚕や製絲のこと。
そして、旧一志郡内の養蚕や製絲の展開。また、明治廿九年に起業し旧美杉村の地域からも多くの人が働きに行った経験があると聞く大井村井関製糸場のこと。明治丗年に起業し一志郡で最大の規模を誇った高岡村の高岡製糸株式会社のこと。加えて、わたしどもが調査の中で現存を確認し明治の木製器械繰絲機が残されていたことを発見した、一志郡で最初に操業を始めた器械製糸場であった上多気村斉藤製糸場のことなど…、
伝えるべきことは数多くありますが、……。
そのような歴史と未来が結びつかないのならば、虚しい事だと思いますから、「絹の文化を、再び、わたしたちの暮らしの営みに結び付けたいと考え、わたしどもが、はじめた試みが、この『collaboration -蠶桑織績-』です。」
明治のころ、国策的な殖産政策によって、民間の生業から官の所轄するところの繊維産業に移行し、今日、その産業的な役割を概ね終えたと云われる養蚕と製絲ですが、その残された幾多の事跡が示唆するところに目を向ければ、いろんなことが見えてくるでしょう。
そのような立場に立って、わたしどもが、この『collaboration -蠶桑織績-』の中で行っている「絹にふれるworkshop」は、繭かから糸をつくる行為を通して、ひとの暮らしの営みの普遍的な核のような部分を、自分自身の感覚の中で確かめてほしいと考えてつくりあげたワークショップコンテンツなのです。
だから、染織や機織に興味がある人というような限られた範囲よりも、もっと広い対象に向けて発信している絹を使ったworkshopなので、家族で来たら、家族みんなでやっていただいているのですが、そういう共通の経験から、共感できる会話が生まれ、それが将来、何かの種になればいいと思うのですよね。
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「ふしぎだね。」
「いったい、どうなっているんだろうか。?」
『collaboration -蠶桑織績-』や「絹にふれるworkshop」をとおして、
もし、そんなふうな好奇心を糧にして、
こどもたちの心の中で育つ何かの種を蒔くことが,できたら…、
それは、とても、うれしい事だと想うのです。
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