Ainu | ーとんとん機音日記ー

ーとんとん機音日記ー

山間部の限界集落に移り住んで、
“養蚕・糸とり・機織り”

手織りの草木染め紬を織っている・・・。
染織作家の"機織り工房"の日記




 チカップ美恵子さんと、はじめてお会いしたのは、わたしが二十歳くらいの時だったと想う。

 なぜ、そういういきさつになっていったのかは、記憶が薄れて正確には思い出せないのだけれど、なんでもAinu関連のイベントが何日か後にあって、そこでAinuの舞踊を踊る踊り手が急に足りなくなってしまったので出て欲しいと言われて、その時、自分ひとりだけではとても無理だと思ったわたしは、それに友人(スエミツさん)を巻き込んだ。







 当時、わたしたちの間では、イカ天バンドやホコ天バンドが流行り、わたしはNWキッチュ系やストリート系インディーズのファッションをしていた。
 そんな、どう見てもAinuっぽくない女の子二人が、チカップさんや伝統舞踊に携わる方たちから二日間の猛特訓を受けて、どうにかこうにか大阪で行われた二回の舞台で四曲ほどのAinu舞踊を踊った。

それを観ていた人たちの目には、きっと奇妙な光景に見えただろう。

 お名前を忘れてしまって、もう思い出せないが、唄を謡ったAinuのお婆さんの、その生々しいVOICEは、わたしに強い衝撃を与えた。それまで生きてきて聴いたことが無かった音との出会いは、今でもわたしの中に残って響き続けている。

 そういう意味では、喜納啓子さんの沖縄民謡を唄う聲や、そのお婆さんの聲は、わたしの中で奥深くに眠る何者かを呼び覚ますような、ひな女祭りのハイヤ節に繋がる回路を結んでいるのだろう。






 二日間の猛特訓のなかで、詳しく繰り返し繰り返し説明してくださった、スチョチョイチョイナ(シチョチョイチョイナ)の踊りの所作の細かな意味は、今でもはっきり覚えているし、今でも、わたしはスチョチョイチョイナを踊ることができる。

それは、ちょっと自慢したいくらいだ。

 その時のことだったかどうか、記憶は定かではないけれど、チカップ美恵子さんが御自分の本と、「わたしの親しい友人のCDだ。」と仰って、ナバホのシンガー、シャロン=バーチさんのCDアルバムを下さったことを覚えている。

 大阪の普通の若者だったわたしに、親しげに接してくださったチカップ美恵子さんとは、その後しばらく数年間、手紙のやり取りなどがつづいた後に、わたしがその種のイベントから遠ざかったので、だんだんと疎遠になってしまった。

……それから十数年ばかりの時間がたってみると、わたしは織物に携わっていて、少数民族の機織りの文化のすばらしさに魅入られ、そして日本に残るbackstrap loomの織物に目を向けた時、Ainu民族のアットゥシ織りのことも、もっと知りたいと思った。
 いろいろ思案した後に、以前の縁を辿ってチカップ美恵子さんに教えを請いたいと思い、ご連絡させていただこうかと思っていた矢先に訃報が飛び込んできた。

 少しばかり、人権とか社会運動とか、そういうことについて聞きかじった若者が、Ainu民族の虐げられた歴史について話題を向けようとすればチカップ美恵子さんは、その類の話をあまり語りたがらず、巧みに逸らせていった。
 アイヌ民族復権運動に力を注いだとのことが広く流布されているけれど、わたしが接したチカップ美恵子さんは、そういう活動家のイメージがそぐわない心底明るい方だった。
 何より、アイヌ民族の文化が、そういう活動の象徴的なイメージに使われることに、滓のような言葉にできない悲しみを密かに溜めていたふうにも見受けられた。


ここ数日の間、東京五輪に絡んでアイヌ民族のことが、世間の話題に上っているけれど・・・

 わたしは、世界の中で最も普遍的な織機であるbackstrap loomを原始機と呼ぶことが嫌いなのと同じように、今、同世代を生きている生身の人間を先住民族と呼ばわることが嫌いだ。

 何を価値の基準として、現代も広く用いられている織機を原始的な織機と呼び、或いは又、近代的な国家観を受容することに抵抗した民族を先住民族と呼ばわるのだろうか。?
 近代的な国家の意識は、いわゆる先住民族の文化が宿す“クニ”や“ムラ”や自分たちの土地というような自然発生的な意識に対して、進歩的であり、優秀であると、何をして言いえるのだろうか。

 「近代の北海道開拓の過程で困窮化したなどの歴史があること」と述べるところを端的にいえば、それは近代的な国家観を宿す文化と、いわゆる先住民族の文化との文化衝突であろう。

その文化衝突の中で揉みくちゃにされ、蹂躙された、個人の生き様が慟哭の声を上げた。

 もし、幕末から明治のあの時期に、養蚕製絲やその他の殖産によって外貨を稼いで近代国家の体裁を整える事ができなかったとしたら、いわゆる和人も、植民地化されて、今、和という先住民族と呼ばれていたのだろうか。?…そういう無責任な想像を、荒唐無稽なものと笑い飛ばせない背景が日本の周辺で生じていた。
 戦国自衛隊的なSFの物語を引き合いに出して歴史や今を語ることは意味の無いことだとしても、象徴空間の中でしか民族の文化を再現することができないということは、零落した神の姿に似ている。

 そもそも、政治も経済も国防も文化の現われの一諸相である、
そういう関係性を是とせずに、政治や経済を、その母体である文化よりも上位の位置に置く事を近代と謂い、天と地の間に生の営みを営むことから、政治と経済と社会の間に営まれる生に切り替えたとき、象徴空間の中に再現できた民族の文化が、『共生社会』の実現を図る装置なのだというようなことになる。

 そんなふうな象徴的な装置などよりも、リアルに天と地の間に生の営みを営むことを望むのは、最早、虚しい夢なのだろうか。

 この象徴空間の中にしか再現できないAinu民族の文化を見ていると、その隣にある和人(わたしたち日本人の)文化の事が目に飛び込んでくる。

 Ainu民族の文化と、わたしたちの日本文化は、合わせ鏡の関係だ。
Ainu民族の文化が息づくためには、人工的な象徴空間が必要なのであれば、わたしたちの日本文化も同様な状態であると気づくべきであろう。

 しかし、・・・このような朱鷺のような人工繁殖が必要な状態になってしまった文化には、それを拠り所とする人々に生の営みの術を与ええる力は宿っているのだろうか。
 Ainu民族とは何かと問いかけることは、即ち、わたしたち日本人とは何かと、自らに問いかけることと等しい。わたしたちは天と地の間に生の営みを営むことから進歩して、天と地の無常な仕打ちをものともしない強固な営み作り出す文化を手に入れたのだろうか。

 わたしが、ちょうど興味を持って今調べている近代養蚕と製絲の、その裏側にAinu民族のことがあった。
是も否も、俄かに決め難い二つの立場、そしてその二つの文化衝突。
 また、その是非について、明らかにしなければならないのなら、わたしはどの立場に居るのだろうか。

 すくなくとも、明治政府の中枢に居た人々は、青い目のカラーコンタクトをつけて、西洋人のコスプレをして、和魂洋才を叫び、刺痕文身の習俗などは野蛮の最たるものとして排斥しようとやっきになっていた。きっと、苦労してコスプレまでしているのに、刺痕文身の野蛮人たちの仲間だと思われたくなかっただけのことなのだろう。
 政治が文化に干渉する理由は、その程度の軽薄だけどもっともらしく聞こえる理由によるものであるし、今、若者たちの間では、タトゥーは当たり前のことになっているから、あれほど明治政府に近しい近代的な文化人たちが忌み嫌った刺痕文身の習俗を廃絶させる力も政治には無かったということになろう。

 アイヌとは、人間という意味を持つ言葉だというから、それなら、わたしも一人のアイヌだ。
そのように思える今、チカップ美恵子さんとの再会が、もし叶っていたら良かったのにとつくづく思うし、…… きっと、再会した途端に、聴きたいことはそっちのけにして、わたしはただただ泣いてしまっていただろう。

 文化の下位につく政治が、その母体である文化に、どんな理由にしても干渉しようとすると、良くも悪くも、ろくでもないことしか起こらない。




Sharon Burch - Mother Earth