養蚕について聞き取りを行っていると、「昔、養蚕が盛んだった頃、“桑穴”という処に畑から採ってきた桑を入れておいた。」という噺がよくでてきます。
上に示した三つの写真は旧三重県飯南郡でのもの。
そして、下に示した写真は、旧三重県一志郡でのものです。
どちらも、すぐそばに渓流が流れているという地形的な条件もよく似通った山間部の集落の、昔は蚕室であった建物のものですが、いままで見ている限りにおいて旧飯南郡と旧一志郡では蚕室そのものもタイプが異なっているので、そこにも興味を持っているのですが、桑の保管場である桑穴そのもの構造が違っています。
上の旧飯南郡の蚕室では、平屋造の蚕室の基礎部分を割るようにして石垣が組まれ、巾≒1間・奥行≒4間・深さ≒半間程の半地下の岩室状構造になっていたのですが、下の一志郡のものは、傾斜地の段差のある土地に建てられた二層建ての蚕室で、二階を蚕室、一階を保管場に使い分けて、一階部分を“桑穴”と呼んでいたそうです。
また、この蚕室は傾斜地の段差を利用して二階の蚕室に直接入ることができ、一階の桑穴には、川を挟んだ向こう岸の桑畑から流れ橋(丸太の仮設橋)を渡って、直接に桑を運び入れることができたそうです。
明治の昔、輸出生糸で国内が沸いていた頃、
日本中のほとんどどこでも養蚕が営まれた。
大正になって、再び沸いた生糸景気で養蚕がさらに広まった。
そういう風にして、日本中のほとんどどこでも養蚕があったのだけど、
それでも、地域の気候風土に合わせた、
それぞれの養蚕のかたちがある。
だから、そういうものを、じっくりと虚心で見つめていたいものだと思う。
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○追記/ 旧三重県一志郡の雲出川流域下流部の蚕室はこちらです。比較してみてくださいね。…「三重県の養蚕農家の家屋・ー 旧一志郡内 ー」







