渡海する補陀落-KUMANO
工房の仕事を全部お休みにして、お彼岸の時の連休に南へ向かった。
祖母の故郷 紀伊長島を越えて、もっと南下する。
熊野らしい、KUMANOの海が無性に見たい。
そう思って出発した小旅行であるけど、
途中興味あるものを見つける毎に、集落や社に立ち寄るので、
いつもながらの、目的地も、時間も決めない、
逝けるところまでゆく旅になった。
紀州KUMANOの魅力。
それは、何といっても、コントラストの強い光と影でしょう。
黒潮の文化圏という言葉が、ふと浮かぶほど、沖縄の御嶽を髣髴させる神の杜が熊野らしい。和歌山県では、クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属のニホンマムシのことを、「ハビ」と呼び慣わしているが、沖縄のハブに類似したことばだろうと思う。
鬱蒼と繁る神の森のうちでは、外界の音は遮断され、独特の静寂が支配している。正しく、異界と云うことばがふさわしい。
その異界には、常世の波の重波よする浜に漂着した神の憑り来た異形の樹木がひっそりと佇む。
地域文化の観光資源化や、スピリチャルブームに煽られた、縁無き衆生を呼び寄せるために、木々が切り払われ明るく整備され、安易な親しみやしさに変貌させられる事が多い中で、畏き(かしこき)神の坐す処の原風景を保ちつづけている小社が愛おしい。
まるで、胎内潜りを廻るようにして、ざわめく世界へと戻ってゆく。
今は、堤防で隔てられているけれど、元々の参道は、そのまま浜へとつづいていたのでしょう。
また、常世の波の重波よする浜からは、青と蒼の境の彼方の補陀落を目指して、渡海する者たちもいた。
浜という場所は、今はビーチとなって、海水浴やサーフィンや海遊びの場所としてしか捉えられていないだろうけれど、そこもまた、異界の処だったりする。
眼前には蒼い海が明るく開ける砂や礫の美しい浜には燦々と強い日差しが降り注ぐが、陽射しが強ければつよいほど、眩しければまぶしいほど、美しければうつくしいほど、翳があらわれ異界の要素が濃くなるのも、KUMANOらしい現象かも知れない。
そういう浜には人頭蛇体の姿をした異形の神なども海から上ってくるし、また浜は、墓所でもあった。
火葬が一般的になってから、浜の埋め墓の様相が残っているところは、もう少なくなってしまったかもしれない。
志摩の方には、そうした景観が残された場所もある。
とくに、南伊勢町相賀浦ニワ浜のそれは、海跡湖の天の橋立のような浜にあるので「橋」と云う場所も、異界に通じる場所であったことを改めて思い起こさせてくれるが、そういう美しい場所にはとにかく危うさが付き纏うのだ。
元々が両墓制だったのだろうかと思うこともあるが、土葬をしなくなったので浜の埋墓がなくなり、集落を見守り海の彼方を望める小高い山側の場所に設けられた参り墓が、いわゆる“お墓”といわれるところになった現在でも、新仏の間は墓石を立てずに、一抱えほどの大きさの丸石を置いて祀る民俗を残したところもある。
このような、玉石や丸石は手向石と呼ばれるが、そもそも手向けるとは参るということだから、これは単に捨て墓の墓標だったということに留まらなかったのかもしれない。
いづれにしても、浜や河原で拾ってきた、無記名の自然石である丸石を墓標にして眠るとは、果てなく広がる大海原や空や山脈や鬱蒼と繁る木々の、ありとあらゆる命あるものと一体になって帰命するというような、とても熊野的でKUMANOらしい生死観のように思える。







