うちの集落の坂元さんから、自家製 たまり醬油をすこしいただいた。
この醬油は、坂元さんのお宅の、働き者のお婆ちゃんがつくっていらっしゃるものだ。
食行身禄が生まれたこの地域では、昔から、たまり醬油と呼ばれる自家製醬油が各家々で作られていたそうですが、わたしの知る限り、いまでも自家製醬油をつくりつづけていらっしゃるお宅は、この坂元さんの家も含めて、二軒ほどです。
自分の家で種取して、育てた作物から、このような自家用の加工品を作り、
また、次の年も同じように繰り返されてゆく営み。
その連続を断ち切る事はたやすいけれど、再び始める時には、なかなかの覚悟がいる。
TPPなんかで、他所の国からいろんなものが安く入ってくるということは、一面ではいいことには違いないが、しかし、それは自分の手の内にはないものだ。
小規模で、誠に細々と云う言葉がピッタリの、なにからなにまで自分でつくったものが、自分自身を潤したり、或いは、他の人を潤したりと云うことを、おろそかにしてはいけない。
農業でも、集約化して大規模にすることだけが、農業を守る方策ではないはずだ。
各地ごとの、様々な規模の農業を、ある程度コストに見合うものとしてゆく方策もあるのではないでしょうか。
別に、わたしは農業の専門家でもなんでもないのだけれど、競争力をつけるために大規模なモノカルチャーのスタイルになって、それが何らかの理由で、根こそぎ潰えてしまう事が、一番怖いと思う。
しかし、そのような時でも、自分の手の内にあるものだけが残るのだということに気付けば、効率が悪く経済的には負のイメージしかないものには、案外素敵な力強さが隠れているものだと想うのです。

