三重県津市美杉町川上の地域では、7月の初旬ころ“であい”と云う、道や水路の辺りの草を刈ったりする行事が、各集落ごとに行われます。
“であい”は各家から男手をひとり出し合って行う集落内の共同作業という意味から、そういわれるようになったのでしょう。
また、“道直し”という言葉も、同じような意味で用いられているようですが、これは“集落内の道を直す作業”ということでしょうから、内容を想像しやすいですね。
今は、このような“道直し”や“であい”も、主要な道路の路肩の草刈が中心になりましたが、昔は、ほんとうに集落総出で道を直したり、流された橋を架け換えしたりしたそうです。
このようなことをお聞かせいただきますと、日本の集落というものが持つ“自治力”というものに、力強い存在感が感じられます。
そして、この“であい”の日には、同時にもう一つの行事が執り行われます。
それは、集落を見下ろす山の頂に祀られた“大日さん”への御参りなのですが、“であい”という作業と同時に行うために、今日では“大日さん”へは代表者数名が代参して、“であい”の慰労会も兼ねて直会(なおらい)を執り行うという形になっています。
“大日さん”へのお参りには、このような御幣を取り付ける竹を一緒に運び上げます。近年は、高齢化と過疎化で人手が少なくなって大変になったので、“短い竹”になったそうですが、昔は「二十七節の竹」と決められていたので、かなり長い物になりますね。
また、「御幣の竹は二十七節」と決められているのは、古い暦法の二十七宿に由来するものなのでしょうか。?
この日の、「相地集落“大日さん”」という行事に、集落の皆さんのご好意で、わたしどもも特別ゲストとして参加されていただきました。
集落の“であい”の作業をするグループの方たちと別れ、“大日さん”に代参するグループは相地集落の“ドシャ谷”という谷川に沿って山に入ってゆきました。
写真でもお判りいただけるかと思いますが、かなり勾配のある山道を竹を肩に担いで登ってゆきます。
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去年の台風のせいでしょうか。? 道は、ずいぶん荒れています。
集落の近くの山とはいっても、山仕事で人が山に入ることが稀になった今日では、荒れた道も直されることも少なくなりました。
途中、樹皮が剥れたようになった木が幾つもありました。
“鹿の食害”だそうです。
鹿は、角を使って、かなりの高さまでの樹皮を剥ぎ取って、樹木の内皮を食べるのだそうです。
このように、山間部の山村では、林業・農業とも、鹿・猪・猿などによる獣害(食害)の被害は深刻です。
三重県では、「三重県型集落ぐるみの獣害対策」という対策が奨励されているのですが、これに記されている集落で人海戦術を展開して追い払う方法などは、高齢者が大多数の集落にとって、たいへんハードルが高い方法のように思われます。実際に集落ぐるみのそのようなオペレーションを長期間持続して行うことは無理なことのように感じられます。
もっと、個体数を少なくできるような即効的な方法はないのでしょうか。
84歳の田川サブローさんは、途中、蔓が巻付いた木を見つけると、山刀でそれを断ち切ります。
半世紀以上、山仕事で生きてきたサブローさんは、自分の山や、仕事を請け負った山の木でなくとも、巻付いた蔓を切って良い木に育つように手をかける。そのような山仕事の人たちの職業的な習慣が、日本の林業の礎だった気がする。







