一年のうちに、そう幾度もないけれど、
時折、とりだしては、半日ばかり、読むでもなく、眺めるでもなく、
パラパラと、前に後ろに、とりとめもなく、
書物の中に綴られた数行の言葉の言い表す重みを、たなごころのうえに載せて、響くものの、ありやなしやを、問いかけて過す事がある。
そのようにして、ここ数年、
わたしは「宮古島狩俣の神歌」という本と過ごしている。
気になっているのは、「バシャバニ」という衣。
この「宮古島狩俣の神歌」は、内田順子さんが、フィールドワーク通して宮古島狩俣のノロの人々が歌う神歌が神歌として成り立つための条件を取り出すことを試みた記録と論考なのですが、その同書に、わたしが強く惹かれるのは、たとえば、「ひとは何故、唄を歌うのか。」とか、わたしの分野なら、「ひとは何故、織物を織るのだろうか。」とかいうような、どこまでたどっても決して答えが出そうになく、それでいてラディカルで“素朴な疑問”を見つめる立場から著されているからなのだと思う。
芭蕉の糸で織られたノロの衣、「バシャバニ」は、受け継がれることもあるが、新たに新調されることもあると云う。
代々ノロのに受け継がれたものだから、代々のノロたちの霊力を宿すというような理解の構図は、
わかり易く受け入れ易いけれども、
新たに新調された「バシャバニ」と、普通の芭蕉の衣では、どこが、どのように違うのだろうか。
文献の中に記載された、芭蕉のノロの衣のことを辿れば、
たとえば、上質な糸が用いられたとか。
たとえば、煮ないでとった白い糸が用いられたとか。
さまざまな断片が示されているのだけれど、・・・。
例えば、それに遵って織ってみたとしても、
それが、必ずしも、「バシャバニ」に適った物になるかというと、
それは疑問だ。
わたしたちは、往々にして、「特別な糸で織られているのでは。?」とか、「特殊な織り方が用いられているのでは。?」とか想像するのだけれど、同書によれば、どうやらそういうことではなさそうだから、、受け継がれた「バシャバニ」も、ノロの人々が、それを「バシャバニ」だと認める理由は、わたし達が想像する“代々のノロたちの霊力を宿しているから”というような単純なものではどうやらなさそうなのだ。
では、どのような条件を供えれば、「バシャバニ」になり得るのだろうかと、
また、最初のところに戻って、想いは同じところをグルグル巡る。
“聖別”という、このキリスト教にまつわる言葉をここで用いるのは適切でないかもしれないが、どういう理由で、「普通の芭蕉の衣がノロの衣“バシャバニ”と“聖別”されるのだろうか。?」というところを見つめていると、わたしはいつも、自分の目の前で、とても巧みな手品を見せられて、どうしても種や仕掛けを見つけることができない時のような、不思議な気持ちになるのです。
ある意味で、わたしは、そういう“不思議な気持”が、まだ自分の中にあることを、確認したくて、この本を開くのかもしれないな。

