工房の庭では、今アマドコロの花が咲いています。
その小さな白い花には、
清楚という言葉がピッタリのように思います。
この辺りの気候では、
アマドコロがグリーン味を帯びた蕾みをつけて、
白い花が咲き出すのと同じ時期には、
桑も芽吹き瑞々しい葉っぱをつけるので、
養蚕をはじめる目安になりますね。
以前、となりのお婆ちゃんに教えて頂いた、
「合歓の花が咲いたら小豆を植える。」は、
もう少し後のことですが、
自分の周りの自然の営みを良く観ていれば、
適した時期に必要な作業が行えるのだなと、
そういう民俗知の奥の深さには、
驚きと共に静かな感動を覚えます。
「自然を感じる。」などとよく言いますが、
正しくは「自然を観じる。」なのだと、
・・・最近密かに思っています。
「観察して、理にかなったように考える。」から成り立つ営み。
きっと、そういう事なのだろうな。
《木綿蒲団縞 (高機・手紡ぎ糸)》
そのような自然の営みをよく観察して、
その仕組みを“恵み”として利用する生活文化のなかから、
生まれてきたのが、自家用の為の染織品なのだと思います。
《木綿蒲団縞 (高機・手紡ぎ糸)の拡大》
経横ともに均一でない木綿の手紡ぎ糸が使われている。
糸の太さの平均値は、約4/10 ㎜程度。
経横ともに均一でない木綿の手紡ぎ糸が使われている。
糸の太さの平均値は、約4/10 ㎜程度。
「それはとても素敵なものなのですが、・・・」
そういうものを今つくろうとすれば、
「どうしたらいいのだろうか ?。」
そういうものを今つくろうとすれば、
「どうしたらいいのだろうか ?。」
技法的な問題や、素材の問題・・・。
それらを皆、クリアできたとしても、
自分自身の中で、しっくりこない部分が残る。
“営み”というものが“ビジネス”に変化してしまった現代。
わたしも、その枠組みの中に捕まっているひとりに過ぎないのだと想えば、“それは単に、素朴さの模倣の範疇をでることはないのではなかろうか。?”・・・と、考え込んでしまいますが、
「シンプルなものほど、誤摩化しはきかないのだ。」
と、気づけば、立ち返る位置は自然と明白になってきます。




