5.14
序盤行ける日が少なく 行けても不発が続き 巡り合わせの悪さも仕方無し でしたが朝は朝なり夕は夕なり 夕方 あんな乗れたチョッピーは初めてでした クネクネも愛おしく
昼寝から目覚めた際『どこや此処』『何してるんや』と思ってしまった牧歌的な漁港
伊勢道が久居迄の頃、磯ノ浦は近くても遠いポイントでした 昔平野区に住んでいた頃こんなルートで通ってました 309→中環→臨海→第2阪和(現26)→旧26 臨海・第2阪和(現26)は途中で尻切れトンボ 初代松原フルフルは309の西側だったんですよね 広いトイレは白いタイル張り そして陽光降り注ぐサンルーフだったかなぁ トイレにお金を掛けたカフェ(当時はカフェとは言わない)のハシリだったと思います エリアトップ店舗だったですね
深夜往路、片側一車線の旧26『族』に南行きを封鎖されて前から順番にサーファー車がバット・木材で狩られていました 族ってアパッチやコマンチじゃないです バリバリの暴走族です 男里辺りだったかなぁ ベコッ バシッ・・いよいよ次は俺等かって時に駆けつけた数台のパトに救われました 1979年頃
ご存知の方は必ず居る筈、私は入店したことはないですが旧26の西側 大波の大看板を掲げたカフェ(当時はカフェとは言わない)このサインを見るといよいよ海が近づき
有るかな無いかなのお楽しみと 帰ってくるサーファーのハンドサインに一喜一憂したものです
孝子峠の西側 パリジェンヌ 昭和男子は入ります コンビニのように 1979年当時でも築後30年程の風格?屋号とは裏腹 幽気漂っていたなぁ 多くを語るのは止めておきます
レストラン左近は今在るお店だったかなぁ 現26の西側だったから多分リニュアルを重ねて継承していると思います 私はカレイの唐揚げが好物でした 帰路は左近迄運転頑張ろうと鼓舞しておりました
帰路岬ロータリーから第2阪和(現26)に入る樫井迄(現26は当時樫井迄しかなかったのよ)目眩するような渋滞で日祝はとにかく車が動かなかった ゲンナリを超え石仏になってしまいそうな修行 臨海に入って我が家近しの高揚、安堵と共に目に飛び込むプラント夜景は『未知との遭遇』夜景ツァーを予見していたかな 私
今は新御~御堂~26~バイパス 昔に比べたら高速並 感謝ですが too late 恨み少々(^_^)



