後から来た話が先になり、お話が終らないのが私の悪い癖である。



日常、非日常と楽しい/珍しい/めんどくさい/はんかくさい体験を回想、空想、消去をしているうちに、次の未来への興味が出てきて結局お話をまとめない。



いつかこの話をと思って、カメラを持って出かけたのだが、いまだに記していない。


いつのことだったかと思い、記録を見てみると、2月前、平成22年9月12日のことであった。



私が大学時代に始めたトランペットも途中放棄してしまった残骸なのだけど、そのときの体験のおかげで今でも何となくクラシック音楽の世界に興味が無いわけではない。


それが縁で、お酒の縁で、地元のBARのマスターから御紹介を受けて、『オーケストラ!』という映画を見に行った。



その日はまだ暑かった。その時東京でかかっている映画館が下高井戸シネマだけだったので、人の少ない平日の上り電車に乗っていった。



タイトルに安っぽく「!」をつけるのは気に食わないのだけど、観てみたら泣いてしまった。

偽者が本物以上に頑張る話とか、平凡な人間が非凡な日常に飛び込まざるを得なくなって張り切る話は大好きだから、観にいってよかった。


私がそもそもクラシックなんぞ始めたきっかけが、この映画のモチーフになっているチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35だからまことに懐かしい。それに舞台がモスクワであることも、昨冬のシベリア行きがあったので、その風景もロシア語も親和的である。

私個人には、ジャストフィットだった。

性善説ばんざい。



眼を赤くして映画館を出ると路面が濡れている。

夕立があったようだ。涼しくなっていた。

階段も濡れていて、滑らないようにしなければならないよ。



さて、下高井戸シネマは駅の南側にあるので、東急世田谷線のちんちん電車の線路が眼に入る。ここまで来て御挨拶なしに帰るのは失礼なので、乗って三軒茶屋へ出よう。

裏道・横道の王道

初めて乗ったのは1990年のことだから20年前である。緑一色に塗られて、床は木製、ステップをどっこいしょと上がらなければ車内に入れない車両だった。

二つの主力車両があって、70型はおでこが広く口をへの字にしたような頑固爺さんを思わせるので私はあまり好きではなく、正面の窓枠が丸くかたどられているところや、すっきりした屋根への曲線を持っている80型が好きだった。



今はすっかり垢抜けて、バリアフリー、ICカード式乗車券の導入など面目を一新して旅客サービスに力を入れた新車が走っているけれど、便利さと好き嫌いは違う次元なので、私は物足りない。けれどもそれでいいのである。


3駅乗って宮の坂駅で降りる。ここに、引退した車両が保存されている。もともとは、世田谷線の80型でから江ノ電に譲渡され、1990年まで600型として湘南を走り、引退後古巣へ戻ってきた車両で、個人的にも江ノ電時代には何度か乗ったことがある。雨が降ってきた。


この車両は、旧玉川線が新玉川線になったことに伴う規模縮小により、今まで使っていた路面電車仕様の車両すべてが必要ではなくなり、江ノ電に転出していった。

江ノ電でも廃車されるにいたり、保存の機運がたかまって地元に戻ってきて現在に至る。世田谷線に残った車両は現在の新車へ更新によって完全に廃車となり解体されたので、現存しているのはこの車だけになった。

今も残っている、ということに価値を置くと、電車の一生も不思議な気がする。



車内が開放されているので中に入ることができる。運転台も覗くことができる。

すると、ドアの開閉スイッチに、「此の戸/他の戸」と書かれていることに気づく。一般的に扉の開けたてをするスイッチは一つしかないのに、この車両には2つある。

「此の戸」は車掌から一番近いところにある扉だけがを開閉させるために使い、「他の戸」はほかのドアの開閉に用いたのだそうだ。「此の」電車を含めて路面電車には乗務員扉が無く、旅客用の扉と共用であることが多いので、緊急時や業務用に全体を開けたてする必要が無いときに用いたのであろう。


裏道・横道の王道

小学生の頃に、読んだ本に「此の」ことが書いてあったのを思い出した。あの頃は、世田谷線がとても遠かったのに、と思ってしまう。



車内でボンヤリしていると、子供を連れてお母さんが入ってきた。平日だ。もう出よう。



既に夕方で、女子高生が宮の坂駅に列を成している。混んでいる電車に乗るのは面白くないので、となりの上町まで歩いた。駅に近づくと、前にも来たことを思い出した。しかし、なぜ来たのかが思い出せない。その時も雨だったことしか覚えていない。


上町から乗ったところで、混雑が解消されるわけではなく、やっとのことでつり革をつかむ。また3駅乗って、若林で降りる。

今度の目的は「若林踏切」交差点である。


世田谷線は若林と西太子堂の間で、環状七号線と交差する。

この踏切では、世田谷線の電車が踏切により道路の通行を遮断するのではなく、道路信号に従って道路を横断する。つまり、道路通行における鉄道優先の原則が存在していない。


私はこれが世田谷線が軌道法という鉄道法より簡便な敷設基準に従っている路線だから、当初から踏切が無かったのだと思っていた。


しかし、この信号の名称は姿の無い「若林踏切」である。


裏道・横道の王道  裏道・横道の王道


帰ってきて調べてみると、もともとはここにも世田谷線優先の踏切があった。

けれども、昭和41(1966)年に電車と自動車が同じ交通信号による規制へと変更になったのだという。



当時の世田谷線(当時は玉川線)は以下のような情勢におかれていた。


昭和31(1956)年 渋谷-二子玉川園間を路面電車ではなく一般鉄道としての「新玉川線」敷設免許の申請

昭和34(1959)年 敷設許可

昭和35(1960)年 玉川線(旧)の営業支出が収入を上回る。玉川線が赤字路線となる

昭和39(1964)年 新玉川線の起工式実施



昭和39年は東京オリンピックの年であり、追いつけ追い越せの高度経済成長の真っ只中であった。

自動車の増加に伴う道路混雑の激化、路面電車の利用客減少、路面通行する軌道の地位低下を感じさせる。この結果として、環状七号線の自動車交通を妨げぬよう、若林踏切の廃止があったのであろう。

「若林踏切」は交差点の名前として、40年前の時代背景を今に伝えている。


裏道・横道の王道
┗電車の信号は×(止まれ)、奥の歩行者用信号も赤。環七が青。


裏道・横道の王道
┗電車が進行(↑)、奥の歩行者用は青。環七が赤。


私は3本くらい信号で止まる電車を眺め、三軒茶屋へ出た。
やっぱり世田谷線は大混雑だった。


















CHAPTER1~Till Departure


Once upon a time, there were three young men in Japan. They traveled some countries, Taiwan,Thailand and Cambodia.

They thought that we wanted to go to Europe someday. Whenever they go to Asia, they have stomachache surely. And one of member has married this summer, so the other thought that this time we had to go to Europe.

But bridegrooms business is teacher, therefore, he couldnt take a vacation at season of the Bon festival. Until now, they have gone after the end of Bon, so they dont have an idea that they must reserve earlier. Whats more, because of Yens appreciation on the Euro, much more tourists are willing to go to Europe.

The other man of that team searched tour for Asia, Laos, Vietnam, and so on. His effort was to be appreciated. Finally, they decided to go to Guillin and Xian, China after a conclusion of valance of cost and span of vacation.

They have not toured with guide, because their interests are unique, and they stop anytime and anywhere, so they cant act with group and tour guide. But this time they have to take a sightseeing tour with tour-guide, as that plan of tour is chap.

They departed from Narita Airport, 10 Aug, it was three days ago that newly married couple celebrated marriage.



裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

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裏道・横道の王道-100306_1257~01.jpg

ドラマの舞台装置に於いて、橋の持つ力はあるように思える。

橋は出会いの場、別れの場として、効果的に使われる。
それは、彼方(かなた)と此方(こなた)で違う世界の結びの場であり、波止場に通じる情緒がある。
結ばれる以上、別たれる。

昨年末に放映された“坂の上の雲”。この中にひとつの橋が出た。

木製のワンスパンであるだけなら田舎の畦にもありそうだが、その橋には屋根があった。
屋根があるのは珍しい。これは莫大な制作費をかけた“坂の上の雲”だから、きっとセットを拵えたに違いないと思った。
しかし、ドラマのロケ場所を調べていたところ、実在しており、さらには現役の橋であることがわかった。
橋が好きを標榜していながら、不明の至りである。

場所は愛媛。
この日本という国、まことに小さな国ではあるが、小さな人間が移動するにはあまりに大きい。
飛行機、汽車を乗り継ぎ愛媛県の小さな町に向かった。物語の主人公たちが耳にしたら、驚くような文明の開化である。

町の名は内子。
松山市の郊外であるかのような特急で20分の町の、さらにその郊外へ向かう。
タクシーで山道のワインディングロードを辿ることまた20分。
川が道と反対側へ抜けて、山が開けると、その橋が見える。

分かる人には、この瞬間、アドレナリンが身体中から出るのを理解してもらえるかもしれない。

ドラマで見た、その橋が存在している。
活き活きと描かれていた少年の国の橋が。
作品がなくても良い橋だ。

タクシーの運転手が解説してくれる。
なぜ、橋に屋根があるのか…

木炭が湿気るのを防ぐためだという。
かつて、明治という大いなる開化を経て、昭和に入り、山里は木炭を為すことを生業とした。

そして、作った木炭を舟に載せて下へ送るわけだが、そのときの大敵が湿気であった。
万が一雨でも降ったら、ワヤになる。

そのとき、山と平野を繋ぐ川の上の橋に屋根を付けて木炭を蓄え、下へ向かう際の一時の避難所としたという。

橋に歴史あり。

そこをドラマのロケに使ったわけだ。
橋の袂には菜の花が咲き、風情も申し分ない。

車を降りると一目散に駆け出し、そして駆け抜けた。ドラマの登場人物になった気がした。

内子町は白壁の町並みで有名だし、内子座という町民が自ら作った歌舞伎の劇場もある。

日曜日は例え雨でも観光客が団体でやって来ていた。カップルも親子連れもやって来ていた。

それは駅からも近い。川の作った平野にある。十分に良い町だ。
人に薦めたい町並みと佇まいを持つ。

ひきかえ、その橋(田丸橋という)はわざわざタクシーに乗り、往復で3000円かかる。
分かる人にしか薦められない。

しかし、分かる人にとっては、幸せがある。

風景は、目の前にあるだけではなにも語らない。
しかし、こちらが声を聞きたくて仕方なければ、最高の贈り物をくれる。

これは、そういう物語である。