過日、夜の予定が空いてしまった私は、これから行く予定の旅先の勉強をしようと帰途についた。
私は埼玉県の田舎に住んでいて、私の部屋からは富士山が見えて、隣は市街化調整区域の畑である。まぁ、そんな田舎に住んでいる。
だから、周りの輩も田舎者の集まりで、ロクな奴等が住み着くわけはない。無論、私もそんな一人である。
呑み屋が少ない。
店がなくて、物足りない。地元で飲むという発想はまず生まれなくて、やはり都内で呑んでしまう。
ロクな人間がいないから、ロクな店も生まれない。それが私の地元観であった。
その夜、暇になったことを活かして、ビデオでも借りようとTSUTAYAに行こうとした。
私が使っているひとつ前の駅にある。
ここは終点になる列車があるためある程度大きいが、言っても田舎のお山の大将である。
その日は、ふと遠回りをして、街区ひとつを大回りをして歩いた。するとBARの看板がある。こんな店もあるのか。私は思った。
躊躇わず惹かれて階段を上がり、しかし雑居ビルの2階。妖しげなマッサージやらスナックが並んでいる。典型的な場末の雑居ビルである。その店は最も奥にあった。
おじさんが独りでマスターと話しているだけで、他に客はいない。
カウンターメインで、奥に幾つかテーブルがある。バックバーにはウィスキーとリキュール。本数は多くないが、その分ゆとりがある。
おじさんは私が席につくと、マスターと何やら会話をして、去っていった。私に気をつかってくれたのだろうか。会釈をして消えた。
良い店だなぁ、私は感じた。
一杯にビール。
二杯にジンをロックで。
週頭の平日、9時前にBARを訪れる客は私一人である。
マスターは一見で来る客は珍しいと言い、住んでいる場所から話が弾んだ。
私が通っていた小学校に行っていたと言い、懐かしい店の話が出た。聞くと私の8歳上だそうである。
するとマスターが“一斉下校知ってますよね”と言うではないか。15年ぶりに聞く言葉だった。酔った脳に幼い記憶が蘇った。
………
私が通っていた地域には、土曜日の授業終了後、朝の通学班ごとに校庭へ集められ、校長やらの話を聞いてみんなで帰るという仕組みがあった。
ただ、遠いところから順番に帰るので、ある程度近いところの班は暫く待たなければならないし、帰りの道は数珠繋ぎである。決して効率のよい制度ではなかったが、マスターもそれを経験していて、話題になった。
まことに懐かしい。
三杯目にグラスホッパーを頼むと、バーテンダーになってから2回目に作るという。変わったものを頼みますなぁ、と言われた。マスターなりのユーモアかもしれない。
他に客はいない。最初の初老の男性のみであった。しかも話をしているとその人はオーナーであるというではないか。いやいや、人によってどう感じるかは別れると思うけど、面白い。
BARのあり方も、東京都内で山手線に囲まれた場所で営業しているのと、遠く離れた郊外に店を持っているのとでは、姿が大きく違う。
そんなことを、初対面ながらベラベラと私は話して、マスターが酒の勉強をしていた頃の話を聞く。新宿で入ってみたら、シガーを吸う人しかいない店、必ず数万円を財布に入っていることを確認してから扉を押したこと。
いい話で、その道に生きている人の苦労というのは、心に感ずるものがある。
そんな話を聞いて、いやいや良き店を見つけたと思っていたら、このマスターはあと10日で店をやめるという。
おやおや、と思った。昼間の生活をしなければ暮らしは辛いときがある。暫くは昼夜を逆転しない生活ができればと言われる。私のような一般サラリーマンはは忘れてしまいがちだけど、夜に酒を呑むという行為には、酒を興してくれる人がいるのだ。
しかし他にもこの街にはなかなかな店があるというので、もう一件を紹介してもらう。
私はこの段階で結構酔っていたので、余勢を駆って乗り込んでみた。
BARの梯子とは、帰る時間を気にしなくても良い、地元でなければ出来ない余裕である。
先ほどの店はオーセンティックな雰囲気だったけど、こちらはスタイリッシュで都会的なスマートさがある。
先程の店のように雑居ビルの妖しげな場所でなく、通りに面した一階にあるから雰囲気を図りやすい。
中は若い人間が多少いて、賑わっている。マスターは銀座で修行していたということで、バックバーの数も多く、メニューにはイチローズモルトのビンテージがあった。
二件目の私は、イチローズモルトを頼み、残り僅かな時間を楽しんだ。
旅を謳歌し、遠出を楽しんできた私にとって、地元で時間をゆるりと過ごすのは、自分を見つめ直すに均しい価値をもつ行為であった。
私が見失ってしまった、見ようとしてこなかった事実を学んだ、短くも充実した夜だった。
私は埼玉県の田舎に住んでいて、私の部屋からは富士山が見えて、隣は市街化調整区域の畑である。まぁ、そんな田舎に住んでいる。
だから、周りの輩も田舎者の集まりで、ロクな奴等が住み着くわけはない。無論、私もそんな一人である。
呑み屋が少ない。
店がなくて、物足りない。地元で飲むという発想はまず生まれなくて、やはり都内で呑んでしまう。
ロクな人間がいないから、ロクな店も生まれない。それが私の地元観であった。
その夜、暇になったことを活かして、ビデオでも借りようとTSUTAYAに行こうとした。
私が使っているひとつ前の駅にある。
ここは終点になる列車があるためある程度大きいが、言っても田舎のお山の大将である。
その日は、ふと遠回りをして、街区ひとつを大回りをして歩いた。するとBARの看板がある。こんな店もあるのか。私は思った。
躊躇わず惹かれて階段を上がり、しかし雑居ビルの2階。妖しげなマッサージやらスナックが並んでいる。典型的な場末の雑居ビルである。その店は最も奥にあった。
おじさんが独りでマスターと話しているだけで、他に客はいない。
カウンターメインで、奥に幾つかテーブルがある。バックバーにはウィスキーとリキュール。本数は多くないが、その分ゆとりがある。
おじさんは私が席につくと、マスターと何やら会話をして、去っていった。私に気をつかってくれたのだろうか。会釈をして消えた。
良い店だなぁ、私は感じた。
一杯にビール。
二杯にジンをロックで。
週頭の平日、9時前にBARを訪れる客は私一人である。
マスターは一見で来る客は珍しいと言い、住んでいる場所から話が弾んだ。
私が通っていた小学校に行っていたと言い、懐かしい店の話が出た。聞くと私の8歳上だそうである。
するとマスターが“一斉下校知ってますよね”と言うではないか。15年ぶりに聞く言葉だった。酔った脳に幼い記憶が蘇った。
………
私が通っていた地域には、土曜日の授業終了後、朝の通学班ごとに校庭へ集められ、校長やらの話を聞いてみんなで帰るという仕組みがあった。
ただ、遠いところから順番に帰るので、ある程度近いところの班は暫く待たなければならないし、帰りの道は数珠繋ぎである。決して効率のよい制度ではなかったが、マスターもそれを経験していて、話題になった。
まことに懐かしい。
三杯目にグラスホッパーを頼むと、バーテンダーになってから2回目に作るという。変わったものを頼みますなぁ、と言われた。マスターなりのユーモアかもしれない。
他に客はいない。最初の初老の男性のみであった。しかも話をしているとその人はオーナーであるというではないか。いやいや、人によってどう感じるかは別れると思うけど、面白い。
BARのあり方も、東京都内で山手線に囲まれた場所で営業しているのと、遠く離れた郊外に店を持っているのとでは、姿が大きく違う。
そんなことを、初対面ながらベラベラと私は話して、マスターが酒の勉強をしていた頃の話を聞く。新宿で入ってみたら、シガーを吸う人しかいない店、必ず数万円を財布に入っていることを確認してから扉を押したこと。
いい話で、その道に生きている人の苦労というのは、心に感ずるものがある。
そんな話を聞いて、いやいや良き店を見つけたと思っていたら、このマスターはあと10日で店をやめるという。
おやおや、と思った。昼間の生活をしなければ暮らしは辛いときがある。暫くは昼夜を逆転しない生活ができればと言われる。私のような一般サラリーマンはは忘れてしまいがちだけど、夜に酒を呑むという行為には、酒を興してくれる人がいるのだ。
しかし他にもこの街にはなかなかな店があるというので、もう一件を紹介してもらう。
私はこの段階で結構酔っていたので、余勢を駆って乗り込んでみた。
BARの梯子とは、帰る時間を気にしなくても良い、地元でなければ出来ない余裕である。
先ほどの店はオーセンティックな雰囲気だったけど、こちらはスタイリッシュで都会的なスマートさがある。
先程の店のように雑居ビルの妖しげな場所でなく、通りに面した一階にあるから雰囲気を図りやすい。
中は若い人間が多少いて、賑わっている。マスターは銀座で修行していたということで、バックバーの数も多く、メニューにはイチローズモルトのビンテージがあった。
二件目の私は、イチローズモルトを頼み、残り僅かな時間を楽しんだ。
旅を謳歌し、遠出を楽しんできた私にとって、地元で時間をゆるりと過ごすのは、自分を見つめ直すに均しい価値をもつ行為であった。
私が見失ってしまった、見ようとしてこなかった事実を学んだ、短くも充実した夜だった。
