神楽坂で友人と飲む用ができたので、ついでに早稲田で髪を切り、さらにメガネが壊れてしまったので、池袋で修理をしてゆこうと思う。
池袋と早稲田は案外近い。
早稲田から神楽坂も東西線で一駅である。両区間とも歩くことがやぶさかでない距離で、幾度も歩いている。
時間が許す限り、歩こう。
けれども最初から歩こうと思っていたのではない。
この日は休みだったので、他にも色々ほしいものを物色したりしようと計画していたのだが、ついつい昼間まで眠って、家でぐずぐずしているうちに、結局池袋に着いたのは、既に4時を過ぎて、これから神楽坂まで歩いて、髪まで切ろうというのだから、一人というのは気を遣わなくてよい。
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池袋からは東池袋方向へ進み、雑司ヶ谷霊園を目指す。
霊園を南へ抜けるとすぐに急坂に出る。辺りは静かな住宅街である。この坂を下りると雑司ヶ谷二丁目で、頭の中の地図を基に出来るだけ一直線に池袋-早稲田をつなぐべく、進路を東へとる。
すると、住宅地の中に忽然と小さな商店街が現れる。私はここの佇まいが好きで、通ると嬉しくなってしまう。
いくつかの雑貨店と、八百屋さんと、乾物屋が軒を並べている。
よそからわざわざ客が来るようなことは絶対に無いといってよいだろう。
あくまでも地元の人が利用するための商店街だ。駅前でもバス通りでもなく、狭い路地にいまでも息づく商店街。東京の奥深さを感じる。
この商店街から南を目指して右に曲がると、今度は坂を上ることになる。件の商店街は谷の底にあることになる。この谷をたどると、鬼子母神に接する大鳥神社の辺りから始まっているように思う。古くは川なのかもしれない。
坂を上ると目白通りで、豊島区と文京区が接する目白台二丁目の交差点になる。
この交差点の近くに公園があって、ここから新宿の高層ビル群がよく見える。目白台が神田川に削られた崖となり、南側へ落ちているので視界が開ける。
崖であるので、道があれば坂になりいくつもの名前を持った坂がある。この公園の脇を下がる階段は小布施坂、一本西を下がるのが日無坂。車はさらに西へ一本、富士見坂を通らなければならない。
散歩したり、買い物にいったり、毎日車の通らない坂道を利用している地元の人とすれ違う。東京にもこんな場所があるのだと、改めて思う。
小布施坂を下りきると、コインランドリーがあって、煙突が見える。銭湯がいまでも営業している。間もなく早稲田大学なので、今でも需要が多いのであろう。
神田川を渡り、早稲田大学の敷地内を抜けて、馴染みの床屋で髪を切ってもらう。時刻は5時半であった。
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早稲田通りを東へ進めば神楽坂へ行ける。というか、神楽坂は早稲田通りの一部を構成する坂の名称であると理解できる。
東京メトロ早稲田駅付近には夏目漱石ゆかりの場所が多いという。早稲田通りから一本それた路地には、胸像もある漱石公園というのがあった。その路地は早稲田小学校の前を通っている。
暗くてよくわからなかったのだが、早稲田小学校は矩形窓とアーチ型の窓、車寄せを持った洋風建築となっているように思えた。ぜひ今度は明るいときに見てみたい。
神楽坂を目指す道中も坂を上る。今度の高台は新宿へつながってゆく淀橋台で、地下鉄東西線の神楽坂駅はこの坂の上に地下駅としてホームを持っている。
地下鉄は往々にして、土地買収の問題、あるいは工事に際して受益者負担をエクスキューズするため公道の下に通される。東西線の場合、落合駅付近から神楽坂駅付近まで早稲田通りの下を通る。
ところが坂を上ると、早稲田通りは急に道が狭くなり、片道1車線になってしまう。
複線の東西線はスペースを押し狭められ、神楽坂駅は上に西船橋方面、下に中野方面と平行のホームではなく、重層式の構造を持つことになった。
東西線に乗って、車内の停車駅案内図を見たとき、神楽坂の駅だけ扉の開く方向を示していないのは、無理して作った駅の構造上仕方ないことを無言にして語っている。
毎日通過している東京の地下鉄も地上に出ると、不思議に満ちている。
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7時に集合した神楽坂では友人と大いに飲み、大いに語らった。つい気が大きくなって、本来ならば帰らなければならない時間にBARへ繰り出して、帰れなくなった。初めて乗る有楽町線の最終列車池袋行きに乗り、友人の家へ転がり込んだ。







