鳥取で一泊した私は、若桜鉄道を往復して、郡家智頭を経由して、因美線で津山へ抜けた。


裏道・横道の王道


智頭発13:01津山行きの一両編成ディーゼルカーは陰陽の境を超えて岡山県に入った。
お客さんは5人しかいない。那岐で降りたおばさんいがいた以外、みんな14:09着の津山まで乗っていった。

津山ではまたも自転車を借りて小京都と言われる町並みを走った。
しかし今回は町並みがメインではない。時間の待ち合わせで余裕が生まれてしまったので、観光でもしようという本末転倒である。


裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

裏道・横道の王道


津山と岡山を結ぶ津山線、ここに平成20年現在唯一となった昼行急行が走っている。“つやま”という愛称は変哲もないし、急行でなければ気にもならないのだが、一本しかないのであれば心に留まる。
“つやま”と同じ区間を急行料金が必要にならない快速が下り6本、上り7本走っていて、存在意義は見失われているかに見える。
少なくとも時刻表ではそう見える。この時は見えただけだった。

私が乗って一月ほどたって平成21年3月改正での廃止がアナウンスされた。

急行つやまの発車は15:46、しかも津山へ抜ける因美線の山越え区間が少ないし、若桜鉄道の往復をしたかったので、鳥取を9時に出、津山を散策というのんびりした計画は、その結果であった。

今からもう7年も前になる。広島から備後落合まで急行“ちどり”に乗った。最初の急行列車であった。
笑い話か切実かは実感はないが、地方から初めて都会へ出てきた人が、走る私鉄の急行にお金を払わなければ乗れないと思ったという。そんな時代はとうに過ぎた。
急行列車は挽歌の時代で“ちどり”も、もう無い。

木造の屋根を背負った津山駅のホームからは機関区がよく見える。
その側線から“急行”幕を出した2両編成のディーゼルカーが動きだし、一度ホームを行き過ぎてから、方向を変えて入ってきた。


裏道・横道の王道

お客さんの数は少なくない。といっても各ボックスに一人二人、車端のベンチシートに3人づついるくらいだから、混雑しているわけではない。

車掌は急行列車であり、料金がかかる旨を繰り返し放送する。時代は変わり、急行列車も無料と考えるのが普通になったのだろうか。
しかし、料金がかかることが仇かに見える急行列車であるが、実際に乗ると、料金をかけることにより乗車層の選別がなされるというメリットがある。高校生も乗らない。
途中から乗った、出張らしいサラリーマン達の感想である。


裏道・横道の王道

裏道・横道の王道


……………

津山を定刻に発車した列車は晩秋の美作を走る。耕地があって大きな庭を持つ家があって…という構成を繰り返す。

どの家にも柿の木がある。既に陽が西へ傾いているので、その実はさらに輝きを増した。

宮脇俊三が最長片道切符の旅をしたのが10月から12月で、列島を縦断しながら車窓から多く柿を眺めて、“国果は柿”と書いているが、その気持ちが良くわかった。
どの家にも柿がある。植えられているのも道路に面した位置から、台所の裏まで様々だ。

柿があるところには、すぐに人の生活がある。川原にふつう、柿の木はない。山の中にもない。

里から離れた谷間の耕地にポツンとたわわに実を付けた柿の木が見える。きっとこの持ち主はここを大事にしているんだろうと思う。

柿があれば、なんとなく安心するところがあって平和の象徴の様な気がする。
柿の美はそこにあるような気がする。

…と思い始めたので、私は車窓の柿をカメラに抑えた。
しかし動いている列島から離れた柿の木を撮るのは至難で、20枚くらい撮ったけど満足できる代物はなかった。


裏道・横道の王道

裏道・横道の王道

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岡山が近づき、家々が密集するようになると柿の木は減った。

今回の旅はこれで終わりである。
あとは新幹線を乗り継いで東京へ帰るだけだ。

車掌が岡山での乗り換えの案内を入れた。終着岡山には16:49到着である。

……………

これは、山陽新幹線相生駅で午後3時前に人身事故が起こった10月28日の物語である。

ちょうど運転を再開した時間で、新幹線乗り換え口は大童であった。