裏道・横道の王道-081216_2333~0001.jpg
神楽坂、気になっていたBARへ行った。

ビルの2階。
不思議な名前の店である。8時前、まだお客さんは他にいなかった。
待ち合わせの時間潰しのつもりであった。

私は地理が好きで旅が好きで、きっとその逆であろうけれど、前々から理屈をこねて酒を飲んできた。

今宵のBARは、ウィスキーとワインが得意なBARで、カクテルの勉強をしてきた私にとっては出鼻を挫かれる思いがしたが、1時間ながら楽しい思いをした。

マスターが非常に蘊蓄のある人で、酒と地域、酒と土、酒と水、酒と湿度、酒と植物…さまざまな酒を構成する上での要素を教えてもらった。

理屈は私も大好きで、とくに地域性のような話では傾聴せざるを得ない。

今みたいな流通が確立する前、酒はそもそも地元の人に飲んでもらうためにあった。
つまりは、その土地の食事に適合するように酒は造られているわけである。

地産地消とは、そもそも道理であって理解できる人に理解できるものが生まれるわけで、それが調和するかどうかは、もっと環境決定的なのだ。

洋酒に限らず、日本酒も焼酎もそうである。マスターはそう言った。
なるほど、新潟の片田舎にある居酒屋に行ったら、西日本の酒は出さないであろう。鹿児島の酒場でそば焼酎は出ない。

……

BARではメニューを出さない店がある。
何故なら…
バックバー(バーテンダーがいる背後の酒の並んだ棚)がメニューなのだ。
ここに並んだ銘柄が、出せる酒=マスターの揃えたオリジナリティであって、飾りではないのである。

酒を知らないなら、知ったかぶりはしないほうが良い。
わざわざBARのカウンターに立っているバーテンダーの方々はプロフェッショナルである。専門知識を持った人々である。

自分が今、どのくらい酒を呑んで、どの酒が旨かったか。
今宵の気分はどうなのか。
どんな酒を味わってみたいのか。
それを教えてくれる。

それがBARの楽しみだ。

……

非常に面白い話があった。
“店の前に人は平等ではない”
一見と常連は違う。
どうお金を使うかで、お客の立場は異なる。良いお客さんか、さにあらずか。

酒場は万人に平等なサービスではないのだ。一回こっきりか、何度も来ているのか。

水商売の方々=お客様が神様な人々とお酒を呑んでいることを忘れてはならない。

ナルホド。

独りの酒。
この楽しみ。幸せであろう。
己のプライオリティでこれをいつまでも掲げている内は、なかなか私の人生に大きな転機はこなさそうである。