3月末・年度末
今年度の最後の最後でとんでもないことが起きてしまった。
3月11日はこれまでの日常が崩壊した日。
一生忘れることが出来ない日になった。
そんな中、未だに私を就かってくださる会社には
本当に感謝感謝である。
来年度からもお仕事できそうである。ありがたい事である。
これからの宮古、三陸をどう立てなおしていけばいいのか・・・
今日もニュースを見たが、
マイナスからのスタート、どこから手をつけていけばいいのかわからない、
復旧以前の問題、この街から出たい・・・
様々な問題が累積する。
復興に向けて頑張ろう!と言う言葉なんか軽く吹き飛ばしてしまうほどに。
それでも、やれるところからやって行くしか無いのだ。
来年度は試練と辛抱の年になる。
明日から、また歩き続けよう。
3月11日はこれまでの日常が崩壊した日。
一生忘れることが出来ない日になった。
そんな中、未だに私を就かってくださる会社には
本当に感謝感謝である。
来年度からもお仕事できそうである。ありがたい事である。
これからの宮古、三陸をどう立てなおしていけばいいのか・・・
今日もニュースを見たが、
マイナスからのスタート、どこから手をつけていけばいいのかわからない、
復旧以前の問題、この街から出たい・・・
様々な問題が累積する。
復興に向けて頑張ろう!と言う言葉なんか軽く吹き飛ばしてしまうほどに。
それでも、やれるところからやって行くしか無いのだ。
来年度は試練と辛抱の年になる。
明日から、また歩き続けよう。
此処より下に家建てるな
■此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm
以下、記事本文
--------------------------------------------------------------
「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
(2011年3月30日07時22分 読売新聞)
--------------------------------------------------------------
地元のいい話を見つけたので。
重茂の先人、御先祖様に感謝感謝である。
そして大きく取り上げてくださった読売新聞にも。
里の家は流されたけど、これを教訓に津波対策とまちづくりをしていければ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110329-OYT1T00888.htm
以下、記事本文
--------------------------------------------------------------
「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。
東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」
本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)
地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
(2011年3月30日07時22分 読売新聞)
--------------------------------------------------------------
地元のいい話を見つけたので。
重茂の先人、御先祖様に感謝感謝である。
そして大きく取り上げてくださった読売新聞にも。
里の家は流されたけど、これを教訓に津波対策とまちづくりをしていければ。
また悪夢
昨日は、宮古に隕石が落ちる夢をみた。
復興に向けて何らかの活動をしている矢先
突然向こうに光が見える。
刹那、轟音と共にデカイ煙、炎が立ち上り
津波のようにこちらに炎が地面をつたってくる。
理論上はそんなことはありえないのだが
夢のなかなのでそんなことは気にせず。
ただただ無我夢中で逃げる。
俺は何故か近くにあったマイクロバスの運転席に飛び乗り
「みんな乗れーー!」と
近くにいたじいさんばあさんたちを乗せる。
そこから、炎から逃れるために
宮古(夢のなかなので現実とは微妙に違う)を走る。
自分でもどこを走っているのかわからなくなる。
「どこまで走ればいいべ?」
と思わず乗客のじーさんに聞く。
「こごらへんでいんじゃねーべが?」
「んだがなー」
とのんきに会話をする。
近くには北山崎の美しい景色が広がっており(もちろん夢のなかなので実際の北山崎とは違う)
「こんな時にこんただどごさくっとはおもわねがったな」と
じーさんたちと話をする。
ここらへんで目が覚める。
災害の夢はこれで2回目である。
何かの予知なのか、私がトラウマに縛られているだけなのか。
後者であれば私が変なだけと言う話で済むので嬉しいのだが。
復興に向けて何らかの活動をしている矢先
突然向こうに光が見える。
刹那、轟音と共にデカイ煙、炎が立ち上り
津波のようにこちらに炎が地面をつたってくる。
理論上はそんなことはありえないのだが
夢のなかなのでそんなことは気にせず。
ただただ無我夢中で逃げる。
俺は何故か近くにあったマイクロバスの運転席に飛び乗り
「みんな乗れーー!」と
近くにいたじいさんばあさんたちを乗せる。
そこから、炎から逃れるために
宮古(夢のなかなので現実とは微妙に違う)を走る。
自分でもどこを走っているのかわからなくなる。
「どこまで走ればいいべ?」
と思わず乗客のじーさんに聞く。
「こごらへんでいんじゃねーべが?」
「んだがなー」
とのんきに会話をする。
近くには北山崎の美しい景色が広がっており(もちろん夢のなかなので実際の北山崎とは違う)
「こんな時にこんただどごさくっとはおもわねがったな」と
じーさんたちと話をする。
ここらへんで目が覚める。
災害の夢はこれで2回目である。
何かの予知なのか、私がトラウマに縛られているだけなのか。
後者であれば私が変なだけと言う話で済むので嬉しいのだが。
休日だったのですが
風邪を引いて寝こんでました。
花粉症だと思ってたら油断したわ。
余震が止まりません。
一ヶ月続く話もしておりましたが、正直心臓に悪いです。
いつまで続くんだろう・・・。
昨日は夢を見ました。
今回よりももっと大きな津波が起き
流されなかった家が流され
家族全員で車で津波に追いかけられるという夢。
防波堤がほとんど大破した今
津波から守るすべは、今無いと言う現実をついさっき知る。
宮城県沖地震は、まだ起きていないらしい。
花粉症だと思ってたら油断したわ。
余震が止まりません。
一ヶ月続く話もしておりましたが、正直心臓に悪いです。
いつまで続くんだろう・・・。
昨日は夢を見ました。
今回よりももっと大きな津波が起き
流されなかった家が流され
家族全員で車で津波に追いかけられるという夢。
防波堤がほとんど大破した今
津波から守るすべは、今無いと言う現実をついさっき知る。
宮城県沖地震は、まだ起きていないらしい。



















