ジャンビーア 城壁 4姉妹 夜のバーバルヤ門 夕飯時の旧市街 布地屋 キッス 立派な子供 スーク 顔を隠して働く女性 小さい子供も働く 旧市街 人のパワーに圧倒 夜の旧市街 イエメンの首都サナアは2500年前から人々の暮らしが続き、現存する世界最古の町といわれている。

サナアの旧市街は世界遺産にも指定されており、町そのものが生きた博物館といわれるのもうなずける。

城壁に囲まれた旧市街に足を踏み入れたときに感じてしまった。

「これぞずっと求めていたアラビアンナイトの世界!!!」

イエメン1賑わっているバーバルヤマン(イエメン門)を抜けると旧市街を網の目のように広がるスークがどこまでも続いている。

人々の活気で圧倒されっぱなしでなかなか前に進むことができない。

それだけ人で溢れかえっているのだ。

ちょっと進むごとにモスクやハンマーム(蒸し風呂)が突然現れたりする。

この旧市街だけでも64ものモスクがあるという。

アザーンが流れ、人々はモスクへと足早に向かっていく。

ジャンビーア(短剣)を腰にさした男たち。

眼しか見えない全身黒ずくめの女性たち。

今は本当に2006年なのだろうか?

【自分だけ何百年も昔にタイムトリップしているのではないか?】

と本気で錯覚を起こしてしまう。

今まで見たこともない石造りの独特の建物。

スークにはまばゆいばかりの美しい布地、金の装飾品、香辛料などが様々な匂いを織り交ぜて立ち並んでいる。

男たちの威勢のいい掛け声、とても多くの子供が商売をしているのにも驚かされる。

ちょっと細い路地をあてもなく歩いていくと必ずひとなつっこい子供たちと出会い、無邪気な笑顔を前になかなかその場を立ち去ることができない。

本当にこの町こそが究極のアラブ世界なのだ。

学生の頃から海外に行きだしてイエメンが38カ国目になるが一番心を揺さぶられた町かもしれない。

とにかく町は古ければ古いほどに魅力を感じるのだ。

時間の流れも自分の存在自体も何がなんだがわからなくなる。

地図なんて持たずにひたすらこの町を彷徨い歩いて出会う人々の美しい笑顔、昼も夕方も夜もいつ訪れてもサナアの旧市街はまるで宝石箱のように輝いている。

決して綺麗だから輝いてるわけじゃない、日本の近代的なビルみたいに清潔なところなんてひとつもない。

町が人と共に生きてきた長い年月がそのまま町に染み込んでいるのだ。

そんな素晴らしい町で最悪な事件が起きてしまった。。

同宿の日本人男性と観光したかったのだが、すれ違いばかりでその日は会うことができず、町を1人でひたすら歩いた後、ハンマームで一緒になったイエメン人の女の子たちに頭からつま先までごしごし洗ってもらった。

そのハンマーム屋の16歳の息子に夕飯をご馳走になり、そのままハンマーム屋の家族宅でウルルン滞在するはずだったが、少年にセクハラされぶち切れたのでその家族の家には行かず宿に戻ろうとバーバルヤモンの門を通り抜けた人混みの中でのことだった。

一瞬で30人くらいのイエメン男性に囲まれ、2人の男に両手を押さえつけられ、何が何だか分からないまま、複数の男に体を触られたのだ!!!

アラブで痴漢にあったら叫ぶように教わっていた言葉を叫ぶ。

「ハラーミー!!!!!」

人混みだし、ほんの一瞬の出来事で周りは事態にまったく気づいていない様子。

私は甲高い叫び声をあげまくり、必死に手足を動かし、その囲まれた男たちの輪から逃れ、一目散に走った。

怖かった、、、そして悔しい。

警察に行こうと思ったが行ったところでどうにもできない。

英語も通じないのだから事態さえも伝えることができないだろう。

怒りで頭が狂いそうだった時、情報ノートで読んだ眺めの良い屋上があるというホテルが目の前にあったので屋上に上がった。

誰もいない屋上。

これがムスリムの女性であったなら、間違いなくここから飛び降りるだろう。

ムスリムの女性はそんな屈辱にあったなら自殺するか一生事実を隠し通す、戒律の厳しすぎるところでは侮蔑行為にあったりしたら家族がその娘を殺すと聞いたことがある。

それをわかっているからこそ彼らは絶対にムスリムの女性には手を出さない。

もし手を出したならその女性の相手の男性に殺されてしまうからだ。

イスラム社会では人殺しであってもある程度名誉殺害として刑が軽くなるという。そして手を出した男に仕返ししようとしなければ男でないと言われてしまう。(あくまで人から聞いた話だが。)

だから外人女性に彼らは宗教のせいで抑圧された性をぶつけることになるのだ。

出来心の痴漢でさえ許せないというのに集団で一人の女性を狙うなんて弱いものいじめもいいとこだ。

本当に人間として卑劣で野蛮な行為!!

しかもこちらは敬虔なイスラム国と心得て全身黒ずくめの服に眼だけしか見えない状態にしてイスラムを冒涜しないように気をつけているのに。

それでもアジア人女性の眼と中東の女性では全く違うし、持っているリュックやサンダル、隠しきれていない髪の毛などですぐに外人だとバレてしまう。

西洋人観光客は思いっきり普段通りの格好をして歩いているが、あまり痴漢には遭わない様子。

特に中東ではアジア人女性は売春婦だと勘違いしてイメージされているというのだ。

今まで痴漢には散々あってきたがこれほど卑劣な出来事は初めて!

不幸中の幸いは触られるだけで済んだこと。

これがアフリカや南米であったらそうはいかないかもしれない。

それに改めて女性の一人旅がいかに危険か、男性と一緒に行動することが本当に大事だということに気づかされた。

悔しいが起きてしまったことはしょうがない。

リスクを考えた上で自分は女の1人旅をしているのだ。

次に起こりうる最悪のリスクを避ける上での試練だったと前向きに考えるしかない。

そう考えられなければ旅なんかする資格もないし、旅をしようとも思わないはず。

屋上で思いきり「痴漢アラブ男のばかやろう~!!!」

と叫んでこの怒りを静めようと思っていたのだが、サナアの夜景を見た瞬間、怒りがどこかへ吹き飛んでしまう。

目の前に見える夜の町並みはあまりに美しかった。

美しいものを見るといろんな感情がどうしてここまで吹き飛んでしまうのだろう?

いつもいろんな嫌な出来事に遭う度に旅を辞めて今すぐ日本に帰りたいと思う。

日本では大好きな人たちに囲まれて、平和で安全、快適な毎日が当たり前のように目の前にある。

美味しい和食に温かいお風呂、清潔なベッド。

ゴキブリや得体の知れない虫と夜な夜な格闘したり、不清潔な食事に腹をこわして汚い便所にこもることもない。

シャワーは冷水だったり、水さえも出なかったりもする。

停電も日常茶飯。常に荷物を盗難されないように守り抜く。

重い荷物を背負い、安宿を渡り歩く生活。

10円、20円のことで何十分も交渉を繰り返す。

何が悲しくてこんな生活をしてるんだろう?ふと考えたりしてしまう。

でも嫌なことが多々あってもそれでもまだまだ旅をしたいと思う。

旅をすることは生きがい。

本当に純粋に大好きなこと。

旅ができない人生なんてありえない。

嫌なこともひっくるめて全部が旅なのだ。

強盗にあっても痴漢にあっても絶対に旅を辞める気はない。

サナアの旧市街の夜景を眺めながら旅への想いを再確認した。

最悪なときこそプラス思考!!

しばらくはへこむと思うけど。。。ヾ(。`Д´。)ノ

ロックパレス! 少年たち 実はステンレスな短剣 立派な短剣を持つ少年 鷹とライフル ワディ・ダハールはイエメンの首都サナア近郊の巨大な岩山に囲まれた小さな町。ロックパレスという岩の上に建つ城が見どころだ。

昨日この町に来たもののすぐに日が沈んでしまい観光できずじまいだったのでまた同宿のワタルさんと一緒にリベンジすることに。

2度目なのでスムーズにダッバーブでワディ近くの町へ着く。

そこからは車でしか行けないのでヒッチを試みたが、爆睡タイムの朝だったので車はあまり通らない。

そこに1台のタクシーが。。ありえないほどふっかけてくる。

結局言い値の半値で交渉成立。

が、車はロックパレスに向かわず、なぜか断崖絶壁の岩山で停車。

嫌な予感。。

予想通りタクシー運ちゃんはロックパレスに行きたければ、もっと金を出せという。今いるのは車など通るはずもない場所。

「話が違うじゃない!!」と怒るのも数分で諦めた。

私たちに選ぶ道はないのだ。

そこに鷹を肩にのせたおっさんと狩用のライフルを持った少年が登場!!

サナアに行きたいからタクシーに乗るのか降りるのかさっさと決めろと言う。

まさか首都に鷹とライフルを持って行くのか?ありえない。。

すぐにタクシー運ちゃんとグルだと悟った。

少年は鷹とライフルで写真を撮ることを半強制的に勧め、バクシーシを求めてきた。

この少年観光客相手になかなかいい仕事をしているではないか。

あげたバクシーシに満足していない顔を見せたがすぐに超笑顔になり投げキッスをして私たちのタクシーを見送っていた。

きっと後で運ちゃんからのマージンが少しばかり入るに違いない。

追加料金を払うことになった私たちは無事ロックパレスに到着!!

タクシー代を払うと急に愛想よくなったタクシー運ちゃんは城の中を案内し始める。

観光中、城の従業員に尻を思いっきり触られた!!!

怒り心頭の私は蹴りを入れようと思ったが、ふと腰にある短剣が目に入り、蹴りを入れることができなかった。

とっさに短剣で反撃してきたらどうしよう??

貧弱なこの性格を呪いたい。。

結局イエメン人の短剣はほとんどがステンレス製でできているただのファッションだということが判明!

あ~悔しい、迷わず蹴り入れときゃよかった~!!

城を満喫したあと、この運ちゃんの車でまた引き返すことに。

帰りも当然他に車はいないのでディスカウントを試みるもこの運ちゃんの言い値で引き返すことに。

他に帰る手はないのだから運ちゃんは一歩も譲らない。

しかもなぜか現地人を2人も乗せて。。

途中ガソリンスタンドで車が停車。

また嫌な予感。

アジア、中東で何度も経験したお約束。

タクシー代を払っているのにも関わらず、ガソリン代もくれと言う。

シカトを決め込んでいる私たちを見て運転手はガソリンを入れずに車を出した。

やれやれ、ガソリン入れに来たんじゃないの??

近くの町に着いたので乗り合いバスでサナアまで帰っても良かったのだが、そのまま運ちゃんに追加料金(120円)を払いサナアまで行ってもらう事に。

実際イエメンはアラブで一番貧しい国と言われていて、物価がすごく安い。

水2リットルが30円。乗り合いバスで15km移動しても20円位と格安だ。

それでもいつもなら節約して一番安い方法を選ぶのだが、ワタルさんは夕方の便で帰国するので時間がそんなにあるわけではないし、短期旅行だからそこまで節約したくないだろう。

おまけに私はイエメンに着てから高度障害にかかっていた。

サナアは高度2300mだが、緑が極端に少ないため日本の3000mと同じ感覚になる。

頭痛、めまい、息切れ、二日酔いに似た全身倦怠感。

極めつけがラマダンによる昼夜逆転生活。

体力、気力ともにかなり低下していて少しのことで疲れてしまう。

結局タクシー運ちゃんはガイド代を請求することなく私たちはサナアに戻ったのでかなり優良運ちゃんといえる。

中東の運ちゃんはひどい人が多く、交渉を守らないのは日常茶飯、金に満足いくまで延々と車から降ろさない者までいる。

その後もいろんなボったくりに遭遇した。

歩き方にイエメンはボらないと書いてあるがそんなことはない。

いつものアラブと同じようにボってくる。

情報ノートをよく読んでみるとサナアでのボり率は少ないようだが、サナア以外の場所に行くとコテンパンにボられるようだ。

ボるだけならまだしも投石やシャイの入ったコップをを投げつけられたという人も。

イエメンが一番嫌いな国になったとか、もう2度と来たくないとの記述もちらほら。

誘拐の危険性や、警察の許可証の取得、そして高度障害。

どうやらあまり欲張らずに遠出するよりはサナアでのんびりしたほうがよさそうだ。

ビザ代55ドル(←注:かなり引きずっているあせる)の元を取ろうとガツガツしてもしょうがない。

たまにはゆっくりして究極のアラブ世界に浸ってみるのもいいかもしれない。

サナアはこれまでのモロッコ、エジプト、ヨルダン、シリア、レバノンと旅したアラブの中でも間違いなく真のアラブを感じられる場所なのだ。

夜の活気 朝は全部閉まっている ワディ・ダハールの子供 子供 イエメンの子供 朝のタハリール広場 朝の閑散 イエメンのラマダンは他のアラブ諸国と比べて全然雰囲気が違って非常に面白いので一見の価値あり!!

☆朝7時・・・誰も歩いていない。車も通っていない。100パーセント爆睡タイム。

☆朝10時・・・町は閑散としていている。95パーセントの人間がまだまだ寝ている。店はほぼ閉まっている。

☆昼14時・・・ようやくみんな起きはじめる。店は50パーセント閉まってる。いつもは9時開館な博物館がようやく開館!ちらほらしかやっていなかった公共施設や公共移動手段が全て始動!

☆夕16時・・・人々は徐々にソワソワしだす。

☆夕方17時~18時・・・夕食に向けて食材の買物ラッシュ!全ての人間が我先にと家路を急ぐ。クラクション使用率100パーセント!トラブル率高し。

☆夕方18時・・・アザーンとともに町に人、車が全て消える。100パーセントの人間が皆食ってる!!!

☆夜19時~20時・・・夕飯を終え一気に町が活気付く!店の開店率は一気に100パーセントに。

☆夜20時~0時・・・人々のテンションは高く、町は人で溢れかえる。食べ物屋はもちろん、洋服屋、、雑貨屋全て大繁盛。まるでお祭りのようだ。

子供連れの女性も多く見かける。

☆深夜1時・・・なんとまだ博物館が開いている。人々はまだまだ帰宅する気配すらない。

☆深夜3時・・・まだまだ町はお祭り騒ぎ。子供も元気いっぱい。

☆深夜4時~5時・・・ようやく皆帰宅し始める。大音量の音楽は鳴り止み、店が一斉に閉まる。

とまあこんな具合だ。

今までのアラブ諸国と何が違うかといえば、全ての人間が日の出から日没までの間、食べ物や飲み物を一切口にしないというラマダンを遵守している。

が、タダ単に生活を丸っきり昼夜大逆転させているだけなのだ。

今までは結構ラマダンってしんどいと思っていたがイエメンでは違う。

特別我慢しなければならないことなどなく、人々のお祭り騒ぎを見ていると明らかにラマダンを楽しんでいるのではないか?と思えてくる。

イスラムの信仰心を再確認する断食月は本来辛いはずなのに、逆にお祭り騒ぎになっているとはやはりイスラム教、、、謎だらけである。

子供たち ラマダンディナー イエメン家庭 子供たちと 少年 イエメンファッション 豆売りの男性 イエメンの首都サナアの街を昼間歩いていたらいきなり頭に石を投げられた。

犯人は11歳くらいの子供であっという間に何十人ものイエメン人が集まって来る。

その子供は英語を話せないので周りにいた大人が「Sorry」とあやまる。

本当に痛かったし、すごく悔しくて涙が出た。

何で人の頭に石をぶつけるようなことをするんだろう??

例え子供でも許せない行為だ。

海外を1人で旅するようになってから何度も石を投げられてきた。

20歳のときにはイギリスのカンタベリーで12歳くらいの男の子10人に囲まれ、一斉に石を投げつけられた。ほとんど集団リンチ状態。

数ヶ月前行ったインドのコルカタでも子供に石をぶつけられ、頭に軽いケガをした。

こちらは気に障るような行為など一切していないというのに本当に頭にくる。

ただ外国人の女というだけで彼らは石を投げつけるのだ。

たとえ日本人やアジア人を良く思ってないと仮定してもひどすぎる行為だむかっ

気を取り直して、同宿の日本人男性とサナアからダッバーブ(乗り合いバス)を乗り継いでワディ・ダハールという岩山に囲まれた小さな町に行った。

夕暮れ時に来たせいで日はすぐに沈んでしまい、あまり観光もできずにサナアに帰ろうとしたが、車やタクシー、バスがまったく走っていない。

しまった、ラマダンのせいで今は一斉に夕飯タイム。道路には人1人いない。

さあ、困ったと途方に暮れてしまう。たまに何台か車が通るのだがみんな家路を急いで猛スピードで走り抜けていく。

そこに1台の車が止まってくれた。サナアまで連れてってくれそうなので乗ることに。

イエメンはサナア周辺以外は武装集団による外国人の誘拐が多発する国で警察の許可証がないとサナア周辺以外の土地には行くことができない。

だが、サナア周辺はとても安全という不思議な国。ヒッチもとても安全で簡単だ。

この車のおじさんはまず私たちにブドウをくれモスクでお祈りするから少し待ってくれとモスクに向かった。

お祈り終了後、「家で飯を食っていくか?」と言われおじさんの家に行くことに。

待ち受けていたのはイエメン家庭でのウルルン滞在だったコーヒー

まず一緒に来ている日本人男性のワタルさんとは違う入り口に案内された。

敬虔なイスラム国のイエメンでは男と女では玄関さえも別々なのだ。

通された部屋は女性と子供だけの部屋。

大歓迎をうけ、次々とご馳走が運ばれてくる。

徐々に料理は増えていき、最終的には10皿くらい運ばれてきた。

女性も子供もみんな私の一挙一同を見続けている。

相当珍しい宇宙人みたいなかんじなのか、子供なんて食い入るような目つきだ。

1人1人目があうとニッコリ笑う。

英語がまったく通じないからお互いニッコリと笑うことでしか意思疎通ができない。

さあたくさんお食べ!とジェスチャーをしてくるけどさすがに1人で10皿も平らげることはできず、ハラ~ス(アラビア語で終わり)!ごちそうさまでしたお茶

美味しいイエメン家庭料理のあとは甘いザクロやスイカ、ブドウのデザートが出てくる。

本当にものすごい歓迎ぶりだ。

男の人の部屋がどのようになってるか気になって覗きに行ってみると、そこにはむさくるしいくらいの大人数の男性たちが同じようにデザートを食べて談笑していた。

12人はいるだろうか?ワタルさんも手厚い歓迎を受けているようだった。

女性たちは私にシルクのスカーフをプレゼントしてくれ家を後にした。

ほんの数時間の滞在だったが、異文化のイエメン家庭を知ることができて最高にうれしかった星

おじさんの家はかなり上流家庭のようでまるでお城みたいに大きい家だった。

子供だけでも10人。女性が4人、男性は12人いたけど、たぶん6人くらいは友達だとしても大変な大家族だ。

おじさんはサナアまで送り届けてくれて私たちは宿へと戻った。

投石事件の後だけにイエメン人の優しさがありがたい温かい夜だった(*^o^*)

イエメニア航空 イエメニア航空客室乗務員 機内食 ベイルート上空 昨晩ついにサーメルをウノで打ち負かし満足してアラビア半島のイエメンへと向かうことに。

罰ゲームはみんなが大爆笑するまで変な動きをし続けるというもの。

サーメルは2回負けたので超照れながら変な動きをやってくれた。

クリフで会ったみなさん、帰国して会う機会があれば超面白いサーメル動画見せますね(*^o^*)

サーメルはやはりお礼を受け取ろうとはしなかったけど強引に渡すことに成功流れ星

最後まで謙虚で優しかったサーメルに私は再会を誓った。

今度会えるのはいつになるかわからないけど必ずまたアンマンに行きサーメルと再会したい。

アンマンからイエメニア航空で初アラビア半島、イエメンへ!!

直行便かと思ってたらレバノンのベイルートで待たなければならなくてだるかった。

でも飛行機を降りる必要はなくひたすら機内で待機。

私としては機内で待つよりもテロ防止の為全員1度降ろして機内をくまなくチェックしてくれたほうが安心なんだけど。。

乗り換え地点で降りた客が不審物を置いて降りていったらどうしよう??などとビクビクしてしまう。相変わらずビビりな貧弱バックパッカー。

今回アンマンに戻りサーメルと再会できたことの他にもう1人偶然再会を果たすことができた人がいる。

この前にも書いたがレバノンでヒズボラに拘束されたという戦場カメラマン志望の男の子だ。

私と同じ日にアンマンを出て、偶然にも同じ日にアンマンに戻ってきていた。

「無事でなによりだね~!!」

と彼の無事を喜んだが話を聞くとイスラエルのパレスチナ難民キャンプで2人組の強盗に遭い、大事な一眼レフカメラと現金を強奪されてしまったという。

その後、難民キャンプのパレスチナ人に2500円(パレスチナ難民キャンプにおいてこれは相当大金である。)を援助してもらい、その優しさに泣けたと話していた。

強盗に遭ったとはいえ危険地帯でそれだけで済んだのだからよかった、よかった。

カメラは保険がきくし、お金も何とかなる。

大事なのはひとつしかない体。安否を心配している人はたくさんいる。

話によると彼もイスラエルのスタンプを押されてしまったらしい。

今はどれだけ別紙に押してくれと頼んでもほぼ押されてしまうらしいから今回イスラエルにはホント行かなくて良かった。。

行く当日まで迷って断念した決断は正しかった。

イスラエルは中東旅の最後かパスポートを更新する前くらいにまた行けばいいのだ。

人生まだまだ長いんだからまたいつでも行ける。

イエメニア航空の機内食はほとんどの人がラマダン中にも関わらず全然食べてたが、

一部の敬虔なムスリムだけ18時半位まで待って食べ始めていた。

夜イエメンに到着DASH!到着時に取得可能なビザはなんと55ドル!!

5日位の日程でも1ヶ月のビザを取らなくてはならない。

あまりの高さに鼻血出そうだったのでとりあえず他の空港職員に聞きまくると確かに55ドルで間違いないという。

「イチかバチかディスカウントしてみたら?」とひとりの職員が勧めるので一応「ディスカウントOK??」とビザ係に言ってみる。

笑顔で「NO!」当たり前だっつーの。ヤバーニー(アラビア語で日本人)の恥をさらしてしまったあせる

空港を出てタクシーの客引き攻撃をかわし、ダッバーブ(イエメンの乗り合いバス)で首都サナアの中心地へ。

《これから行く人への情報→空港からダッバーブでハサバまでYR30。ハサバで乗り換えてタハリールまでYR20です。最新版の歩き方の情報は既に古いのでこの正規の値段をきちんと払ってあげてください。イエメン人は他のアラブ人と違ってボッてこないみたいです。タクシーもふっかけてきません。他のアラブと同じようにボリ態勢を構える必要はないです。》

乗り合いバスでは珍しい日本人の女に興味津々!

英語はみんな話せないがとにかく話しかけてくる。何を言ってるのか分からないが歓迎されてることは伝わった。

町の中心地に着くとガイドブック片手にキョロキョロ。全然道が分からない。とすぐに10人位集まって道を教えようと着てくれた。。が、誰も英語が通じない。困った困った。

「誰か英語を話せる人はいませんか~?」と、とりあえず叫びまくる。

すぐに英語を話せる男の人が駆けつけてくれた。

親切にも宿に電話までかけてくれて詳しく道を確かめ連れてってくれた。

とても優しいイエメン人。

それにしてもイエメン人は超カッコイイ!!!マジでシブすぎる!!!!

顔がかっこいいのではなくほとんどの人が民族衣装っぽい服に短剣をさして歩いているのだ。5歳くらいの子供まで立派な剣をさして堂々と歩いている!

まさに武士の世界にタイムトリップしたみたいだ(゚◇゚ )

女の人は子供以外全員アバヤという黒い衣服を着ていて目だけしか見えない。

今までのアラブ世界とは異なる異文化世界。

完全なる敬虔イスラム国だ。

とても同じ時代の世界とは思えない。

やばい、胸がドキドキしてきた、イエメン!!

クリフホテル 毎日ウノ 変顔 サーメルの笑顔 ジェンガ サーメル! 手作りご飯 サーメル サーメル基金箱 レバノンの次はイエメンから行く予定だったがベイルートからシリアをまた通りヨルダンへと戻ってきた。

本当はレバノンかシリアから飛べば簡単なのだが、どうしてもヨルダンに戻りたかった。

レバノンからは相乗りのセルビスタクシーでまずはレバノンを出国、シリアのトランジットビザを取得し、シリアに入国、移動後シリアを出国、荷物検査の後ヨルダンへ入国と車を降りたり乗ったり、書類をいろいろ書いたり本当に疲れ果てた。

その疲れる間中ずっと税関スタッフは私にセクハラ言葉を浴びせ続ける始末。

アラブ人たちは当然のように並ばず割り込んでくるので必死に食い止める。

並んだとしてもすごいぴったりとくっついてくるので気絶しそうな臭さだ。

とにかく臭い。口も体も服もものすごい異臭を漂わせている。

地獄の移動が終わりヨルダンに戻ってきた。

なぜ戻ったかというとアンマンのクリフホテル従業員のサーメルに再会するためだ。

私はシリア、レバノンからまたこのクリフホテルに戻ると彼に約束したのだ。

旅先での約束はあってないようなものだが彼との約束だけはどうしても守りたかったし、無事に戻ったことを報告しきちんとお礼をしたかった。

中東を旅するバックパッカーに彼を知らぬ者はいない。

びっくりするくらい腰が低く、そのホスピタリティは世界の安宿の中でもピカイチ!

とにかく無償の優しさで私たち旅人に接してくれる。

サーメルはアラブ世界で疲れた旅人のオアシスのような存在。

出かけるとき「いってらっしゃい」と送り出してくれ、帰れば「おかえりなさい」とで迎えてくれその笑顔にはいつも癒されてしまう。

いつでもたくさんネスカフェやシャイをご馳走してくれ、手の込んだ夕飯も毎日作ってくれる。

私が宿に戻るといつも小走りに追いかけてきては冷たいジュースをくれたり、金の腕時計をプレゼントしてくれたりした。

とにかく人を喜ばせるのが大好きなのだ。

サーメルの安い給料を知る私たちはいつもいらないというのだがもらってくれるまでサーメルは決してあきらめない。

洗い物も手伝っているのを見つかると奪い取られ手伝わせてくれない。

お礼にプレゼントやお金を渡そうとしても受け取ってくれないので、こっそり宿を出るときに置いて出るかサーメルがいないときにサーメル基金箱にお金をいれることになる。

サーメル基金箱とはオーナーにこき使われて14年のサーメルが自分のホテルを作るための資金を応援する基金箱。

サーメルはヨルダン人ではなくパレスチナ人、18歳のときから休みなくクリフホテルで働き続けてきた。オーナーはドケチでサーメルを全然いたわってくれないのでサーメルは疲れ果て他のホテルに移る話がたびたびあるのだがやはりその人の良さからかみんなサーメルを利用したがるオーナーが多く移る話も立ち消えになるらしい。

サーメルとは毎日必ずウノやジェンガ、ドミノをして遊んだ。特にウノが大好きで夜になるといつも「Play UNO??」と聞いてくる。

サーメルとするウノは完全にサーメルルール。勝つために手段は選ばず、どんな手でも使う。ウノをしているサーメルは本当に楽しそうで生き生きしている。

だから日中オーナーの下でこき使われている姿を見るとかなりつらい。

サーメルの夢であるホテル設立を応援してあげたくなってしまうのはおせかっかいなことなのだろうか?

気の弱いサーメルには今の環境を変える為のきっかけが必要なのだ。

サーメルは誰にでも優しいが日本人には特別優しいのが見ていてわかる。

事実サーメルは本当に日本人が大好きで結婚するなら絶対日本人以外ありえないとまで言い切っているくらいだ。

でも出会いの場所といったら働く宿だけ、知り合って仲良くなってもみんな旅立ってしまう。

サーメルはそれがとても寂しいようだ。

「ここを去っても日本人は僕のことを忘れないでいてくれる。本当に日本人は優しくて大好きだ。」

サーメルは時代遅れのデジカメを取り出しては私たちとの写真を撮っている。

ご飯を食べているときにサーメルが言った。

「このカメラはコーダの事件のあと大使館が僕にくれた大事なカメラなんだ。」

誰もがその名前をサーメルの前では口にしなかったので一瞬で楽しいはずの食卓が静まりかえった。

その次の日サーメルと2人だけで夕飯を食べていたときサーメルが語りだした。「僕がコーダにバスチケットを取らなければコーダは死なずに済んだんだ。僕は決してわすれることはできない。毎日コーダのことを思い出す。」

誰のせいでもなくそれは本人だけの責任。

必死にサーメルは止めたが香田さんのイラク行きの決意は変えられなかったこと。

せめてイラクに安全に行けるバスを手配しようと思ったこと。

あの当時サーメルの元には世界中のマスコミが殺到し精神的にかなりまいってしまったという。

現在32歳だが老けこんでしまって40代にも見える。その件のことと日々の疲れからそうなってしまったのだろう。

今でも香田さんの家族とは連絡を取ってるといい、イラクと隣という場所柄大使館とも蜜な連絡をとりあっている。

あの当時出版された香田さんに関しての本を以前に読んでいたがまさか自分がたびを始めこのクリフホテルに来ることになるとは思いもしなかった。

サーメルいわく今のイラクはあの当時よりもさらに危険とのこと。

私のレバノン行きも日本大使館に連絡してくれて最新の安全情報知ることができた。

いつも旅人のやりたいことを一番安く安全な方法で行動できるようにサーメルは協力してくれる。

彼はもし自分のホテルを作るとしたら「コーダホテル」と名づけたいそうだ。

その名前が適当かどうかはわからないが香田さんの両親もその名前を使ってほしいと言っているという。

彼にお世話になった旅人はみんなサーメルの夢を応援している。

そしてサーメルの幸せを心から願っている。

サーメルいつも優しくしてくれてありがとう。

アラブ世界で疲れた私はいつもこのクリフホテルに戻るたびにサーメルの優しさに癒された。

今日もネットカフェから戻ったらサーメルとウノ大会だ。

罰ゲームを作ってからなかなか負けないサーメル!今日こそは絶対に負けてもらうわよキラキラハートクラブダイヤスペード

ブシャーレの街 レバノン杉 トリポリの子供 トリポリのモスク トリポリ旧市街 トリポリの廃墟 戦車 ビブロス ビブロス遺跡 戦争で汚れた海 レバノン国内の見どころを効率よく周る為、レンタカーしてレバノンの見所を一気に周ることに。

そもそもレバノンは鉄道やバスというものが他の中東諸国に比べて発達していない。

国土も狭いため車やタクシー、セルビスの移動が基本。

ベイルートの宿で一緒に観光に行く人を探したが観光目的よりも今回のイスラエル空爆の現場を見に来ている人が多く、一緒に観光する人は見つからない。

すると仕事で来ているフォトジャーナリストのイタリア人が「車で連れて行ってあげようか?」

と言い出した。ラッキー♪連れてってもらえることに。

ベイルートに来たときは日本人誰もいなかったのに、後日日本人男性が2人増え、計4人で周ることに。

行く前日の夜中から朝方にかけて私は超下痢になってしまいずっとトイレにこもりっぱなしうんち

極度の寒気までして絶対明日は無理だ~と落胆していた。

おかしいな、ほとんどの人が下痢になるというバールベックでご飯食べてないのにこんな下痢になるとは。。バールベック遺跡の洗礼か??

朝なんとか下痢もおさまり、少し仮眠、のつもりが寝坊あせるみんなを少し待たせてしまったショック!

イタリア人朝からさわやかに「Never mind !」とリンゴをくれる。

出発して30分くらいでまずはビブロスに到着!まだ遺跡も開いていなくて、静かな海沿いを散歩して時間をつぶしていると、「これが地中海??」とびっくりするような海の色に気づいた。

黒い汚染された海。戦争ですっかり汚れてしまっているのだ、、、

朝からすっかり悲しい気分になってしまう。

気を取り直して世界で最も歴史の古い都市国家が存在していた世界遺産のビブロス遺跡へ入場!

今日のメンバーはロンドン在住のイタリア人フォトジャーナリストとパリ在住ソルボンヌ大留学の日本人と勤務暦15年サラリーマンの日本人。この3人の男性がそれぞれに持つキャラのコントラストがおもしろい!

まず入り口で国際学生証を持っている私とパリ留学のたまき君が学生料金で普通に入場。

そのあとイタリア人マウロが「ジャーナリスト1枚!!」と自信満々にいっているではないかっΣ(゚д゚;)

なにィ?ジャーナリスト割引なんてあるのか??と思っていたら入り口のおっさんはすぐさま「No!!!」

だよね。。汗マウロいわくイタリアでは美術館から映画館までいろいろな施設でジャーナリストはタダになるらしいとのこと!

残る1人は日本の典型的なサラリーマンであるケイさん。

この人は真面目だから絶対「アダルト1枚」とか言うと思ってたらいきなり、

「One Japanese !!」と言い出した!

私たちも入り口のおっちゃんもこれには大爆笑!!

そんなこと言う人初めて見たし、日本人価格なら逆に超高くなるではないかっっっ( ̄□ ̄;)!!

お腹がつるほどヒーヒー笑い転げたあと地獄のゲーリーがまた再発!!

即トイレ直行!!

用を足したあと大変なことに気づいた、ティッシュを車に置き忘れたのだ。

アラブのトイレに紙などあるわけもないが一応確認することに。

早朝で人はいないので半ケツのまま女子トイレや男子トイレまでくまなく探すが全く紙が見たらない。絶望的。。

トイレの外に出て草でも持って来ようか?でも半ケツでトイレの外に出るわけにはいかないし下痢のあとそのままパンツを履くなんてもっと嫌だ。

アラブ式に水で流そうとしてもこのトイレはなんと洋式で蛇口がついていなかった。

しょうがない。こうなったら最後の手段。流しで水を汲み、便器まで持っていって洗い流すしかあるまい。。私は半べそをかきながら何度も流しと便器を往復。こうしてようやくお尻が清められたベル

ビブロス遺跡は古いだけあって保存状態が悪く、たいした感動もなく次の目的地、トリポリに移動。

私の体調は急激に悪化し、車内で座っていられず、横になりながらなんとか持ちこたえる。ここまで来て観光せずに帰るのは絶対に嫌だ。根性出してトリポリを観光。途中何度もトイレに行くが日本人からもらった正露丸のおかげで徐々に回復!

トリポリはベイルートとは違い、真のレバノン人の生活が見れる場所。

はっきり言ってかなり貧しい印象を受けた。バクシーシを求める子供は服や腕を引っ張り、延々とついてくる。エジプトよりもしつこい。

実際レバノンは最強だと思っていたエジプトよりもさらに金に対しての執着心が強いと感じた。

とにかくがめついし、必死な感じを受ける。

エジプトみたいに観光客が多くないから向こうも必死なのだ。

旧市街は迷路みたいでその中のキャラバンサライ(隊商宿)はとても古い歴史があるようだった。隊商宿は商人が寝泊りする宿と品物を売るお店、馬屋などが一体化した場所である。

キャラバンサライでは手作りの石鹸を買った。600年の歴史がある石鹸で400種類以上の種類がある。私が買ったのは顔用のカモミール石鹸で野球ボールみたいな石鹸。4ドルと結構高いけど、肌にいいと言われる物は何でも試したくなるのが女心。

早速使うのが楽しみ!!流れ星

ドライブ途中でレバノン人の民家で休憩しながら、ついにレバノン杉に到着!

いや~絶景ナリ!日本じゃなかなかない独特の景色ですね、中世ヨーロッパのイメージ♪

私たちはレバノンの自然の豊かさを満喫してベイルートへと戻った。

道すがら50台くらい並んだ戦車を見たり車で周るといろんな発見がある。

いつもバスか電車で移動することが多かったけど車だと行きたいとこに行けるし休憩もできるのでかなり融通がきく。今度からは国際免許携帯しよーっと。ただし運転下手だから他の車が通らないようなところ限定で車

爆撃された橋 バールベックの子供たち バールベックの少女j ヒズボラグッズ 圧倒!! またジャンプ とりあえずジャンプ 6つの柱 遺跡 バールベック遺跡 ラクダ レバノン国内最大の見どころであるバールベック遺跡。

なんかこの頃遺跡続きで少し飽きてきたところだけど、これはなかなかの迫力がある遺跡だった。

情報ノートで入場料は学生料金設定が本当はあるのに学生料金はダメだと言い張ると書いてあったが、ポリスに証明書を発行してもらえばオッケーということだった。

朝早く起きればポリスに行く時間もあったが超大寝坊したため、あえなく断念。

この遺跡は、フェニキアの豊穣の神バールに由来し、転地を創造する最高神ジュピター、酒神バッカス、愛と美の女神ビーナスに捧げられた3つの神殿から成っている。。

世界でも有数の巨大さと優美な姿を誇るローマ神殿跡として、中東だけでなくヨーロッパからも数多くの芸術家を集めて祭典が繰り広げられていた場所だ。

本当に迫力がある遺跡で2000年前にどうやってこんな大きい遺跡を創る技術があったと思うと信じられないかんじ。

不思議なことにバールベックでご飯を食べた人は必ず重度の食中毒になるらしい。

実際バールベックから帰った人に会ったがかなりしんどそうだったし、情報ノートの書き込みにもみんなバールベックで食中毒を起こし大変だったと書いてある。

これから行く人は要注意!!

ベイルートを出ればヨーロッパ的な雰囲気が一転、いつものアラブの光景だった。

しかしレバノン人のイスラエルへの怒りは相当なものだと今日痛感した。

今回イスラエル軍が空爆して崩壊した橋を指差し、「イスラエルは悪魔だ。この橋を修理するのに一体いくらかかると思ってるんだむかっ」と激怒していた。

確かにレバノン経済は、戦争で長く麻痺し、多額の負債を抱え、急激な物価上昇、失業率の高さが問題になっている。

観光に力を入れようにもこんな不穏なニュースが世界中に流れれば観光客は寄り付かなくなってしまう。

被害のあった建物の再建ラッシュ、またイスラエルの空爆。。

人々が怒るのも無理はない。

空爆があれば近隣諸国へ避難しなければならないし、いつ攻撃されるかわからないという恐怖もある。

当然多くの男性が兵につくことになる。事実、レバノンは本当に兵隊だらけだ。

もちろんイスラエル側の言い分もあるだろうが、アラブとイスラエル問題は相当根が深いことを痛感させられた。

しかし、レバノン国民は強い。生活のためすごいボッてこようとするし、戦争まで商売に変えてしまう。土産屋ではなんとヒズボラのロゴTシャツを大々的に売っている。

日本で考えたらありえない発想。

レバノン人がんばれショック!将棋

ベイルート港 高級ブティック 復旧工事 おしゃれな女性たち スタバ 鳩の岩 内戦のつめ跡 戦争の跡 戦車 警察 兵隊 ダンキンドーナツ オープンkフェ ヨーロッパな町並み シリアのアレッポから深夜バスでレバノンのベイルートへやってきた。

このところ忙しく観光しては移動してるかんじ。

かなり寝ぼけながら朝の5時に入国の手続きをしてると、無料ビザだと48時間ビザしか取れないと知り合いから聞いていたのだが、1ヶ月のビザをタダで簡単に取得できた。

はっきり言ってこの夏までイスラエルの空爆のあったレバノン行きには直前まで迷っていた。

実際のところ、現在のベイルート周辺の状況は極めて安全といえる。

ビビり屋の私は最近レバノンに行った人に偶然続々会い、情報の聞き込みを重ね、ヨルダンで日本大使館の人に電話で安全状況を詳しく聞き、外務省ホームページを毎日チェック。

南部はヒズボラ(イスラム原理主義者)やアルカイダとの関連過激集団の拠点があるため、南部には近づかないようにということだった。

しかし北部でも一部の危険地域は避けなければならない。

行った人はみんな超安全と口をそろえて言っていたが、1人だけ危険地帯に行った日本人の男の子にヨルダンのアンマンで会った。

写真の専門学校に通う若者で、これから戦争写真を撮って生きていきたいという。

今回はヨルダンを起点に今回のイスラエルのレバノン攻撃の惨禍を撮りにきたらしい。

彼はレバノンの危険地帯でヒズボラに2時間拘束されたらしく、結局フィルムも取り上げられず、何もなくすんだようだがかなり怖い思いをしたようだ。

そのあとイスラエルのきわどいところに行くと話していたが今頃無事だろうか?

来てみて納得、本当にみんなが言うとおり安全な雰囲気。

攻撃後の治安維持の為か、なんと10mおきに警官がいて街にはちらほら戦車が見張りをしている。

首都ベイルートは中東というよりまるでヨーロッパ。

物価も他のアラブに比べるとかなり高いし、町並みとかとてもヨーロッパな雰囲気の旧市街は長く続いた内戦からの復興でこんなに美しく復活したらしい。

高級ブティックが集まり、日中に堂々とオープンカフェやアイスクリーム屋、コーヒーショップが軒をつらね、賑わっている。まるでラマダンなんて関係ないようだ。

それもそのはずベイルートはイスラム教徒とキリスト教徒がそれぞれのコミュニティを作って生活してる他のアラブ社会とは異なる環境なのだ。

レバノンは中東のスイスと呼ばれおり、ベイルートはかつて中東のパリと呼ばれていた。

1975年から15年、この異なる宗教の各派閥の民兵が内戦で戦い続けた。

そして80年代から繰り返されるイスラエルによるレバノン侵攻。

ベイルートの街を歩くと最高級ホテルのすぐ隣に戦争のつめ跡がはっきりと残るビルが今も取り壊されずに立っている。

おびただしい銃弾の跡、崩れかけた廃墟ビル。

メディアでしか戦争を知らずに育った者にとっては衝撃な光景。

ベイルートでは戦争で傷ついた土地の建築ラッシュが相次いでいて急ピッチの復興作業が行われており、内戦時代は無法状態とまで言われていた治安も今は改善されて南部を除く世界遺産などの観光地も賑わいを見せている。

ベイルートを歩くと本当にイタリア人のようにおしゃれなレバノン人ばかり見かける。

女性も中東で一番綺麗というだけあって美人がとても多い。

人々はアラビア語を話すがアラブ人という感じではなく東欧の人種という風貌をしている。(アルメニア人が多く住む為かもしれない。)

ベイルート、ここは中東であって中東ではない。

夜のモスク 時計塔 要塞 城の中 荷物を頭にのせる女性 ロバ 香辛料 肉屋 スーク モスク 円形劇場 渋滞 アレッポの町並み 城の中にモスクが。。 ダマスカスに次いでシリア第2の都市であるアレッポ。

ローマ時代から地中海とインドなどを結ぶ中継地として発展し、中世、近世にはヨーロッパからの商人も多く住み着いた。

アレッポの町には巨大な城や石屋根のスーク、ヨーロッパ人の隊商宿のキャラバンサライなど歴史的な見所にあふれている。

特にスークはとても活気に溢れていて、土産物、日用品から、衣類、食料品にいたるまで何でも揃っている。

通り過ぎるロバや車に注意しながら長いスークを抜けると、突然堀に囲まれたどっしりとした要塞が登場!!アレッポ城だ。

アレッポ城の入場料はシリア人15sp(30円)、シリア人学生10sp(20円)、外国人学生10sp、外国人150sp(300円)とよくわからない価格設定。

とりあえず学生証があると15分の1になるからびっくり!

恐るべし中東の学生証パワーあせる

エジプトで作っておいてホントによかった音譜

普通外だけ立派で中に入るとショボい城が多いのだが、意外と中も見所満載で楽しめた。特に屋上から見るアレッポの町並みがいい感じだキラキラ

アレッポといえば「アレッポ石鹸」が超有名。

オリーブオイル配合のアレッポ石鹸ひとつあれば顔、体、髪と全部マイルドに洗えてしまう。

ダマスカスとアレッポで偶然会った日本人男性が短い休暇で来ていたので石鹸を持って帰ってくれた。

何を隠そう東京近郊在住の人に荷物を持って帰ってもらうのはこれで5人目あせる

エジプトで3人。ヨルダンで1人。シリアで1人。自分で言うのもなんだがホントに図々しい女である汗

中東以前は増えた荷物を郵便局から送っていたけれど、送料がすごく高いし、割れ物なども送ることができない。

何カ国も周る私は本当に助かるし、なんて親切な人たち!!

普通の土産物ならまだしも、ダラブッカ(アラブ楽器の太鼓)をもって帰ってくれた人やシーシャを持って帰ってくれた人、かさばって大変だったと思う。。

ホントに持って帰ってくれた優しい方々、ありがとうございましたっっ!!

日本帰ったら必ずお礼しますっっ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。