それは、学校帰りのことだった。
『ウギャーーーーーッ!!』
二人で歩いていると隣のU菜が突然、両手を軽く握りしめて口許を抑えながら叫び出しのだ。
『な、何!?』
私は険しい顔をしてU菜の顔を見て、叫んだ理由を求めた。すると私の頭の方を震えた人差し指を向けて、中腰になって再び叫んだ。
『ギイイイやああああぁァァーーッ!』
『だから何よっ?』
私は少し見下ろす体勢から、負けじと叫び返したら、口パクで『やばい』を連発している。更に私の回りを一周して、声を大にして発した。
『グッヒャアアアーーッ、トリテラトップスゥッ!』
『はあ?』
『じゃなくって、け、け、ケンタウルスじゃなくてケムシケムシケムシーーッ!』
『えっ!?』
私は黒いハットを脱ぐと、一匹のケムシが乗っかっていた。
『ぐぅ、、はいさっ!』
私はハットをバッと左から右へ素早く振って確認すると、ケムシはいなくなっていた。僅かに虫酸が走ったが、事なきを得て気持ちは落ち着いてきた。
『それ、また被るんだね』
『良いでしょ、もういないのだし』
私は、この黒いハットが大のお気に入りで、高校二年から現在に至る三年の春まで、外出時はほぼ毎回被っている。それは、例え学校を登下校するときであっても、周囲を気にすることなく着用している。
横断歩道で私が待っていると、隣で待つU菜が、驚いた顔をして私を見ている。
今度は何かと思っていると、またしても口パクで何やら言っている。どうやら『見えてる』と連呼しているように見える。
『見えてる』って何だろう?と考えながら信号が変わるのを待っていると、U菜は私の顔を触ろうとしてきたから、咄嗟に手で制止した。
信号が変わり歩き出すと、U菜が後ろから声を掛けてきた。
『そこ寄るの?』
横断歩道を渡った先にあるもの、それは競馬の場外馬券売り場だった。
『はあ、何で行かなきゃならないのよ?』
二人は渡り終えると向かい合った。
U菜は、再び顔を触ろうとする。
『何よ、私の顔をどうしたいのよ?』
『いいから、目をつむって、直ぐ終わるから』
仕方なく、私は目をつむることにした。
『はい、これ』
赤鉛筆だった。
右耳に乗せていた、でも此れは髪で隠れていた筈、どうして?
『何故か見えたのよ、ケムシの時一周してたら。言うタイミングが横断歩道だったって訳よ』
私は競馬なんてやらない。でも、耳に乗せて仕舞う癖があった。それは父の影響かもしれない。幼い頃から、父は何時も耳に赤鉛筆を乗せていて、おんぶをしてもらったとき、私はその赤鉛筆を取って自分の耳に乗せていた。
そんな癖が直らずに小学校の時、よく母に注意されていた。
『また赤鉛筆、耳に乗ってるわよ!』
『はっ』として慌てて外すのだけれど、直せなかったから、髪を伸ばして隠すようにしていた。
『また挟むの?』
『挟むだなんて、乗せるって言ってよね』
私は赤鉛筆を再び乗せ、髪で隠した。筆箱は鞄の中だし、此処が落ち着くと言い聞かせてもいた。
街を通り抜け、住宅街を歩き路地を曲がる。そろそろ二人は別々の道へ、となった時である。再三、U菜が叫び出す。
『ヒョオオエエエエーーッ!』
沈黙をぶち破る叫びは、夜に鳴く犬の遠吠えにも似ていた。
『あんた今日叫び過ぎ、どうしたの?』
普通に対応すると、またしても口パクで何やら言っている。
今までを振り返ると、身だしなみからだから手当たり次第に顔からセーラー服、靴の裏まで探ってみたが、見付けることが出来なかった。
『きゃろロロロひャーーやーーッ!』
叫びを無視し、私はスタスタと歩く。そこの角でサヨナラだし、家路へ早く着きたかった。何だか疲れてもいたから、週末だからかそれとも…。U菜が小走りに、近づいてくる。
それは唐突だった。
『そろそろセーラー服返して』
それは来週で良かったのではないのか、私は顔で『えっ』と言う表情をしていた。
『それがないと、私が来週も着ていくセーラー服がないのよ。』
更に話続けるU菜。
『あなたは三年間で太りすぎた』
そう、私は太った。
高校一年で購入したセーラー服は、三年には着られなくなっていた。親に話すと、父の無駄遣いが直らず、新しいセーラー服を買うにはもう少し後にしてと言われた。
土壇場になるまで言わなかったから、それも不味かったのだと思う。
父の遊びは、私が小さい頃からだったから。
U菜は、三年間殆ど変わらない体型を維持している。春になり、セーラー服の上にコートとか羽織らなくなって、私はセーラー服を彼女から借りていた。
『何回も借りちゃったね』
体格の良い二人が、別れ際に向かい合う。
借りたセーラー服を私物化してしまった私と、青いジャージの上下を着て、黒い靴を履いて街を通り抜けた、きっと私より太いU菜。
別れる予定だった角を一緒に曲がって、私の家に入れた。
『アシャヒレレレレーーーーッ!』
玄関に立ち、叫ぶU菜。
私はハットを取り、家族が迎え入れていた。
『お父さん、お母さん、弟さん、、そしてあなた、赤鉛筆がぁ!』
家族四人『はっ』として右耳に手をやる。
父の仕草は、家族全員に浸透していた。
『U菜、セーラー服返すから』
この雰囲気を変えたくて『セーラー服』という言葉だけ、声を大にしてU菜に私は伝え、脱ぎたてのセーラー服の中に赤鉛筆を仕込んで、綺麗にたたんで返した。
『ありがとう』
『此方こそありがとう』
礼を言い返す私の声は、少しだけ興奮し来週の彼女の姿が楽しみで仕方なかった。
来週は、小さくなったセーラー服で我慢しようと決め、彼女の去った玄関の戸をそっと閉めた。