たいしてギターが上手くない私がいうので説得力があるかわかりませんが。ギターはもちろん素晴らしい楽器ではあるし終わるはずはありませんがギターがなければポップスを演奏できないわけではないし、ロックというジャンルのには最初こそギターが欠かせなかったかもしれませんが(Lakeによる弾き語り以外の)Emerson, Lake & Parlmer以降ギターのないヘビーなロックも成立するようになりました。さらに80年代Dead Or Aliveの故Pete Burnsは何の楽器も弾けませんでしたがテクノロジーを駆使してパンクロックやディスコ音楽を作曲し歌いました。彼はこのインタビューで「我々にはシンセサイザーがあるからギタリストが不要になり解雇した」と言っています。ギターという楽器自体に興味がある人にも聴きたくなる曲に必要に応じてギターを使用するという状況がしばらく続くのではないでしょうか?:
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Pete Burns - Interviewed in 2009 about the 80's (full length)
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レスポールやフライングVなどのモデルで人気を博し、ロックの歴史を築いてきたギターメーカーのギブソン。故チャック・ベリーやジミー・ペイジなどのレジェンドをはじめ、奥田民生や松本孝弘(B’z)らも愛用する超一流ブランドだが、いま倒産の危機に直面しているのだ。
原因は膨れ上がった借金。負債総額は日本円にして500億円超とも言われ、そのうち約400億円の返済期限は今夏に迫っている。そのためギブソン社は事業のスリム化を断行。メンフィス工場の売却や、八重洲のショールーム閉鎖もその一環と見られる。
◆「ギターは終わったのかもしれない」とクラプトン
だが、これはギブソン社に限った問題ではない。ライバルのフェンダー社も多額の負債に苦しんでいるし、ポール・リード・スミス社はスタッフを削減し、よりニーズのある安価なギターの生産にシフトチェンジしている。
これが意味するのは、ロックならびにギター音楽の市場がかつてないほどに縮小しているということだろう。英エコノミスト紙が運営するサイト『1843』の「Is this the end of the rock guitar?」によると、昨年の全米アルバム売上ベスト100のうち、ギター中心の作品は18しかなかったという。
時代の主流はR&Bやヒップホップ、EDMなのである。「ギターは終わったのかもしれない」と語ったエリック・クラプトンや「私はジミ・ヘンドリックスに憧れたものだが、ギターのヒーローは、もういないんだ」と嘆いたポール・マッカートニーの言うとおり。
◆昔のロック野郎に、いま誰が憧れるだろうか
つまり音楽シーンの変化に対応できなかったこともギブソン衰退の一因なのである。たとえば看板商品のレスポールをプロモーションする際、彼らがイメージするのはスラッシュ(ガンズ・アンド・ローゼズのギタリスト)だ。ブルース由来のスタイルと、いかにもロックスターといった出で立ち。そうしたイメージとセットでギターを売るのである。
しかし、残念ながら現代は彼のようなアイコンを求めていない。名手のソロ演奏ではなく、彩り豊かなサウンドで楽曲のテクスチャーを操るツール。それが現代におけるギターの位置づけなのだ。
ヴィジュアル面でも、タイトでシックな服を着こなすアーティストが好まれる。スラッシュとは対照的な清潔感やスマートさが重視されていると言えるだろう。
こうして様々な面からユーザーとのズレを埋められず500億円もの負債を抱え込んでしまった。ギターを神格化したことで柔軟性を失ったがゆえの八方塞がりだと言えるだろう。
◆それでもギターはオワコンじゃない
ただし、この楽器をオワコンとみなすのは性急に過ぎる。あくまでも旧来のギターヒーローに頼ったビジネスモデルが立ち行かなくなっただけの話だからだ。『1843』で名前があがっているセイント・ヴィンセントやジャック・ホワイトのように、これからは詩的、絵画的な感性を持つギタリストが評価される時代になるだろう。バンドスコアではなく、写真集や画集からヒントを得る人間が音楽的にも勝利するだろう。
ポール・マッカートニーが憧れていたジミ・ヘンドリックスだって、革新的な楽曲とサウンドの中にあのギターがあったからこそ天下を取った。ギタリストである以前に、偉大なソングライター、ミュージシャンなのである。
ギブソンの危機は、短期的には悲観すべき事態だ。だが長い目で見れば、音楽全体の中でギターの果たす役割を考え直す猶予が生まれたとも言える。スターシステムから脱却する、またとないチャンスなのだ。<TEXT/音楽批評・石黒隆之>