受験勉強も激しくなり、最近はパソコンを立ち上げることも珍しくなってきました。
秋(9~12月?)は年度でいう折り返しになり、様々な節目が訪れると思います。
僕もこの前、3年間お世話になった部活の引退式を終えてきました。
素晴らしいプレゼントをありがとう。
さて、その引退式も終わり、受験の波が僕を直撃しました。
といってもまだスイッチが入りきっていませんが…。
しかしそのスイッチを入れるためにもこの記事で今年度最後とさせていただきます。
ニコ動での活動も、今年度は休止させていただくということになります。
かんじょうてきせかい第二楽章は年内に投稿してしまいたかったのですが、できそうにないです。
本当に申し訳ありません。
最後に引退式に合わせて(合わなかったんですが)トロンボーン四重奏曲を作ったので、機械音源ですがそちらを投稿させていただきます。
あと、youtubeさんの方で一週間に一度、その場の気分でピアノで即興曲をあげていきます。
タイトルは僕の知り合いからの公募なので、たまに変なものも出てくるかもしれません。
即興の収録は事故が起こらない限りほぼ一発どりなので、あまり時間を取られないので。
お別れの話はここまでにして、今日は皆さんに曲を紹介したいと思います。
皆さんは「楓葉の舞」という吹奏楽曲をご存知ですか?
僕がこの曲に出会ったのは今から一年半ほど前のことです。
もう少し早く聞きたかった。の一言に尽きます。
作曲は長尾淳氏。吹奏楽をやっている人は、去年の吹奏楽コンクールの課題曲Ⅴ「香り立つ刹那」で知っている人も多いと思います。
また、ゲーム好きな人は三国志Ⅳのコンポーザーとして知っているかもですね。
他にも大河ドラマのテーマ曲やラジオドラマ(というのだろうか?)のBGMなども手掛けています。
今回紹介する「楓葉の舞」は四季連祷という作品集に収録されていて、タイトル通り冬から順に
冬→春→夏→秋が収められています。
なぜ冬からなのかと言いますと、冬の曲「波の穂」をヤマハ吹奏楽団からの委嘱を受けて書いた当初は、四季にする予定はなかったのですが、もう一曲書いてほしいとのことで、どうせなら四季にしようということになったらしいです。ちなみに「波の穂」は始めから冬のイメージでした。
長生氏の吹奏楽曲は、複雑で取っつきにくい曲が多いイメージですが、この四季連祷の曲は秋になるにつれてどんどんとメロディックになっていき、「楓葉の舞」では曲中のほとんどの和音をコードで表せるというものになっています。
ニコ動の方で調べれば出てくると思います。
なぜ、この曲を紹介したかったのかといいますと、この曲ができるまでにあります。
”ヤマハ吹奏楽団より四年間委嘱を受けまして、「波の穂」「蒼天の滴」「翠風の光」に続く四作目として書いたのがこの「楓葉の舞」です。
但し曲名は初演のさい公募した中から選びました。四作は冬から順に四季の印象を織り込んで作曲したもので、この曲は秋になるわけですが、まるごと秋を描写した曲というのでもなく、らしからぬところもままあります。
ただ、この曲に取りかかる前に聞いた、団員の一人がどうしても続けられなくなって退部するという話、そのときの表情、それから私自身も四年目でいわば卒業し、短い間ながらいいおつきあいだった方々とお別れ……といったことからくる感傷が、やはり曲に影を落としているようで、そこが秋らしい、といえるかもしれません。” スコアより引用
…つまり、別れの曲だからです。←別れ引きずってます
とりあえず、聞いてみてください。20分ありますが、きっと短く感じるはず。
コンクールでできるように作者自身がカットしてあるバージョンもありますが、やはり少し詰め込んだ感が否めないのでフルバージョンを聞くことをおすすめします。
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聞いたことのある皆さん、今聞いてきた皆さん、泣けましたでしょうか。
僕は最近しょっぱなのクラリネットでノックダウンしてしまいそうになるので外では聞かないようにしています(笑)
他の季節のモチーフが所々に表れているようです。
例えば最後のA H C# D# E F# G Aのベルトーンは「波の穂」の最後の方にあるベルトーンを明るくしたものであったり、序~中盤に出てくる勇敢なフレーズ(説明し方がわかりませんでした)も「波の穂」「翠風の光」で見られます。いろんな思いが集まってこの曲ができているんだなと思います。
さっきのベルトーンの説明に疑問を抱いている人もいるのではないでしょうか。
A H C# D# E F# G Aという音がいっぺんに鳴って終わるのですが、この和音はいわゆる解決というものを完璧にはしていません。
ピアノやキーボードをお持ちの方は実際に押してみてください。
A H C# D E F# G Aでも別におかしくはないと思います。というよりむしろこっちの方が自然です。
ではなぜ、DをD#にしたのでしょうか。
僕なりの考えは実に単純なものです。「季節は終わることなく回り続ける」からです。
そして別れは出会いの素ということです。
DをD#にすることによってもともとあるA7にさらにB7の和音が生まれます。
7thコードにはⅠ度に還りたがるエネルギーが発生します。
ということは次の季節、冬に戻るという意味合いを含めて、あえて濁して終わっているのではないかというものです。
しかし、A7とB7の還りたがる方向は違います。いったいDとEのどちらに還るというのでしょうか。
「わからない」
それが正解だと思います。
分からないんです。未来のことなんて、誰にも。
例え選択肢が大量に現れたとしても、どれを選んだあとをどれだけ考えに考え抜いても、いいことになったり最悪の展開を迎えたりしてしまうんです。
そして、冬や夏にまいた種が、今になって実を結ぶ、ということだってあります。
そういうことを長生氏は伝えたかったんじゃないか、と思います。
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結局しんみりとした記事になってしまいましたがこの記事を、音楽的に見て「何を適当なことをw」と嘲笑ってくれても、哲学的に見て「ううむ…」と頭を抱えてくださっても、もしくは誰も見てなくてもいいので、僕は僕の思いをただ、ここに書いただけのことですのでそれで十分です。
それでは、来年の桜の花が咲くころに、このさびしいブログに桜の花を咲かせられる事を願って…
いいですか?別れは出会いの素ですよ!