実はブログを書いていない間にもちょこちょこと編曲してました。

しかしこの曲は聞くたびに新しい発見がありますねw本当に大変。


大学が決まったということで、新しいPCとついに本家Finaleが買えるようになりました!

これでもう木金打の3つのファイルを右往左往しなくてよくなるわけです!マジで嬉しいw

しかも今は、2012を買うとこの冬発売の2014がタダでもらえるという出血大サービスが開催中なので、Printmusicを持っている僕は41800円で両方が買えるというわけです!神です!ゴッドです!


とまあ、お金の話はここまでにしておいて…

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11月ごろまで編曲していて、なんとか「一人、笑う」のところまで漕ぎ着けましたよ!

それにしてもこのドラム、実演可能なんでしょうか?少し触った程度の僕には到底無理なことだけははっきりとしていますが(笑)
写真は9/8が始まったところです。(グロッケンの高さはミスです)

Perc.115~


さて、この部分を編曲するに至って重大な問題が発生しました。その問題とは「調」です。

写真からもわかるとおり、後半の前半(9/8突入後~空に溺れ歌う…の直前まで)は

嬰ハ短調(C♯m)なのですが、これは吹奏楽ではほぼ見かけない調なんです。

そもそも♯の調性があまり好まれないんです。(響かせにくい、というのもあります。)

そして、♯の数が増えるほど普段♯を見ない人たちはイライラします(笑)オーケストラの曲では普通なんですけどね…

もちろん、吹奏楽曲でも♯わんさかな曲はわんさかあるんですよ。さくらのうたやエアーズなどの課題曲でもたびたび姿を現します。中には長生さんの幸いの龍という曲は♯が5つ(楽譜は見てませんが)もあったりします。

けど、僕はそこまで難易度を上げたくはないので、これの半音下の調のハ短調にしてしまおうかどうかで悩んでいます。

西島さんがこの調に何か意味を込めていらっしゃるならあまり変えたくはないんですが…


この問題については続きを編曲しながら考えていきます。



続いては多すぎるパーカッション問題です。

ツイッターには載せたんですが、配置図を描いてみました。絵が下手ですいません。

今のところ最低でも16人(pf含む)必要です。大した問題でもないですが仕事の密度の差も激しいです。これは最悪、このままいくかもしれません。

部員が100人以上いる僕の高校の吹奏楽部でもパーカッションは8人でしたorz
なんとか他のパートからお助けで来てもらえればいいんですが、管楽器もディヴィジがあったりでなかなかに厳しいことになってます。




それでは、いつものアナリーゼ(と呼んでいいのか)です。今回は8/9からです。

ここからはこれまでのダブステップの雰囲気がコロッと変わり、インストゥルメンタルな音色になります。そこに何かの意味があるとすれば、電子音(架空)→生音(現実)への転換と言ったところでしょうか。わかりません。

この曲のタイトルの86,401というのは一日の秒数+1なので、「何かが一つ多い、余分だ」という取り方があります。4/4拍子よりちょうど8分音符一つ多いもの→9/8拍子という考え方もできます。

また、この曲が投稿された年は「うるう秒」と呼ばれる日があったのを覚えていますか?

時間の概念は人間が後から作り出したものなので、実際の地球の公転周期に完璧には一致せず、少しずつズレが生じます。それのつじつま合わせに4年に一度、2/29日が存在するうるう年というのがありますよね。(個人的には8月32日が欲しかったなあw)

去年はそれの秒版があったんです。一日だけ、一秒長かった日が。なので「仕方のないつじつま合わせだが、不自然でない。」という意味とも取れます。事実、この部分も不自然さはあまり感じません。


本当にいろんな考え方が出来ると思うんですが、僕の直感では、1,2歳の子供が夕暮時に縁側に座り、何もない空間をじっと見つめているイメージがなぜか浮かんできます。

以前に生命の誕生と解釈しましたが、その続きなのでしょうか…

つまり、誕生前の世界(架空)から誕生後の世界(現実)への転換ということだと思っています。

しかし、この次にまた電子音の部分があるのでそこはどう説明したらよいだろうと困っています。



今回はこんな感じです。つづきはまたいつか。

ただいまです!

無事入試の波をはねのけました。
これからまたよろしくお願いしますm(__)m

書かなかった間にいろいろなことが起きてたんですが、それはまた日を追って書いていきます。

ブログは来年まで書かないと言っていたのですが、これは極めて特殊な例なんで書かせてもらいます。



ある日、物理の授業中にふと気になったことがあります。
普段ならそんな些細なことならすぐに忘れてしまうのですが、これだけはどうしても気になって仕方がありません。
なので、この記事を見てくださった博学な方に教えてほしいのです。
※ただ単に僕の頭の悪さを露呈するだけかもしれません。


では、本題に入ります。


地面に真っ直ぐな棒が寝かせてあります。鉄パイプのようなものを想像してください。
始まりを1メートルぐらいとします。
そして棒の一端に観察者をおき、他端に同じ棒を継ぎ足していく人をおきます。(以外、棒係と呼びます)
観察者側の端を地面に固定します。

次に、棒係は棒をどんどん継ぎ足していきます。
まっすぐなものにまっすぐなものを継ぎ足していくので、継ぎ足してできた棒も当然まっすぐになりますよね。これをずっと繰り返します。

すると、これは地球の上でやっていることなので、棒係が確実にまっすぐに長くしていれば棒係側の端は少しずつ地面から離れていきます。
ボールの上に棒を乗せるようなものです。
しかし、この棒は観察者から見ると空に向かって伸びているように見えると思います。
ここで、「真っ直ぐとは何か」という疑問にたどり着きました。
1番始めに地面に置いてあった1メートル程の棒も、実際には一点でしか地面に接していない、ということになります。
また、棒係から見て棒を継ぎ足すその時にまっすぐになるようにしていくといつの間にか地球を一周し、観察者のところに帰ってきてしまうのではないでしょうか。

本当のまっすぐと、人が見えるまっすぐは違うのでしょうか。

地球の裏側の人と綱引きをしたら、綱は地面に叩きつけられるのでしょうか。


どなたか、解説お願いします…