相馬市の友人に震災後初めて再会し、彼女のあいかわらずのナイーブさの中に、それを直接表現しようという強さを感じました。
彼女によれば「あの日までは自分のことにかかりっきりで、自分がいやだった。被災した人のために少しでも役に立つように、友人を巻き込んで動いたことで、自分ができることを少しでもやればいいんだと気づいた。それで私は変わった。」と言っていました。
彼女の案内で仙台市若林区から名取市、仙台空港、海岸沿いを相馬市まで55km南下しました。

通行止めになっている道路を通り、舗装されていない道路から瓦礫の山、破壊された防波堤の所まで近づき「とにかく現在の被災地をよく見て欲しい」という彼女の熱意を感じながらの行程でした。

線路も鉄橋も、道路もガードレールも、家も学校も、田畑も電柱も、防風林も防波堤も、すべてなくなっった荒野>が、そこには拡がっていました。人の生活も仕事場も何もかもがなくなっていました。
表現できないような実感を自分の中に残しながら「1年以上たった今も被災地は全然変わっていない。」という事を、すこしづつ周りの人々に話しています。