ドビュッシーという作曲家を知れば知るほど、その天才性に唸り、奔放さに呆れるしかない。


サクソフォンのための重要な作品「ラプソディ」も、アメリカの夫人エリザ・ホール女史から委嘱を受け報酬を受け取りながらも数年間放置し、スケッチのような中途半端なものが送られたと言われている。


そのすぐ後にはクラリネットとオーケストラのための素晴らしい作品「第一狂詩曲」をしっかりと完成させているのだから(室内楽からの編曲ではあるものの)、サックス吹きとしてはやや複雑である。


ラプソディは1918年にドビュッシーの死後、1919年に弟子のロジェ=デュカスによって補完され完成し、日の目を見ることになった。


女性関係は複雑で一言では書けないが、最初の結婚に際して当時の恋人(!?)の自殺未遂(!)で破談となり、その後この恋人の友人であるマリ・ロザリー・テクシエ(リリー)と結婚(!)する。


その後教え子の母親で銀行家の妻エンマ・バルダックと不倫関係となり(!)、それを知った妻リリーはコンコルド広場で胸を銃で撃つという自殺未遂(!!)を起こし離婚。


ドビュッシーはエンマとパリから逃げるように離れる。

エンマのお腹には既にドビュッシーとの子供、クロード=エンマ(シュシュ)が宿っていた。


シュシュの出産後、ドビュッシーは正式にエンマと結婚。

ドビュッシーは一人娘のシュシュのことは大変溺愛していて、ピアノ作品「子供の領分」はシュシュに献呈されている。


しかしながらこのエンマ・バルダックもなかなかの大物で、元夫との間に生まれた兄と妹の2人の連れ子がいたのだが、この妹エレーヌ(ドリー)は、なんとあのガブリエル・フォーレの子供かもとも言われている。


実際フォーレのピアノ連弾のための組曲「ドリー」は、このエレーヌのために書かれている。

6曲からなるこの組曲は、毎年一曲ずつ書かれている。

娘の成長を喜びながら、もしかしたらそのうち娘と一緒にピアノを弾きたかったのかもしれない。


どんな人生を歩もうとも、皆娘への愛情は絶大である。


ちなみにこの「ドリー」の2曲目のタイトル、元々フォーレは「Messieu Aoul!(メシュー・アウル)」と付けたが、これはエレーヌが兄のラウルをMonsieur Raoull(ムッシュー・ラウル)」とまだ小さくて呼べない幼児言葉ということでなんとも可愛らしい。

しかしながら出版社の勘違いで、「ミ・ア・ウ(mi-a-ou)」という猫の鳴き声になってしまったという。


今週末はドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」を、山地梨保さんのハープでお楽しみいただきたい。

クロード・ドビュッシー。