moon song
一音楽家として
一教師として
一夫として
一父として
一男として
一人間としての
日々の思考を綴ります。

  • 27Feb
    • 翻弄

      なんともやり場のない怒りが込み上げる。首相が3月2日から全国の小中高を全て4月まで臨時休校の要請というネットニュースを見た。まだ何も聞いてないので学校の方針もわからないが、もし拒否しなければ、生徒たちは明後日から急に春休みになり、明日まで行われている定期考査の答案は返されないまま成績がつき、うやむやな中進級するのだろうか。来週愛知県は高校一般入試を控えている。受験生は人生の岐路で、今どんなに不安だろうか。明和高校音楽科は今日から専攻実技検査が始まっている。審査員全員のマスク着用、休憩ごとの換気、必要最低限の受験生同士の接触など、厳戒態勢で進行している。このパニックの中、受けられるということがこんなにハードルが高いものになるとは思ったことがない。時期が同じため、どうしても震災が重なる。父は教員生活最後の1年は、中学校の校長として設営した避難所から復興に懸けることになった。絶望の中自分の使命を果たす決意をする父の頼もしくも弱々しい電話の声が耳に蘇る。国家の危機であり、人命はもちろん何よりも尊重されなければならない。それはわかっている。だからやり場がないのだ。ピンチはチャンスだと信じているが、時に分からなくなることはある。明後日は卒業式。校歌も君が代も卒業生の呼名もない式が挙行予定になっている。卒業生たちには心から祝福し、労い、激励したい。

  • 26Feb
    • 天使の歌声

      トロンボーンという楽器は、昔は教会で用いられていた楽器で、天使の歌声と言われていたらしい。この神聖な楽器が、俗世間のオーケストラで公に用いられたのは、ベートーヴェンの交響曲第5番、運命が初めてということになっているらしい。なんともベートーヴェンらしい。ハ短調の音楽が終楽章で劇的なハ長調を迎える時、満を辞してトロンボーンが咆哮をあげるようにドミソを吠える。神聖な楽器?天使の歌声?そんなの知らないね、俺の音楽には必要な音だから使うのさ、ただそれだけだ。ベートーヴェンの捨てゼリフが聞こえてくるようだ。そんなトロンボーンだけのアンサンブル、トロンボーンエンジェルスのコンサートに伺った。エンジェルスの由来は前述の通り。主宰は元名古屋フィルハーモニー交響楽団首席の藤澤伸行氏。藤澤先生は元愛知県立芸大の講師も務めていらして、僕も入学からずっと実業試験を聴いていただき、卒業してからも名フィルでお世話になる度に先生に音を聴いていただいたし、僕も先生の音を間近に感じることができた。今でも先生の吹くボレロは世界一だと思っている。あのとろけるような音色のボレロのソロを初めて聴いた時、僕は聴き惚れてその後のテナーサックスの出番を忘れそうになった。そんな僕を明和高校音楽科の講師に推薦して下さったのも藤澤先生だ。3年間講師を務め、専任教員になる時、多くの諸先輩方から、今専任になるのは演奏家としてもったいないのではないかと過分なご意見を頂く中、迷う僕に絶対に引き受けろとアドヴァイスを下さった。お前は基盤を持ちながら自分の音楽を育てた方がいい。もちろん向かないプレイヤーは多いけど、お前ならできる。それこそ、僕にとっては天使の声だったのかもしれない。今日は僕が少年の頃から大好きなベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の2楽章を、先生のソロで聴くことができた。ただただ無条件に涙がこみ上げる。3年前、エンジェルスのコンサートのゲストとして呼んでいただいた時の打ち上げ。

  • 25Feb
    • 練習

      「指が難しいところなんて練習してりゃいつかできる。」大学の時に先生にこう言われたことがある。しかしこれが中々難しい。練習してもしてもできないこともあるじゃないか。19世紀、リストなどのヴィルトゥオーゾの華麗なる登場と共に空前のピアノブームが到来すると、「これさえやればピアノの名人になれる」と言わんばかりの教則本や練習曲が多数出版された。中にはおよそ曲と呼ぶには程遠い、指を苛め抜くようなマゾヒスティックな練習を余儀なくされるものも少なくなかった。もちろんこのような過度に指に負担をかける練習や、当時流行した指を鍛える器具などによって、負傷しピアニストへの夢を絶たれた音楽家もいた。(シューマンもその1人)しかしながらピアノの上達には確かに指の腱を独立させるということ(こういう言い方で合ってるか定かではないが)が必須ではあるらしい。でもサクソフォンはピアノのように直接タッチが音に直結することはなく、そのようなただ機械的な練習というのがあまり多く必要とは思えない。指に難しいパッセージを覚えてくれる機能はない。先生に言われたもう一つのことを思い出す。「君、フレージングを考えたり感じながら練習することと、指の練習を分けてない?」指に指令を与えてくれるのは脳みそだ。脳みそで、理性と心と相談しながら、指もそこに参加して練習していかなければならない。わからなければいろんなアプローチで、時には細かく単語を分けて、一緒に成長していけるような練習をしなければならない。時間はかかるが、音楽をする、楽器を習得するというのはそういうものだと思う。そうやって得たテクニックは長く自分を助けてくれる。一夜漬けは大体ヤマが外れるものだ。頑張れ若者たちよ。おじさんも負けじと頑張るから。

  • 24Feb
    • 春を感じる日

      冴えてる日もある。今日馴染みの楽器屋さんの店長に、「先生」と声をかけられた瞬間、あ、転勤するのかって思った。「4月から東京店の店長になります。」寂しくなる。今日会った生徒に「先生」と声をかけられた瞬間、あ、結婚したのかって思った。「実は一昨日入籍しました。」本当におめでとう。もうすぐ春なんだなー。今一生懸命受験に向けて頑張っている生徒たちも、合格したら、それは一つの別れになる。でもそれはいつかまたお互い成長して出会う為のケジメだ。寂しいけど寂しくない。頑張って堂々と巣立ってほしい。

  • 23Feb
    • ナゴヤサックスフェスタ

      ナゴヤサックスフェスタ2020のリハーサルが始まった。恒例になったこのイベントは、2002年の3月に前身の「サクソフォーンフェスティバルin名古屋」からスタートしたので、もう18年になる。僕は大学3年生だった。途中数年実行委員として関わらせてもらっていたが、2008年に専任教員になってからは、一若手奏者として自分ができることをしつつ、応援、協力しながら、いつの間にか若手ではなくなり、運営の苦労も忘れてたまに文句をつけるような面倒臭いおじさんになってしまった。しかしこんなおじさんにも実行委員の皆さんは温かく、毎年あるステージを任せてくださる。選抜されたアマチュア奏者によって編成されるアンサンブルの指導と本番での指揮である。「アマチュア」は、ラテン語のamareに由来する。これは「愛する」という動詞だ。似たような意味で「ディレッタント」という言葉もあるが、これもラテン語のdelectareが語源で、「〜に喜びを見出す」ことらしい。両方とも素敵な言葉だと思うし、実際尊敬の対象となっていた時代もあったらしいが、現在はやや侮蔑的に扱われることがあることも事実だ。僕はいちプロフェッショナルとして、心からの敬意を持ってこのアマチュアの奏者、ディレッタントな音楽家と向き合いたい。僕はいつもこの人達と音楽を通して、この人達に1番音楽をする喜びを教えてもらっている。

  • 22Feb
    • 伊勢にて

      久々に三重県の伊勢市に仕事で行ってきた。昨晩は松阪に宿泊し、朝伊勢に移動した。宇治山田駅を降りると、いつもなんとなく神々しい空気を感じる。久しぶりなので尚更、帰ってきたような心持ちにすらなる。僕は無神論者という強いポリシーもなければ、キリスト教徒でもなければ仏教徒でもなければ、神道についても詳しいわけではないが、八百万の神が宿るという日本の神様の捉え方はなんとなくホワっと暖かく好きだ。しかも古事記に登場する神々はどれもキャラが立っており、非常に人間的な感情で動くところがなんとも愛着が湧く。(神様に向かって何様か)因幡の白兎に出てくる八十神の迫害とも言える狂気の沙汰にも驚かされる。推し神は、やっぱ大国主かなー。

  • 21Feb
    • 予期せぬ再会

      たったさっき、近鉄名古屋駅で急に女性に声をかけられた。マスクをして顔は3分の1程度しか見えなかったが、明和高校音楽科のとある卒業生であることはその目と声ですぐにわかった。フルートを専攻していた生徒だった。不真面目だったわけではない、フルートも上手だった。成績が悪かったわけでもない、どちらかと言えばいろんなことを知っている生徒でもあった。当時僕はホリーと愛着を持って呼ばれていた(と信じている)が、一番最初に彼女に「今日からホリーと呼びます」と宣言された記憶がある。なんだろう。なんとなく気になる生徒だった。放っておくとなんとなく危険を感じるような、不思議な、不安定な雰囲気を放っていた。彼女は3年間フルートを専攻したが、結局音楽大学には進学しなかった。何がしたいのか、自分でもわからなかったのかもしれないし、僕らにもよくわからなかった。1年の浪人期間を経て、県内の私立の総合大学に進学した彼女は、無事に女子大生になれたものの、それから断片的に出会う彼女は、やはり高校時代に感じていた何かを払拭させるにはまだまだ何かが足りなかった。今日はいつぶりに会えたのだろうか。会って最初にくれた情報は、某旧帝大の大学院に合格したという報告だった。その合格発表を見た帰りだと言うのだ。耳を疑った。高校では数学は数Ⅰまで、理科も多くはカリキュラムに含まれていない中、そんな難関大学院に合格するのは、並々ならない努力と根性が必要なのは火を見るより明らかである。めちゃくちゃ勉強しました。彼女はそう言い切った。しかも高校一年の時の数学の先生に、無理矢理微分積分をやらされたことが、数Ⅲの勉強が進むきっかけになったとのこと。その先生は音楽をこよなく愛し、音楽科をとても大切に思って下さる先生だった。別れ際に彼女は言った。なんだかんだ色々あったけど、音楽科に3年間通えて良かった。涙が出そうになった。その時の彼女の目に、もう高校の時感じていた何かは、もう見当たらなかった。

  • 20Feb
    • 趣味

      趣味という趣味がない。SNS等を覗くと、有名アーティストの方々も本職の音楽とは別に何か趣味を持ち、ちゃんとそれに時間を使われている。自転車、電車、カメラ、食、ファッション、現代ならYouTubeやSNSなどもその範疇なのかもしれないが、もちろん触れなくはないがドップリでもない。趣味がなければいけないというわけでもないが、あった方がなんとなく人生豊かな気がするし、趣味に費やす時間がないなんていうと、なんとも忙しない人生を送っているような気がしてくる。絵も読書も映画も好きだが、趣味かと言われると、なんだかしっくりこない。クラシカルサクソフォンの父、マルセル・ミュールは引退後、一切サックスには触れず、バラを育てて過ごしたと聞いたことがある。僕はもし奏者も教員も引退したら、何をするのだろうか。なぜかわからないが、今日はそんなことが頭を巡っていた。四十にして惑ふ。

  • 19Feb
    • 副科試験にて

      今日の明和高校音楽科は、副科の試験だった。副科は専攻の他に、必修副科と、選択副科を履修することごできる。ピアノ専攻の生徒は声楽が必修副科、それ以外の専攻はピアノが必修となっている。僕は選択副科の中で、管弦打楽器、作曲の審査に携わっている。普段自由自在にピアノを操る生徒が、一生懸命ヴァイオリンやフルートに奮闘している様子は微笑ましいのだが、3年間の伸びは本当に逞しく感じることが多い。中には弦楽器の魅力に取り憑かれ、ピアノから転科してそのまま東京藝大にストレートで進学した者もいる。何が起きるかわからない。最近は副科作曲の人気が高く、作品のクオリティも本当に高い。作曲というのは、その生徒の本質のような部分が図らずも出てしまうように感じる。きっとテクニックがあればそういう部分を隠して狙ったことができるのだと思うが、まだ始めたばかりなので自分の音楽における、また人としての核のようなモノが露呈してしまうように感じるのだ。前述のフルートやヴァイオリンのように、やはりもどかしさが伝わってくるところもまた面白い。しかし産みの苦しみというのは壮絶だろうに、皆楽しく取り組んでいて頭が下がる。今日も大いに楽しませてもらった。実は僕にも作曲作品が僅かにある。高校の時、中等部の後輩のために作曲したアンサンブル作品と、大学の時に課題で作曲したサックスとトランペットとピアノの為の三重奏、明和高校音楽科で指揮法の試験の為に作曲した独奏楽器とピアノのための作品。ちゃんと終止線を引けたのはその三曲な気がするが、すべて散逸した。

  • 18Feb
    • 演奏研究レポート

      明和高校音楽科には、2、3年生に演奏研究という授業がある。僕は両学年管弦打楽器専攻生対象の授業を受け持っていて、年によって内容はまちまちだ。自分の楽器について調べ、資料を作って発表だったり、それに基づいて室内アンサンブルへの編曲をしたり、即興演奏、ジャズ、オーケストラレパートリー研究、リハーモナイズ実践などなど、その年のキャラクターに合わせて色々なことにチャレンジしている。今年も色んなことをしてきたが、年度末のレポートとして、「コンサートプロデュースをし、それにおけるプログラムを制作する」を課題にした。コンサートの内容、プログラム構成、プログラムノート、全て自分で組み上げる。自身の初リサイタルを想定しても、大物プロデューサーになったつもりでプロオーケストラのコンサートを企画しても良いことにしてあった。今日がレポートの締め切りだったが、どれも想定以上にクオリティの高いプログラムが提出され、正直困惑している。すぐにでも聴きたいコンサートが満載なのだ。紙媒体としてのプログラムの質も高い。自身が組み上げたプログラムについての解説も詳細で、どれもわかりやすい。日本のクラシック界の未来は明るい。

  • 17Feb
    • パガニーニ

      月曜日は音楽史の授業があり、僕が今持っている唯一のクラス授業だ。担任するクラスと50分顔を合わせることができる、僕にとっては非常に貴重な時間なのだ。今日はショパンの映画鑑賞とパガニーニの授業。ヴィルトゥオーゾという、19世期音楽史の1番熱い切り口の一つだ。ロマン派と言われる19世期の社会背景は決してロマンチックな時代ではない。だからこそ非現実的な世界を繰り広げてくれるスターに熱狂した時代でもあったのかもしれない。パガニーニと同時代を生きた画家ドラクロワが、肖像画を残している。ドラクロワは、ショパンの肖像も描いている。

  • 16Feb
    • 第6回ナゴヤサクソフォンコンクール終了、雑感

      第6回ナゴヤサクソフォンコンクールが無事に終了した。入賞者のみならず、本当にレベルの高い演奏が続いた。審査から外れ、運営委員長として携わって2年目、今年も全部門を客観的に聴かせていただいた。このコンクールはサクソフォンという比較的クラシックの歴史では新しい楽器とその音楽を、外からの目でもしっかりと見て頂くため、第一回から特別審査員としてプロのオーケストラ奏者の方々を招いて審査をお願いしている。これが本当にいつも興味深い会話が生まれる。自分たちが普通と思っていることはオーケストラ奏者からすると普通ではなかったり、物凄く苦労する奏法で成功するだけでなんとかなったと思ってしまうところも、オーケストラ奏者はバッサリと切り捨てる。当然だ、何十倍という倍率を潜り抜けてプロのオーケストラに入団した猛者方は、自分にも他人にも厳しい。我々はその伝統を孕んだ言葉に謙虚に耳を傾けなくてはならない。ナゴヤサクソフォンコンクールは、こういう奏者達とクラシック音楽を演奏する者としてちゃんと肩を並べられる奏者を育てられたらという思いもあって立ち上がった。また、全国からチャレンジャーが集まるようなコンクールに成長していけば、地元の中高生や音大生、愛好家の方々の大きな刺激や目標になり、その中から次世代を担うような音楽家が磨かれていってくれたらなんと素敵なことだろう。実際そのような理想に少しずつ近づいているような実感を持つことができているのも、これまでの出場者とその活躍、そして審査に携わって下さった方々のお力で、本当に心からの感謝しかない。コンクールというのは性格上、結果があり、勝ちと負けが存在してしまう。結果を受けた後の悔しそうな生徒の顔や涙は、心が軋んで痛くなる。しかしそれがあるから一生懸命に磨いて準備する。努力で得られた勝利の涙も、報われず思わず溢れる敗北の涙も、コンクールという修羅場だからこそ流れる。そしてここまでのプロセスは必ず自分の強い味方となってくれる。それは勝者も敗者も同等に得られるのだ。戦う相手は、常に自分自身でなければならない。誰が言ったか忘れたが、「無人島に一人ぼっちでは個性が磨かれることはない」らしい。それは、誰か別の人間を認知することで、初めて自分の個性を認知できるということだと解釈している。なるべくたくさんの人を見ることで、より自分のことがわかり、人の良いところや嫌な部分も見ることがあるだろう。目標としたい人や、絶対に真似したくない人に出会うこともあるだろう。それが社会であり、社会経験だ。今回コンクールを終えてみて、その部分がまだ育てることが出来てないように強く感じた。コンクールは、出場者のためだけでもなければ、本番の数分のためだけにあるのではないという信念を持っている。自分と戦うためには情報がいる。その情報はいくらあったって困らないのではないか。自分に足りなくてあの人が持っているものはなんなのか。自分の良いところとはなんなのか。自分が出したい音はどんな音なのか。人の心を動かす音楽とはどんな演奏なのか。自分の心が動いているのは、この人の何に触れて動いているのか。もっともっと能動的にたくさん聴いて欲しかった。審査講評には金言が詰まっているが、客観的評価だけでは不十分なのだ。自分の主観的な評価も必要で、それは自分が自分と向き合っているだけでは無人島と同じで何も磨かれない。何せ磨くためのヤスリがないのだから。もっと人から盗め、奪え、自分のものにするのだ。ジャイアンのように。あの熱演の中に必ず自分を磨くヤスリとなる宝のような情報が溢れていたはずだ。昨日客席に、1人高校部門の途中から夜までずっとハイエナのようにステージを睨みつけている少女がいた。顔が見えないので出場者かどうかもわからないが、きっと今彼女は自分と向き合い、昨日得た大量の情報を咀嚼し、ヤスリを磨き上げ、ジワジワと自分と戦う準備を整えているに違いない。

  • 15Feb
    • ポール・クレストン

      以前も触れた教則本、クヴァンツの「フルート奏法試論」。18世期中頃に完成された現存する世界最古の音楽教則本の一つ。その本には、「良い趣味で」演奏されることが求められている。良い趣味とは、現代においてはあまりに幅広すぎて定義はできない。ロックやレゲエの音楽がよくない趣味と言うつもりは毛頭なく、僕もXジャパンで少年時代を過ごし、今でも大好きだ。ただクラシック音楽は、宮廷や教会によって育てられた文化ということは忘れてはならない。クヴァンツはプロイセン大王の直属のフルーティストだった。良い趣味とは、そういう事情が大前提で良い趣味なのだ。クラシック音楽が大衆文化に育てられるようになるのはもう少し先の話だ。乱暴な言い方をすれば、お育ちが違うと言ったら何かに怒られそうだが。みたいな話をしただけなのに、今日レッスンで格段に演奏の価値が急上昇した生徒がいた。貧しいイタリア系移民のアメリカ人として必死でクラシカルな音楽を独学した作曲家の作品。僕はこの作品がサクソフォンの作品で1番好きだ。力強さ、鋭敏さ、優しさ、艶かしさが混在するアメリカらしい作風の中に、西洋クラシック音楽に対する深い敬愛を感じる。

  • 14Feb
    • 最後のレッスン

      明和高校音楽科、今日は3年生の予餞会が行われた。これから卒業式の2月29日までは、自由登校となる。そして午後は事実上3年生の最後のレッスンとなった。実際は入試がまだ控えているので、自由登校中もレッスンに来る生徒が多いのだが、本当に最後の生徒もいた。美しい音で2曲、イタリア歌曲を吹いてくれた。3年間の色々なことが思い出された。よく頑張りました。こんなクッキーもったいなくて食べられないよ。

  • 13Feb
    • 重奏試験

      今日は明和高校音楽科の、2年生重唱奏試験だった。管楽器は毎年入学してくる生徒の専攻楽器がまちまちなので、うまくアンサンブルが編成しにくい時は、実技担当の先生などと、デュオやトリオなどの同属楽器アンサンブルで授業を進め、そのまま試験を受けることがある。つまり、自分の専攻の先生、または自分の専攻楽器のプロの奏者の方と一緒に準備をして、本番までできるのだ。この経験は決して当たり前ではない。今日も名フィルオーボエ奏者の寺島陽介先生とのデュオ、フルート奏者辺見亜矢先生とのデュオ、元広島交響楽団、名古屋音大准教授の橋本眞介先生とのデュオなどが続き、さながら名奏者のガラコンサートのようだった。しかしながら付け加えておきたいのは、その先生方の職人的な演奏に、生徒も頑張って付いて行っていたことである。これには少し驚かされた。非常勤講師時代、1番最初に音楽科で教えた生徒と重奏の授業があり、2人で本番を迎えたことが13年前くらいにあった。1年間、1時間の個人レッスンのあとに1時間の重奏の授業だったのだが、個人的にはこの重奏の時間の方が手応えがあった。高校生くらいというのは、色々言葉で教えようとするよりも、ただ一緒に演奏することの方が何倍も吸収力があるのかもしれないとその時思い、今も僕の楽器ケースにはデュエットの曲集が入っていて、よく生徒と興じるのだ。今日の生徒たちも、きっと大きな何かを掴んだはずだ。追記僕もサンジュレーの四重奏曲を生徒と演奏した。とても楽しく上質なアンサンブルに近づけたと思う。生徒は慣れない楽器もよく頑張った。

  • 12Feb
    • ゆっくり練習

      小学2年生の頃、九九の7の段が苦手だった。比較的クラスでも早く九九を覚えていた方だったが、7の段だけどこかで間違える。何度も言い直したり練習したりする僕に、誰かがアドヴァイスをくれた。「そんな暗記ばかりに拘らないで、一回全部ゆっくり7ずつ足してってごらん。焦らず、足し算してみようよ。」結果僕はクラスで1番最初に全部の段を言えた人に認定された(と思う)。確か、かけ算横綱、なる称号を授与された。できないパッセージをゆっくり練習するという行為はこのことと似ているように思う。今日練習の仕方について生徒と考えている時、急に思い出させてもらったエピソード。ありがとう。横綱にしてくれた先生、元気かな。

  • 11Feb
    • 邂逅

      本番。主役はソリストたち。でもやはりオーケストラも緊張感はある。ソリストたちの圧倒的な成功体験が、その後の演奏活動にどんなに糧になるか、オーケストラの人たちはみんな知っている。厳しいオーディションを潜り抜けた若い奏者たちと、今度はいつかまた現場で出会える日をみんな楽しみにしているのだ。実は今日の6人の奏者のうち、2人は教え子だった。1人は明和高校音楽科の卒業生、もう1人は高校生のある時期僕がサックスを教えていた。同じ曲ではないが、こういう現場で出会えるのは感慨でしかない。そしてその若いサクソフォン奏者、栁田さんが今日演奏したイベールの室内小協奏曲は、僕も16年前にこのコンサートのオーディションを通ることができ、仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演させて頂いた。ちなみにその時の仙台フィルのコンサートマスターは後藤龍伸さん、今は名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターで、僕が名フィルにエキストラとして出演させて頂いた時再会し、とても喜んで下さった。きっと今日のソリストたちも、そのうちどこかで今日の誰かと繋がるのだ。それは来週かもしれないし、何年か先かもしれない。音楽で生きていくというのはそういうことなんだと思う。最後に、パーカッショニストの深堀賢太郎さん、黛敏郎の木琴小協奏曲をセレクトしてくれて、心から感謝します。この作品の素晴らしい演奏と素晴らしい音楽を、知らずに生きていくところでした。

  • 10Feb
    • 華麗なる一族

      リハーサル2日目。今回のコンサートでは、黛敏郎氏の他、日本人作曲家の作品がもう一作品。尾高尚忠、フルート協奏曲。この尾高家、日本音楽界きっての華麗なる一族。尚忠氏の祖父は幕末明治を駆け抜けた志士、尾高惇忠。明治以降は富岡製糸場初代場長などして名を馳せた実業家として知られる。2024年から1万円紙幣の顔となる渋沢栄一の師にあたると惇忠の孫でありながら、渋沢をも母方の祖父に持つ。次男は尾高忠明、言わずと知れた日本を代表する名指揮者。この尾高尚忠。なんと激務の故、39歳で亡くなっている。忠明3歳の頃だそうだ。同じく39歳で亡くなったアメリカのジョージ・ガーシュウィンの映画を見て、「俺も39歳で死ぬよ」と妻に話したという。尚忠とガーシュウィンは、2人とも9月26日生まれ。なんとなく、2人は似ている。

  • 09Feb
    • 黛敏郎

      久々のオーケストラのお仕事。名古屋フィルハーモニー交響楽団の来週2/11に行われるコンサートのリハーサルが今日から始まった。「新進演奏家育成プロジェクト オーケストラシリーズ」と題されたこのコンサートは、若手奏者たちがオーディションを受け、合格者が第一線のプロオーケストラと共演できるという協奏曲のみのコンサートで、毎年札幌交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、九州交響楽団の5都市で開催されている。少し前までは「日演連推薦新人演奏会」という冠で何十年と続いてきた、伝統あるコンサート。僕も16年前に仙台フィルハーモニー管弦楽団とこのコンサートで共演させていただいた。協奏曲でオケの中にサクソフォンが編成されている曲はあまりなく、有名なところだとガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーやベルクのヴァイオリン協奏曲、マニアックなのだとツィンマーマンのトランペット協奏曲「誰も知らない私の悩み」など、若手奏者が選ぶにはあまりに振れ幅が大きい針の先にあるような作品ばかりなのと、ピアノ伴奏で行われるオーディションなので、ベルクやツィンマーマンなどはピアノ伴奏版があるのだろうか。と言った具合で、オーケストラ客員歴16年、一度もこのコンサートでお仕事をいただいたことはなかった。しかしなんと今回サクソフォンの出番があるということで、連絡を頂いた。黛敏郎、木琴小協奏曲。恥ずかしながら、知らない曲だった。黛敏郎氏と言えば、僕自身が子供の頃、「題名のない音楽会」の司会を務めていた作曲家。氏の「涅槃交響曲」を同番組で聴いた衝撃は今でも忘れられない。その黛がサックスを使っていたなんて。いみじくも木琴とサックスは、本当に相性がいいと思う。マリンバとサックスの作品が意外に多いのも肯ける。本作品も、オケでは珍しいくらい吹くところが多いが、絶妙な木琴との絡み感。

  • 08Feb
    • 恩人とのデュオ

      Arion Saxophone Quartet結成からもう15年になる。結成の時僕はまだ大学院を出たてだった。遠藤さんに誘っていただき、他のメンバーについて相談されたが、僕は小森伸二さんが絶対必要だと言い張った。小森さんと学生時代の接点は日本ではなかったが、大学3年の時にミュンヘン国際音楽コンクールを受験した時、言葉の壁で困っている時現地で同じく受験しに来ていた小森さんに出会い、僕が行きたいところをバスの運転手さんに通訳して下さり、無事にそこへ辿り着くことができた命の恩人なのだ。パリに留学していた小森さんはその数ヶ月後帰国し、たまたま名古屋のホールで出会い、お互いこの辺に住んでいる事を知った。そんな小森さんと今日は珍しく、デュオの本番だった。うまく言えないが、なんとなく照れくさい。エヴァと対峙する小森氏。