昨晩、父から三郎おじさんの訃報が届いた。


急すぎてまだ整理が全くできない。



三郎おじさんは、母を長女とする三姉妹の末っ子、ゆっこおばさんの旦那さんだ。


子供の頃、夏になると毎年母と一緒に仙台の家から、母の実家がある静岡県の伊豆半島にある伊東市に帰省していた。


僕が子供の頃はゆっこおばさんはまだ独身で、実家に住んでいたように記憶している。


毎年会っていてもおばさんなんて感じは全くなく、子供から見てもお姉ちゃんのような存在で、確かゆっこちゃんと言っていた気がする。


漫画が大好きで「じゃりん子チエ」や「Dr.スランプ」が全巻くらい大切そうに本棚に保管してあった。


子供の頃の夏は楽しかった。

祖父母と三姉妹が揃うと母は本当に嬉しそうで、次女の桂子おばさんの3人の子供達である僕の従兄弟たちと、僕と僕の弟は常に暴れ回り、本当に毎日賑やかで、ずっとこの時間が続けばいいのにと思っていた。


そしてその賑やかな時間にいつのまにかもう1人加わっていた。

三郎おじさんだった。

ゆっこちゃんと結婚する人なんだというのは、子供ながらに理解していたように思う。


とっても面白いおじさんで、僕は大好きで、夏に三郎おじさんに会えるのも楽しみだった。


僕はゆっこちゃんと三郎おじさんの結婚式で花束を渡す役割を仰せつかっていた。

今で言えばリングボーイのような感じだろうか。


しかし幼稚園児だった僕は式の途中で寝てしまい、起きず、起きた時には全てが終わっていて、その役回りは従兄弟に取られてしまったらしい。


このエピソードは写真に残っているので、アルバムを開くたびに母に何度となくその失態を聞かされたものだ。


母の葬儀の時に飾られた遺影は、この時にホテルで父と並んで撮った時のものだ。


ゆっこちゃんにはやがて長女が生まれ、長男が生まれ、従兄弟が増えた。


ゆっこちゃんは、漫画よりも大切なものができたと言っていた。


どんどん賑やかになって相変わらず夏の帰省は僕の大きな楽しみだったが、僕も中学生になり、部活を始めたり親と行動することがなんとなく気恥ずかしくなる時期を迎えると、祖父母宅に行く機会も少しずつ減ってきた。


いとこやゆっこちゃん、桂子おばさん、そして何より祖父母と会える点も、距離が空いていった。


高校生の僕は本当に黒歴史で今でもその時期を考えると親に顔向けできないし大学受験などする資格もないくらい落ちぶれていたのだが、なんとか受けられる大学を見つけていくつか受験をした。


その中に静岡の大学があり、母が頼み込んでくれてゆっこおばさんのお家に泊めていただいたことがあった。


夜遅く帰ってきた三郎おじさんは僕を喜んで迎え入れてくれ、「飲むか」と言って18歳の僕にビールを注いでくれ、とても嬉しそうに、いつか子供達と一緒に飲みたいんだよと熱く語ってくれたのをとてもよく覚えている。


その年に受けた大学は当然全て落ちた。

(または受けることすらできなかった)


それから十数年が過ぎ、僕はゆっこおばさんと三郎おじさんの長男であるいとこの結婚式に招かれ、一曲演奏させてもらったことがある。


その時に三郎おじさんといとこがお酒を酌み交わしているのを見て涙が滲んだ。

三郎おじさんよかったなーって思った。


その時に受験の時のエピソードを話すと、いとこは驚いていた。


昨年、祖母の通夜で久々に会えた三郎おじさんはまだ体は元気そうで、祖母、おじさんにとっては義母の顔を見ながら、「こうやって少なくなっていくんだな、寂しい、寂しい」と涙ぐんでいた。


まさかその三郎おじさんにもう会えなくなるなんて夢にも思わなかった。


71歳と聞いて、あの時子供達といつか飲みたいと言っていたおじさんは、今の僕くらいの年齢だったんだと気づいた。


本当に寂しい、寂しい。

いとこたちに会いたい。