諒さんのリサイタルが終演。


母となり日々奮闘しているはずなのに、自己ベストを叩き出すのは本当に凄い。


お客様の暖かくも熱のある拍手は、今日の演奏に対してだけのものではない。


人間は向上心を覚え、努力をし、達成感を味わえる生物だ。

正しき場所でそれらを発揮し続けることができれば、結果に関わらず一生自ら自身を磨き続けることができることを、諒さんに力強く証明してもらった気持ちになった。


トリオで演奏した2曲では、ピアノの奥村百合名さんの圧倒的な包容力に身を委ねながら、遺伝子が近いもの同士に許された音波の重なりのようなものを感じながら演奏することができたように思う。


IZUMIさんの悲しみの三重奏曲の誕生についてのお話も、少し迷ったがさせていただいた。


昨年出版された楽譜に添えさせていただいた文章をここだけで共有したい。


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悲しみの三重奏曲


いずみさんの作品に初めて出会ったのは、アルト・サクソフォーンの四重奏曲、「月夜に咲く花」でした。限られた音域を利用しながら、和声的にも多声的にも、心の表面から奥深くに沁み込んでくるような暖かさと美しさを感じたのを覚えています。

「悲しみの三重奏曲」を委嘱する直前、僕は近しい友人を亡くしました。村島利章というコントラバス奏者です。白血病でした。利章とは学生の頃から一緒に数年間タンゴグループで活動し、たくさんの場所でライブをしました。僕は彼以上にピュアで優しく愛に満ちた男を、今も知らないかもしれません。彼を慕う多くの友人たちも、きっと同じ気持ちだと思います。

あの時、その悲嘆をいずみさんに押し付けたのは、あまりに酷い(むごい)ことをしたと今は思っています。しかしいずみさんはひたすらに僕の気持ちを汲み、限界まで寄り添おうとしてくれました。

タイトルの「悲しみの三重奏曲」は、チャイコフスキーを悼んで書かれたラフマニノフの同名の作品から賜っています。そう、昔から音楽家は、悲しみも歓びも自分自身で音楽に刻み込んできたものです。作曲という才に恵まれなかった僕の代弁者となってくれ、満身創痍でこの作品を書き上げて下さったいずみさんには、畏敬の念と深い感謝しかありません。

この作品は出版前からたくさんの奏者に愛され、時に海を越えて演奏されてきたそうです。僕はそういう話を聞く度に、利章が色んなところでまだ生きているように感じてしまうのです。


と、ここまで自分の想いだけを勝手に吐露してしまいましたが、この作品は紛れもなくいずみさんの作品であり、僕もその作品に癒され、胸を打たれた1人です。これから更に多くの音楽家の方々により、それぞれの物語が生まれ、多くの人々の心を温めてくれることと思います。


堀江裕介