年に一回か二回あるかないかのスタジオレコーディングの仕事。


曲は2曲、両方演歌。


今までにないくらいのNGを叩き出す。


というか、2年くらい前からこの仕事に呼んでいただくが、回を増すたびにディレクターからの要求が厳しくなっている気がする。


この仕事はディレクターと2人で行っているが、途中で言いたいことがわかった気がする。


「お前何回かこの仕事やってるのに、この仕事のことわかろうとしてる?変わってなくない?」


十中八九そうだ。


なんとか全てのセクションでOKをいただき、その後少しお話をさせてもらう時間を作ってくださった。


正直に自分が思っていることや、何曲かすでに作品になっている今自分が録っている音楽に自分が馴染んでない気がすることを述べたら、あっさりと「そりゃそうだ」と返ってきた。


それでもなぜ僕を使いたいかという理由と、なぜ馴染まないかの理由を言葉を選びながら話して下さった。

全ては経験値。

一度した経験をブラッシュアップさせるためには、何か工夫をして前回より良い結果を出すための勉強が必要。


オーケストラの仕事もそうだ。

いくら音が良くても、何度か乗らないと音は混ざらないしアンサンブルできるところまでいけない。


オーケストラに初めて乗る時、僕はどんな勉強をしただろう。

CDショップでたくさんの展覧会の絵のCDを買い込んで聴きまくった。

出演料をはるかに超える金額を勉強に費やしたかもしれない。

オケ中のサクソフォンプレイヤーにもたくさんのスタイルや音色があり、オーケストラにおいても団によってはもちろん、国ごとにもなんとなく違いがあるようにも感じた。

そして改めてダニエル・デファイエは凄いと思った。


今そんなことしなくても数多の音楽を享受できる世で、僕はどれだけの有名スタジオミュージシャンの音を聴いたのだろう。


ディレクターが口にした何人かの過去から現在までで活躍しているスタジオミュージシャンの名前を、僕は半分くらいしか知らなかった。


強烈に恥ずかしくなってきた。


終始にこやかにプロ同士としての会話を保ってくれたが、僕はディレクターが何を言いたいかその時十分痛感していた。


帰りがけに「またよろしくお願いします」の言葉が背中に強く突き刺さったが、もしまたチャンスをもらえるなら、次までに何か変わって現場に行かねばならない。


なんかこういう感情は久しぶりだ。


浪人生の時雲井先生にレッスンを受けた後、仙台までの新幹線の中で泣くまいと戦っていた感情、大学生の頃得意になってバッハを和久井先生(現N響)にレッスンを受けて「かっこわる」と言われ絶望した時の感情、オケに乗り始めた最初期にコバケンにムチャクチャに捕まって「自由に吹いて良いから」という言葉に完全に自由を奪われた感情、ベルクのヴァイオリンコンチェルトのリハーサルで当時の名フィル常任指揮者ティエリー・フィッシャーにため息をつかれソリストのオーギュスタン・デュメイに「Saxophoneがゴニョゴニョ…」とボヤかれた時の感情、それから何年も後に同じくベルクのヴァイオリンコンチェルト本番で途中シビアな出だしで半音間違って入り0.005秒くらいで正しい後に戻せたが終演後団員の方に「まあ本番はいろいろあるから気にしないで」とめっちゃバレてた時の感情に似ている気がする。


もっと時間をかければもっとたくさんの感情を思い起こせそうではあるが、自分のためにもこのくらいにしておこう。


今日はなんかカッコ悪い1日だった。