大学院を修了し、明和高校音楽科に非常勤講師として勤め始めた年の冬だった。


母が亡くなり19年目。

来年はもう20年だ。


人生の半分近くが母のいない時間となっていくのは信じがたいが、自分の心の中にはつねに母がいて、迷った時には母ならなんと言うか、なんと答えるだろうかを感じることができる。


肉体は離れてしまい会うことはできないが、僕は母にいつでも会えるような心持にようやく最近なれてきた気がする。


きっと自分が母よりも年齢を重ねることができたとしても、それは変わらないと思うし、変わりたくない。


父は変わらずずっと寂しそうだ。

きっと、自分が退職した後の母との日々を思い描いていたに違いない。


弟はまだ大学生の頃だった。

今は自分の子供たちに色々なものを作ってあげているようだ。

母からしてもらったことを、「恩送り」している。

クールだが心は熱く正直で義理堅い。


弟はまったく普通の中学生だったが、弟の同級生のツッパリたちは、僕を見ると堀江の兄だと無免許運転のバイクを停めて挨拶をしてきた。

そういうやつだ。


弟のように生きれたらと何度思ったか。


きっと母も同じように思っていただろう。


今の自分を見たら母はなんというだろう。


「いつかまた会えるから」


母が息を引き取る前日に意識が混濁した中で僕に向けて言った最後の言葉。


それが僕の中で生きる一つの糧となり、生きる意味になっている。


だって、次に会えた時に褒められたいから。


大学受かった時みたいに、ほっぺた両手で掴まれて、涙目で「良かったね」って言ってほしいから。