小澤征爾さんの訃報。
僕の中では、父が大ファンということが大きく、その恩恵にあやかっている部分も多々ある。
小学生の頃から小澤さんの数多のエピソードを何度も聞いていたので、会ったこともないのによく知っている人になっていた。
おそらく父は小澤征爾さんがテレビに出ていたものはほぼ録画しているのではないだろうか。
実家ではきっとDVDに焼き直されることがないまま、ビデオテープが大量のスペースを占めているはずだ。
劣化する前に早くデータかDVDにした方が良いだろう。
僕はそのコレクションの中から、1997年の小澤征爾さん指揮サイトウキネンオーケストラのマタイ受難曲を貸してもらい、1999年に愛知に引っ越す時に持って来た。
一時期は毎週土曜の午前中にコーヒーを飲みながらこのビデオを3時間鑑賞していた。
譜面台の上に閉じたままになっているスコアと、合唱団と共にに全ての歌詞を口パクで歌っている小澤さんに驚愕した。
僕が中学生の頃、小澤征爾さん指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の日本公演があり、なんとそれは仙台でも行われた。
確かS席3万円。
とても家族で行けるような値段ではなく、父は1人で行った。
しかもそのチケット購入に際しては、母が朝早くから街のプレイガイドに並んだ。
子供ながらになんとなく酷いなぁと思った。
部活の後輩がそのコンサートに家族4人で行くと聞き、驚いたのを覚えている。
仙台では一種の社会現象だったように思い出される。
今では考えられないが、なんと父はそのコンサートを全て録音して帰って来て、僕に聴かせてくれた。
何度も聴いた。
演奏の凄さに感激してというより、なぜそんなに値段が高く、何がそんなに人々を湧き立たせるのかを知りたくて。
大人になり、雲井先生がサイトウキネンに乗ると聞いた時は興奮した。
身近なサクソフォン奏者が小澤征爾さんの指揮で吹くというのがいかに凄いことかは、当時の僕には既によくわかっていた。
2000年くらいだっただろうか。
先生も喜ばれて、サイトウキネンフェスティバルグッズを買って大学に行ったら、サイトウキネンを知ってる学生がほとんどいなかったとガッカリされていたことも思い出される。
僕にも直接のコンタクトが一つだけある。
2015年のトヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーンのコンサート。
名古屋フィルハーモニー交響楽団とウィーンフィルを始めとするウィーンから来日する名手達との合同オーケストラでムソルグスキー=ラヴェルの「展覧会の絵」が取り上げられた。
愛知県芸術劇場コンサートホール。
僕と同じ列にペーター・シュミードルが座っていること自体が既に非現実的だったが、2階席中央には小澤征爾さんの姿があった。
ウィーン国立歌劇場音楽監督時代の盟友がたくさんいたのだろう。
小澤征爾が僕の音を聴く。
終演後名フィルの団員から、「セイジ・オザワから直接オファーがあるんじゃないですか?」と冗談混じりに声をかけられた。
まだないのだが、これからも電話を待ちながら一生懸命生きていくしかない。