なぜ「君が代」にアツいのかよく尋ねられるが明確な回答はない。
ただ吹奏楽の歴史を追っている最中に「君が代」が挟まってきたというのはあるかもしれないが、それを知るよりだいぶ前から僕はこの本を持っていた。
東川清一著 「《君が代》考」
やはり日本国国歌であるこの歌の歴史や内容、音楽的考察にはただならぬ魅力があるのだ。
決して思想的なアツさではない。
この「君が代」成立については以前の記事に書いた。
今日はその和声について。
君が代を作曲したのは、当時宮内省雅楽課に籍があった奥好義、林廣守と言われているので、この君が代なメロディは雅楽の旋法となる。
具体的には「壱越調律旋」といわれている。
壱越調は、西洋音楽のDから始まる雅楽の旋法。
西洋ならドリア旋法にあたるのかも。
この雅楽の旋法である「壱越調律旋」に、当時のお雇い外国人のフランツ・エッケルトが「西洋和声」を「無理矢理」当てがったのが現在我々が耳にする「君が代」なのだ。と言っては少々乱暴かもしれないが…
現に最初の2小節、最後の1小節には和声がない。
これは、調号がない=ハ長調という概念で和声付けをしたため、レで始まる旋律にドミソが割り振るのは難しく、3小節目においてめでたくドミソが割り当てられている。
最後も同様。
つまりエッケルトは、「諦めた」のだ。
前述の東川清一氏の著書はこの「壱越調律旋」を見直すスタンスでは書かれているが、エッケルトの和声を否定するものではなかったように記憶している。
ならばこの「壱越調律旋」説を尊重するなら、日本特有の和声が付くはずなのである。
今日はソルフェージュの時間に、生徒たちにその和声で君が代を演奏してもらった。
感想を聞くと様々で、「違和感が…」という声が多い中、「帰ってくるべき場所に帰ってきた」という趣のある意見もあった。
奥、林両氏はどう思って聴いていただろうか。