今日は2年生の管弦打楽器演奏研究、及びソルフェージュの授業で「教会旋法」を取り上げた。


イオニア、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディア、エオリア、ロクリアと7種の旋法。


余談で日本の旋法や和声についても触れたが、「旋法」というのは同じ音を使いながらも、始まりと終わりの音が違うだけで風景がまるで変化して見える。


ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を、


「G-durで書かれてるけどなんか不思議なメロディー!」


と感じて演奏するか、


「これはフリギア旋法で書かれているな。この曲は確かラヴェルが『昔スペインの宮廷で小さな王女が踊ったであろうパヴァーヌ』がイメージされてるんだったな。スペインの音階とフリギア旋法は第1音と第2音が半音であるという特徴を含めて酷似しているから、その旋法を使ったのかもしれない。そもそもラヴェルはスペインに程近いフランスのバスク地方の生まれだから、スペインの音楽には子供の頃から親しんでいたのかもしれないな。」


と感じて演奏するかでは明らかに深みも変わってこよう。


長調と短調というのはあくまでも今の音楽の主軸ではあるが、その音楽の中から「旋法」が消えたわけではない。

「古文」ではないのだ。

と言いつつ、現代でも興味深い時には「いとをかし…!」と言ったら良いし、筋が通らないことには「あやなし!」と叫び、変な音でやかましく吹いていたら「かしかまし!」と訴えたら良いと思っているが。


ふとした瞬間に音楽の旋法に敏感に気づけるためにも、普段から旋法には慣れ親しんでいた方がより音楽を幅広く捉えることができるように思う。