先日の門下生コンサートでは、僕も2曲ほど最後に演奏した。


野田燎氏の「舞」と、真島俊夫氏の「シーガル」。


シーガルは前日の夜に当日伴奏で来てくれる予定だった奥村百合名さんに急遽お願いした。

(ちなみにこの曲はバラードながらピアニスト泣かせで、前日に頼んでやっていただけるのは奥村さんだからである。感謝。)


「舞」は先日飯田でも演奏したが、日本伝統音楽「能」などで奏される雅楽がベースとなっていて、その世界観をサクソフォン独奏で表現する。


個人的にはこれからも日本人として探求していきたい作品だ。


「シーガル」はデビューの頃からもう何回演奏してきたかわからない。


自分のCDにも収録させていただき、聴いてくださった作曲家の真島俊夫先生には「悲しみに溢れていた」というメッセージを頂き、前田綾子さんが奏するフルート版のCDをいただいた。


しかしながらこの「シーガル」、アンコールで演奏することが多いのだが、終演後は「アンコールが良かった」というコメントが多いのも否めない。


いつしか自分の中で、本編がシーガルをちゃんと超えていることが目標の一つになっていて、先日のもそんな想いを抱きながら2曲演奏したが、例に漏れなかったことは言うまでもない。


しかしそんな中、伴奏できてくれていたピアノ専攻の高校生から、「舞が良かった!」という感想をもらった。


雅楽における「間」のことを知ってか知らずか、「音のない時間」について興奮気味に語りつつ、キーノイズが「鼓(つづみ)」の音に聴こえたなど、細部まで聴きつつ、「鑑賞というより空間を共有したい」と言った僕の言葉をしっかりと受け止めてくれた感想だった。


感激したというか、驚愕したという方が近い。


実はこの生徒、ジャンルや楽器を問わず、色んなコンサート会場で出会うことが多い。


引き出しが豊富なのだ。


とても頼もしく、嬉しい瞬間だった。