アルノルト・シェーンベルクが1918年に立ち上げた「私的演奏協会」と呼ばれる音楽団体。
1918年といえば、悲劇しか生まなかった近代戦、第一次世界大戦が終結した年だ。
モーツァルトの再来と言われたシェーンベルクが、ハプスブルクが君主を追われたそのウィーンでその最中にこのような団体を立ち上げ、決死の覚悟で音楽を守ろうとした姿は、2020年のパンデミックの世界中の音楽家たちと重なる。
この第一次世界大戦でブルジョワ、貴族の没落後に音楽家が進む道は4択だった。
①19世紀の書法で音楽を書き続けるか
②移り気で軽薄な大衆の好みに寄り添うか
③勃興しつつある映画のために働くか
④いっそのこと音楽を好き勝手に開拓してみるか
継承を存在価値とするクラシック音楽は①と④に分かれていったと考えられる。
シェーンベルクは言わずもがな④の先駆者であるが、前述の私的演奏協会は、協会員それぞれの客観性を重んじるべく、評価は禁じられた。
批判はもちろん、拍手や称賛も御法度である。
当然ジャーナリストは出入り禁止。
そして難解な作品をより深く理解してもらうため、演奏者は明瞭明晰に演奏できるような練習を義務付けられ、本番では同じ曲を何度か繰り返して演奏したという。
一連の流れを想像してみるとかなりシュールな光景に感じられるが、この協会の立ち上げこそ、「現代音楽の誕生日」とされているようだ。
アルノルト・シェーンベルク
昨日はシェーンベルクの誕生日。
149歳。
来年は150歳。