ピカソとストラヴィンスキーはなんとなく似てるな、と思ったら、生年は1881年と1882年、没年は1973年と1971年と、全く同時代を生きていた。


またピカソが1918年、最初に結婚したオルガ・コクローヴァは「バレエ・リュス(ロシアバレエ団)」のバレリーナだが、ピカソはこの第一次世界大戦中、このバレエ団の舞台装置や衣装などの制作に携わっていた。


また、妻オリガは「自分の顔がわかる絵を描いてくれ」と願い、ピカソの作風は新古典主義と言われる、分かりやすく写実的な絵に戻っていく時代となる。


ちなみにストラヴィンスキーは1910年の「火の鳥」、1911年の「ペトルーシュカ」がバレエ・リュスで大成功を収めるが、1913年の「春の祭典」では観客が大暴れする大スキャンダルとなる。


1920年に同じくバレエ・リュスで発表された「プラチネルラ」は、18世紀のペルゴレージの旋律をそのまま引用した音楽で、ストラヴィンスキーの「新古典主義」の始まりとも言われる。


そしてこの「プルチネルラ」の衣装を制作したのがピカソなのだ。


2人は図らずも同じ時期に「新古典主義」へと回帰する。


そしてまさにこの時期ストラヴィンスキーはココ・シャネルと出会い、抜き差しならぬ関係へと進展していく。


ピカソが描いた妻オリガの肖像。