先日の記事で、20年近く前にオーディションを通って仙台フィルハーモニー管弦楽団とイベールのコンチェルティーノを共演させてもらったと書いた。
実はこのオーディションの直後、名古屋に戻る新幹線の中、確か東京駅だったと思うが、携帯電話が震えた。
まだガラケーの小さな画面を見ると、「非通知設定」。
恐る恐る電話に出ると、「もしもし、トヤマです。」
トヤマが人の名前なのか県名なのかもわからず返答に困っていると、トヤマさんは矢継ぎ早に続けた。
「オーディションお疲れ様。君は指揮は下手なのにサクソフォンは上手なんだね。フハハ。オーディションは問題なく通ってますよ。それよりね、」
ここで初めて電話の相手が、オーディション審査を務められた仙台フィル音楽監督、外山雄三氏だということに気づいた。
外山先生は当時愛知芸大の客員教授としてオーケストラの指揮もされていて、なんと大学院生の指揮法の授業も担当されていたので、僕の指揮の師匠は外山先生なのだ。(とは烏滸がましくて宣言したことはないが)
故に、僕が指揮が下手なことをよく知っていらっしゃる。
「それよりね、今度韓国のスウォン・フィルハーモニック管弦楽団が日本公演をするんだけどね、展覧会の絵をやるんだけど韓国からサクソフォン奏者が来れなくなっちゃって、君やってよ。指揮者は僕の友達のパク・ウンソンと言ってね、」
何を言ってるのかよくわからなかったが、とにかくオーケストラの仕事を頂いているのだということはなんとなくわかった。
「なんか問題ありますか?スケジュールは大丈夫?」
スケジュールを確認するよりも先に僕は、ありがとうございます、僕でよければぜひ務めさせて下さい、と返していた。(これが後に大きな問題となるのだが、それはまたの機会に…)
というわけで、かなり唐突に僕のプロオーケストラデビューが決定したのだった。
それは言葉の通じない海外のオーケストラと、展覧会の絵という大きなソロを伴う作品だった。