終戦記念日。


第二次世界大戦が終わった日。


先日、妻のお祖父様から戦時中の疎開の話や、空襲、防空壕の話を伺った。


僕の祖父が元気だった頃はたまにこのような話を聞けることがあったが、最近はめっきり無かったので、貴重な時間だった。



明治時代に入り日本は近代国家への道を大急ぎで突き進み、日清、日露戦争という江戸時代までの戦(いくさ)とはまるで違う近代戦に挑み、大国に勝利していく。


戦争なんて愚かなことをなぜ回避できなかったのか。


現代に生きる我々は短絡的にそう思ってしまうが、どの時代にも戦争を回避しようとする動きはもちろんあるわけで、誰も戦争がしたかったわけではない。


日本が列強に植民地化されるのを防ぐため、常にその時代に生きる人達が最適解を模索したのだ。


と、今は思っている。


今現在のウクライナとロシアを見ても、攻め入るロシアにウクライナが無条件に白旗を振るのが最適なのかはわからない。


しかし人命第一と見るならば、それも致し方ないのではという思いも捨てきれない。


ロシアにも攻め入る理由があり、ウクライナも戦う理由があり、近隣諸国も兵を挙げられない理由がある。



第二次世界大戦は、1945年、日本の二都市への原爆投下という未曾有の無差別大量殺戮によって絶望的に終焉した。

 

今年5月には何度目かの広島、原爆資料館にて改めてその事実に茫然とした。


政治的な判断はしないとされてきた天皇は、この原爆投下を受けて、ポツダム宣言を受諾するしかないと強い意志を示したというのを読んだことがある。


自分の命が降伏することで今後どうなるかなどというのは、この際どうでもよかったのだろう。



色々な想いが過る、令和の夏。