今日は母の十七回忌。


残念ながら実家に戻れてはいないが、昨年から父がLINEを始めたことで、弟と3人の家族グループがあり、そのことは共有できた。


母が亡くなったのは2005年、僕が大学院を修了し、明和高校音楽科の非常勤講師として勤め始めた年だった。


弟は山形大学の大学院1年生だったと思う。


12/28に名古屋から仙台へ帰省し、翌29日は家族でずっと母のそばにいた。


母はモルヒネの作用で寝ている時間が長く、朝晩の感覚がないようだった。


何度か言葉は交わせたが、無理やり搾り出している感じだった。


夕方くらいに父と弟と僕と別々に部屋に入れと言われ、弟は祖母に指輪を返却すること、父は葬儀の時にはウィッグをつけて欲しいという具体的な指示を受けたらしい。


僕には、「また会えるから」という一言だった。


何も頼むことはなかったし、1番頼りにならなかったのだろう。


ただその一言は、今でも僕を支えている。


12/30明け方、5:30頃だったか。


最期の瞬間は今も鮮明に覚えている。


静かに眠るような最期では、全然なかった。


1人の人間が最後まで諦めず生にしがみつく、壮絶な最後だったように感じた。


蝋燭の炎が最期に燃え盛るのを見た気がした。


絶望的な悲愴、永遠の感謝、際限の無い懺悔。


涙と共に混沌とした感情が湧き出た。


もう会えないという現実が目の前を覆っていく。


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あれから16年。


癒えたという感覚はないが、母の最後の言葉を支えに、ここまで生きてはこれた。


母が僕に何も頼まなかったのは、頼りなかったのもあるだろうが、僕に1番必要だと思うことを言ってくれたんだろうと思う。


結局頼りなかったんだろうな。


僕らは男兄弟だが、母は本当は娘が欲しかったんだと思う。


孫娘と息子を見せてあげられなかったのは悔しいが、きっと見守っていてくれているだろうと信じている。


お礼は、また会えた時に。