昨日の続き。


フレキシブルの難しさは、正解が見えにくいことだ。


その編成でのサウンドの正解を、誰も知らない場合が多い。


同属楽器のアンサンブルは、普遍的な正解が多数存在している。

それは各メディアを通して奏者が自分で享受できる。


僕はレコード世代ではないが、レコードで出版されていたミュール四重奏団、デファイエ四重奏団の演奏を仙台サクソフォンアンサンブルの方々からカセットテープで貸していただき、フルモーカルテット、キャトルロゾー、トルヴェールカルテットのCDを買ってもらい、文字通り擦り切れるくらい聴いた。


そしてその後雲井カルテットやたくさんの四重奏の出現により、カルテットの多数の正解を知り、自分も一つの正解を出せるようもがき出すことができた。


そう考えるとパイオニアであるミュールの苦労が伺えてくる。


オーケストラはもちろん、吹奏楽の歴史も先人たちの多くの正解の先に今がある。


明和高校音楽科の管楽合奏も、毎年その正解か何かわからないが何かの答えに辿り着くまでに数ヶ月、本番ギリギリまで生徒と一緒にもがく。


そしてその編成ではおそらく二度と演奏されることがないことが、瞬間的な時間芸術のようにも感じるし、たまらなく切なくもある。