明和高校音楽科は、どういうわけか管打楽器専攻生の人数が10年くらい前から増え始め、オーケストラの授業で全員を許容することが難しくなってきた。


するとその年の定期演奏会で演奏するオーケストラプログラムの編成にない楽器は、合唱の授業に入ることになる。


当時は女声合唱だったので、男子は副科で必ず弦楽器を履修し、オーケストラの中に入る。

つまり弦楽器を始めたばかりのピアノ専攻生などがヴァイオリンやチェロをぎこちなく構えながらオーケストラの中にいるわけだ。


いや、これはこれで面白かったし、オーケストラに入る経験ができて良かったという男子生徒はたくさんいた。


しかしせっかく音楽高校に入学してきて、自分の専攻する楽器で合奏の授業ができないのはいかがなものかも思案する中で6年前に生まれたのが「管楽合奏」だった。


当時は「え、吹奏楽?」とアレルギー反応に近い声があったようには感じていた。

僕としては、モーツァルトも愛したハルモニームジークの響きが理想だった。


あの天から降ってくるようなグランパルティータ 。

僕の中で「吹奏楽」、「管楽合奏」とは、あの延長線上にある。


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しかし言うは易く、行うは難し。


毎年編成が変わる管打楽器のために曲を決め、編曲をし、授業として成立させるのは簡単なことではなかった。


初年度は、ムソルグスキーの「展覧会の絵」。

ラヴェル編曲版をベースに、サクソフォン専攻生には無茶な持ち替えもお願いしたが、オーボエ専攻生が4人もいたため、途中美しいコラールが実現したところもあった。


2年目はリヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、3年目はリムスキーコルサコフの「シェエラザード 」、4年目はプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」と続いた。


4年目にはチューバ専攻生が卒業してしまったため、この年は贅沢にも、名古屋フィルハーモニー交響楽団チューバ奏者の林裕人氏にアドヴァイザーとして着任していただき、本番にも客演して頂いた。


5年目はマーラー編曲版、バッハの「管弦楽組曲」。

プログラムには「バッハ作、マーラー版、堀江編」と烏滸がましくも奇妙な連名になってしまったが、本番でのいわゆる「G線上のアリア」が本当に美しく響いたのだ。

わがままを言ってチェンバロ講師の鈴木美香先生にも客演していただき、手前味噌ながら恍惚とした時間だったように思う。


30名の管楽合奏の中で、サクソフォンが13名を占めていたが、伊藤康英氏の言葉を借りるなら、「そこにサックスなんていなかった」というところか。

伊藤康英氏は第70回記念定期演奏会の最初の全体リハーサルで、全員が入ったオーケストラの音を聴き、「サックスが9人もいたらどんな音になるか心配だったけど、サックスなんてどこにもいなかった!」と最上の褒め言葉を下さった。


そして、今年である。


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昨年度のバッハに味をしめた僕は、オーボエ3人、トランペット3人などの特色を生かして、バッハの他の管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲などの器楽曲を模索していた。


いくつか音を出してみたものの、どうしてもバランスが取りづらい。


7人いるフルート専攻生に対して、いつも「もう少し抑えて」という指示ばかりになってしまう。


昨年のようには全くいかない。


暗礁に乗り上げていた。


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ちょうどその頃、僕はサクソフォン奏者としてある決断を迫られていた。


6月24日に予定されていたソロリサイタルを決行するか否かである。


世の中の情勢はとても不安定で、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置などが全国各地で発令されていた。


教員という、生徒を守る立場でもありながら、ホールに人を集めるということは、いくらクラシックのコンサートの安全性が叫ばれていても、まだ時期尚早と判断せざるをえなかった。


「延期」を決めた。


このコンサートでは、作曲家の小前奏人さんの作品「サクソフォーン吹きの弟子」の再演が予定されていた。


この作品は3年前、名古屋で雲井雅人先生の還暦記念コンサートのために委嘱して書いて頂いた。


雲井先生と僕をソリストに、僕の弟子たち(雲井先生の孫弟子たち)がサクソフォーンアンサンブルで伴奏のスタイルをとる作品。


とても軽快でストーリー性に富み、和声の組み合わせが新鮮で美しく、演奏していても聴いていても楽しい秀作だと思っている。


6月のコンサートには雲井先生も名古屋に来て下さることが決まっており、再演を楽しみにしていた。


ホール、共演者など関係各所に延期の連絡をする中で、小前さんにも再演の延期を伝えた。


その時、神の啓示のような光が僕の脳裏に突き刺さった。


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数年前、小前奏人さんは愛知芸大の作曲科の学生だった。

作曲科の学生というだけでなく、指揮や編曲など、様々な現場で彼の名前を見ることはとても多かった。


ナゴヤサックスフェスタでは学生合同オーケストラの指揮と編曲を毎年手掛けてくれていて、あの頃名古屋の音大生たちが大学の隔てなくとても盛り上がっていたのは、小前さんの力が大きかったと思う。


「売れっ子」という言葉がしっくりとくる、若くして大忙しの作曲家だったのだ。


そんな小前さんに、僕も一曲委嘱させていただいた。

そして生まれたのが「サクソフォーン吹きの弟子」だ。


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あれから3年、神の啓示を受けた僕は「サクソフォーン吹きの弟子」再演延期の説明もそこそこに、夢中で今の明和高校音楽科管楽合奏の現状を打ち明けた。


そして勇気を出して、この第70回記念定期演奏会にふさわしい、しかもこの編成での管楽合奏の曲を、さらに2ヶ月で書いてもらえないか頼んだのだ。


勘弁してくれと一蹴されてもしょうがない依頼だったとは思うが、彼は二つ返事で引き受けてくれた。


そこからは本当にトントンと順調過ぎるくらいに進んだ。


彼は明和高校音楽科の雰囲気を感じに学校に足を運んでくれた。


そして管楽合奏のメンバーと挨拶を交わし、作曲のヒントにしたいと、専攻生たちに簡単なアンケートをとった。


約束の2ヶ月ちょうどの日にスコアが届き、夏休みが明けたところで早速音を出した。


正直、これは大変なことになるぞという直感が走った。


愛知県芸術劇場コンサートホールにこの曲が高らかに響く瞬間を、僕はリアルに想像できたのだ。


彼がこの作品に名付けたタイトルは、


序曲「自分が愛した道」


なんと歯が浮きそうなタイトルだろうかと思い、練習中も僕は「小前作品」、「序曲」など、タイトルを濁していたように思い返されるが、彼が書いてくれた曲目解説の中にあった、「タイトルは"自分が愛した道を信じて、輝ける未来に歩んでほしい"と言う、堀江先生の言葉から」というくだりを発見し、急に気恥ずかしくなった。


そんなこと言ったっけな…!


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本番は、初めて音を出した時にイメージできた光景そのものだった。


トランペットがパイプオルガンの前から煌びやかなファンファーレを奏でる。


フルート、サクソフォーンが美しい和声を演出し、オーボエ、クラリネットが時に際立ち、時に溶け込む。


打楽器は、普遍的な音楽の守り神。


そして何より、客席からの大きな喝采。


全てが最初のイメージ通りだった。


想定外だったのは、途中から涙が込み上げて来たことだ。


ホール客席中央で大きく讃えられる小前さんは、ステージから涙越しに、ラーメン大好き小池さんに見えた。